夜の図書館 (掌編小説)
もし、本に意識というものがあったとしたら?
午後7時、出入り口の施錠を終えた職員達が、
次々と出て行く。
その後、責任者の職員が館内の最終チェックを終えて出て行くと、図書館は無人状態となる。
時折、幹線道路を通り過ぎる車の音が聞こえるくらいで、館内はしんとした静けさに満ちている。
不意にどこからか、ぼそぼそと話し声が聞こえてきた。
「連日、猛暑なのに毎日ぎゅうぎゅう詰めにされて
イヤになるよ」
英米文学のコーナーで、ある新人作家の小説が愚痴を言い始めた。
「誰か私を借りて、ここから連れ出してほしいよ。
少し涼しい風に当たりたいよ」
すると近くに並べられている、さほど人気のない作家の小説も同意した。
「同じく、私も出たいよ。ずっとここにいるから
もう飽き飽きしてる」
「そうか、キミ達にはそんな悩みがあるんだねぇ」
スティーブンキングの小説が、少し驚いた口調で言った。
「なんだ、その嫌味ったらしい言い方」
新人作家の小説が言った。
「すまん、そういうつもりで言ったわけじゃない。
私は2週間ごとに入れ替わり立ち替わり、借りて行かれて疲れるよ。しばらくゆっくりしていたいね」
「だから、その言い方が嫌みっぽいんだよ」
再度、新人作家の小説が言う。
「あんた達は、まだマシだよ。ワシなんか1年以上、誰も借りていかないんだ。ずっとここにいて、窮屈で仕方ないよ」
今度は、漢詩のコーナーから聞こえてきた。
幾分、分厚い無地の布張りで、背表紙が漢字だらけだ。
「誰の役にも立ってないと思うと、ホント厭になる」
「そんな悲観的に考えるな。ここに並べられてるということは、我々はそれだけで価値があるんだ」
哲学書のコーナーから声がした。
ニーチェのツァラトゥストラだ。
「人気があるアンタに、ワシの気持ちが分かるのか?」
漢詩が反論する。
「うるさいな、早く寝ろよ。愚痴愚痴言ったって
現状は変わらんよ。私を見てみろ。こんなにデカくて重い私を借りるヤツなんか誰もいないんだぜ」
国宝級の、美術品の写真が乗ってる美術書がわめいた。
両手で抱えないと無理なほどの大きさだ。
「おい、そんなことより、もっと重大な問題がある。私達の末路は、いったいどうなるんだ?」
森村誠一の小説が悲痛な声を上げた。
「私は次から次へと借りて行かれて、もうボロボロだよ。紙が白から濃い肌色にまで変色してるし、表紙も傷だらけだ。そうなると、もう貸し出しは無理だろう。もうここには居られない。撤去されるかもしれない。そして、その後はいったいどうなるんだ?」
すると、皆ザワザワし始めた。
「言われてみると、そうだな」
「あぁ、そこまで考えたこと、なかった」
「どこかに、持って行かれるのか?」
「どこかって、どこだ?」
皆、口々に言い始めた。
「役目を終えた私達は、もう用がないってことか?」
「用がないということは、まさか最後は処分されるのか?」
「処分って、どうやって?」
「古紙として、また再生されるのか?」
「イヤ、処分されて、あの世行きかもしれないぞ」
「あの世? もしかして、焼却されるのか?」
「なんて恐ろしい話しだ。誰も借りて行かなくても
何年も経てば、変色して劣化するだろうな。
そうなるとワシも……」
漢詩が消え入りそうな声で言った。
皆、急に押し黙った。
もう、誰も何も言わなくなった。
代わりに、溜め息や念仏を唱える声がし始めた。
そうしているうちに、夜は更けていった。
もう、何の物音もしなくなった。
数時間後には次々と職員が出勤し、いつも通り開館の準備に取りかかる。
そして何事もなかったかのように、また図書館の1日が始まる。
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