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汚れなき心、純粋な世界のために生きるなら、陰謀論に群れる必要なんかない

Twitterは昔からだが、異様なほどに怒りと憎しみの分断対立で溢れてる。それは与党野党左右の政党共に、とてもじゃないけど自分の目から見たら支持者も含めてどっちもまともじゃない。基本的に政治論者も陰謀論者もまともな思考力を持ってないと認識してる。

その他はエンターテイメントの話題や、まったく興味のないトレンドのようかものばかり、しかも必ず分断対立があるし、罵詈雑言や揶揄、見下し、批判、愚痴、そんなのばかりで見てるだけでうんざりしてくる。TwitterXやテレグラムを使う世界中の人は自分の目から見たら明らかにまともじゃない。

唯一マシに見えてたれいわ新選組の山本太郎氏も、最近は陰謀論の自己主張が更に激しくなり本当にカルトじみてきた。やはり誰もが洗脳されるんだろう、その支配からは逃げられない、誰1人として。インターネットを使えば必ず思考の恥辱を受けてしまう。


何でこうなんだろう、人間ってどうしてこうなるのかな。思想主義から逃げられない、敵視したら徹底して悪と見なす、自分の思想主義から成る自己主張が絶対的正義だと思い込んでしまう。反する意見などまったく聞かないし、反省し改めようなんて気もない、とにかく論破してマウントに立てば支持者の力によって自己主張をごり押しできる。


例えば週刊誌の記事を見た人がTwitterXでその批判をする、それを見た別な人が更に批判、批判ばかりしてなぜそうなのか、その解決策は、など考えずにとにかく馬鹿にして揶揄して見下して罵詈雑言、いくら見てもそのパターンばかり。そんなものばかりがTwitterのトレンドのような所に羅列されるから不満と批判のエコーチェンバーがより激しくなる。そうなってる時点でファシズム化してると言うことが本人達は解らないんだろう。そこに参加しなければブロック、属さなければやはり見下し揶揄、馬鹿にした言葉が飛んでくる。


グローバリズム自体が産業革命と同じものであり、反グローバリズムはそれに対する忌避とでも表現しようか。あまりこの言葉はワクチンごり押しの時に使われた言葉なので使いたくはなかったが、反グローバリズムをどんな言葉で表現しようかと考えた場合、やはりグローバリズム忌避、とするのがしっくりくると思った。

Wikipediaには反グローバリズムは左派とされるリベラル勢力の方が強いかのような言い方で表現されているが、国際金融資本の陰謀論を主張してるのが一貫して保守右翼のナショナリズム、ステレオタイプの思想主義者ばかり。日本で左翼的な反グローバリズムを主張してるのは立憲の原口氏か、れいわ新選組の山本太郎氏ぐらいだと思う。他は野党の自称保守右翼とされる政治勢力やその支持をしているカルト集団やカルト団体。


まず大阪万博や日本の国策とも言える半導体事業を行おうとしているラピダス等を批判してるTwitterXでのアカウントがロシア寄りの陰謀論を主張する陰謀論アカウントばかりで、そういったアカウントは常に日本企業や政府、マスコミ等を批判、陰謀論の対象、攻撃の矛先にして日本の経済的躍進の足を引っ張ろうとしているアカウントばかり。

大阪万博を批判するのはロシアが開催地に選ばれなかった反日思想勢力による怨みや、やっかみ、からのものだと見てとれる。マスコットキャラクターにファイブアイズを思わせるようなものを起用していれば更に怨みが増幅するのも理解できる。

そういった流れから北朝鮮からの流れを持つ反日思想勢力や、それと繋がる統一教会関係者に洗脳された反日思想勢力によるTwitterXを使った日本へのネガティブキャンペーンが日々繰り返されている。

ロシアは陰謀論を巧みに操り各国の政府中枢へエージェントを送り込み支配を仕掛けるようなやり方を行ってきた。ジョージアでも、欧州連合への加盟交渉の中断決定に対する抗議デモが行われているが、それもジョージアの親ロシア派による政治的な対立からのものであり、これはクリミアが併合された時とまったく同じ手法になる。

アメリカではスノーデンがディープステート陰謀論プロパガンダを広める役割を演じ、そのエージェントとしての役割を行い、ジュリアンアサンジとウィキリークスも西側へのレッテルとなる陰謀論を執拗に広めてきた。なぜかイーロンマスクもロシアプーチンと何度も交流し、現在TwitterX自体がロシアの陰謀論プロパガンダ洗脳媒体と化している。

当然あからさまなロシアゲートのあるトランプ大統領もロシア寄りで、その理由はロスチャイルドの忠実な犬であるソ連寄りだったキッシンジャーの教え通りに動いているだけで、イスラエルの支配者ロスチャイルドの忠犬だからに他ならない。Qアノンはシケイダ3301で集められたロシアの陰謀論プロパガンダ洗脳を仕掛けるためのカルト工作員集団と見て間違いない。

古代中国で蝉は再生と復活の神として崇められていた特別なもの。死から生への生まれ変わりをイメージし、今でも中国では死者の口に蝉を模した工芸品、玉蝉を入れる含蝉の風習が残っている。


蝉は脱皮を繰り返す、それはディスコーディアン主義における無秩序が秩序を生み出すとする破壊と再生の意味にも近い生態系を持つ生き物。Qアノンが日本人を陰謀論洗脳するのに、Twitterやテレグラム上で活発に動いていたのがEriと呼ばれる人物で、その役割がローマ神話のディスコルディア、混乱の林檎を投げ込むエリスそのもの。おそらくイーロンマスク自身も、そういった関係の知り合いか家族かは解らないが、そんなニューエイジ神秘主義のカルト思想主義者に大きく影響させられているようにも見える。


その中国人にとって特別な意味がある蝉をモチーフにしたロゴのようなものを使ったシケイダ3301は中国系の共産主義思想主義集団、親ロシア派のハッカー集団か、インターネット工作員だと推理する事ができる。


普通に考えてもおかしい、政府や日本の経済的な状況に不満を持っているはずの人々が何故か日本の経済的躍進となるはずの国家プロジェクトの批判を繰り返して邪魔をしようとしてる、それだけでも日本人と日本経済を貶めるために活動する目的の反日勢力カルト集団だと把握するのに悩む必要もない。

陰謀論は殆ど日本企業や西側民主主義勢力のグローバリズムを打ち壊そうとしてる話しばかりで全てロシアにとって有利となる内容ばかりとなる。そもそもグローバリズムが無ければ現代社会の国際的経済関係、今後も留まる事がない世界各国で全体的に広がりを見せる貿易協定自体が成り立たなくなる。 


誰かを崇拝してしまう人には解らないこと、同じ人間同士の知識の共有、伝言ゲームなど誰でもできることだが、既に全てを知ってる事を思い出すのは自分自身にしかできないこと。だから昔の偉人の哲学や、有名な書籍、小説を書いた著者の見解が真実だと思わない事が重要で、誰かの真似事ではなく自分自身が思い出す事が重要なこと。


イーロンマスクすら解らなかった生命が生きる意味、人生の意味を自分はすべて答えられる。なぜ我々は存在するかは、もう答えは出てる、それは宇宙そのものが我々自身だから、その素粒子や細胞の1つとしてある肉体や魂はどれ1つとっても無意味な存在じゃない、意味があるから存在する。

それが自然法であり自然の摂理、あるがままに生きる事が生きる意味であり、生命の本能の基本は幸福追求にある。幸せになるために生まれ、幸せになるために泣き叫ぶ。幸せになるためにお腹を空かせ、幸せになるために喉が渇く。幸せになるために成長し学び、幸せになるために友達を作り、幸せになるために働き、幸せになるためにステータスを得る。だからこそ我々は幸せになるために生まれ、今を生きるために生きている宇宙の一部となる素粒子の集合体、細胞の1つ。

必要だからある命、幸せを求め生きて幸せのために朽ちて行く。愛は幸せそのものであり、愛のために生きて愛のために朽ちて行く、これが我々生命が存在している意味。


だから、究極の幸せは最も愛する人と共に生きて、共に喜び共に泣き、今すぐにでも触れ合い尊い時間を無駄にせずに1分1秒でも共にいること、これが人生で究極の幸せであり、我々が今生きるためにある使命。


世の中には様々なカルト宗教、カルト集団や団体、組織があるが、そのどれもがまがい物。偽物ばかりで、そんなものに没頭し属していても魂は救われないし幸福にはなれない。何も解らないまま最後を迎えるだけ。

生長の家(せいちょうのいえ)、統一教会、サンクチュアリ教会、幸福の科学、創価学会、霊波の光、サイエントロジー教会、宇宙神など、他にも多くのカルト宗教やカルト集団があるが、そのどれもが偽物の信仰を教える偶像崇拝となる。キリスト教やユダヤ教、イスラム教や仏教等を絶対としてもいけない。

それを絶対とするなら、それらは全てカルト宗教、カルト団体となる。だから群れて属して集まって罪の傷の舐め合いなどせず、個々として信仰心を持ち孤独となり悔い改め生きること、神は間違いなくそれを望んでいる。


自身の罪を悔い改め、そして素直に神による秩序、無秩序の自然法に従い流れに身を任せ幸せを求めて最後まで今を生きる。すがるものなど何もない、群れる場所など必要ない、最も大切にする必要があるのは、最も愛する人、その人と共に築いた時間と、そして自分の分身となる子供達。家族としてのカテゴリーではなく、三位一体の愛としてある絆を守り続ける。

我々が戻るべき場所は家でも家族でも仲間でも友達でも宗教でも思想主義の集団でもない。我々が戻らなければならない場所は、互いに愛する人の場所、2つに割れた十戒の石板を1つにする事。その道こそ真の神道、唯一無二の絶対なる神が導きし光の道、愛の道、最も安心できる最高の幸福がある楽園、そこへ行くために流れる川をやじろべえのように左右のバランスを保ちながら流される。風が吹くまま赴くままに。それが覚りであり、始まりから終わりへと続く我々の終着点、ゴールとなる。

たとえその終着点にたどり着くことができなくても、それを進もうとする事に意味がある。それが幸せを求める事であり、今を生きると言うこと。愛のために生きて、愛のために朽ち行く流れ、生命としての至福、最高の生きざま。

人は誰しもそれぞれの物語、メロディーを持っている。みんなが主役でありみんながヒーロー、ヒロインとなる。何者も拝まず、何事にも属さず、何者の支配も受けない、この世にたった1人としてある十戒の石板として、自分の人生を生きることが正しい道。













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