人は二人以上になるとカルトになる。人間を拝まず神を、愛を信じる、真の自由は孤独にあり
時に家族、一族とはカルトになる。こうでなくてはいけないとする、家族の掟のような、決まりみたいなものを勝手に作る、それに従わないと村八分にされる。そして、そこには必ず教祖がいる、通常は父か母、親族の場合は最も尊敬される誰か、年功序列か経済的なものか。
親戚と仲違いすると、それぞれの家族がやはりカルト化する。父や母がいないなら長女か長男がカルト教祖と化す。いないならまた更に下の兄や姉がカルト教祖を引き受ける。その中では自分が一番下になり、いつまでもカルト信者をやらされる。それに逆らえば、無視の攻撃を受ける「あいつとは話すな」それに皆従う。
それは友達、親友でも同じ、必ずどちらかがマウントを取ろうとする、主導権を握ろうとする。だから自分は仲間も友達も親友もいらない、1人で生きる、そう心に決めた。
男と女にもそれがあり、人はどこまで行っても二人以上になると必ずカルトになってしまう。自分が信じたいことだけを信じる、見たいものだけを見続ける、エコーチェンバーを確認する。
そんなことになるなら、全ての思想主義なんかいらない、人間なんかリスペクトしたり崇拝なんかしなくていい、キリスト教、ユダヤ教の基本にある神学を信じていたらいい、他はいらない。人間など拝まず1人心を自立させ、神を信じ、愛だけを信じる、そう考える自分はおかしなカルトなのだろうか。
自分は孤独、1人なのに誰に洗脳されてると言うのか。ずっと言われてきた、実の家族に「あいつは心を病んでる、洗脳しようとする、あいつは無視しろ、話をするな」
それでも自分は誰も憎んだりはしない、逆に勝手に俺を憎むのは自分以外の人達、ただ1人でいるだけなのに、何がおかしいと言うのか、俺にはそう認識されることの方がカルト的に思えていた。1人でいることはおかしい普通や当たり前、なぜだろう、そしてなぜ1人にしてくれない、なぜ従わせようとする、属させようとする、それぞれの教祖を拝ませようとするのか。
これが理解できるのは世界でたった1人しかいない、自分が唯一認めた、本当の自由を求める人。
自分はまるでカルト宗教のように誰かを洗脳しようとしているように見えるかもしれないけど、そんなことはしない。なんせカルト宗教もやらないし教祖も絶対にやらないし、こういった話でお金儲けも絶対にしないと何度も言ったし、神に誓ってる。
そして自分が話す基本はキリスト教やユダヤ教の神学を基礎に神の心を感じて話しているので、その他宗教やカルト宗教とはまったく違う。神学の基礎は神からの一本道。しかしキリスト教やユダヤ教に属していないので、その宗教の勧誘でもないし洗脳でもない。だから自分をキリスト教やユダヤ教の信仰者や、宗教の布教活動をしている人物のように考えないでほしい。これは啓蒙活動でもないし、単純なスピリチュアルでもない、ニューエイジでは決してないし、無神論でもない。
1本しかない神の道、神道への導き、それが愛を信じ、神を覚り信じる道となる。
自分はその光の道を指し示すだけで、他に余計なことはしない。その道を見つけるのは人それぞれの心であり、その人が考えること、自分が操れる心は存在しないし、誰かを操ったりしない。知識や覚りの感覚は自分自身で導き出すもの、そのために教祖や信者など不要、そんなものは覚るためには邪魔な肩書きにしかならない。それぞれが個々の存在として、教祖でも信者でもない、賢者となってほしい。必要なことを話す以外に自分にできることはない。
もしも誰かを洗脳したり、信者になってしまう誰かがいるとしたら、自分はまたアカウントを消して0から始める。そして自分は怒る、信者になどなるなと、人間ごとき拝んでる暇があるなら神を信じよと言う。自分の力で思慮し、その導き出した答えで真なる己となり1人として生きよと強く言う。
生涯孤独でいい、仲間などいらない、友達もいらない、自分が必要としているのはたった1人の愛する人だけ。その人を裏切り愛もない何かに群れるなら、自分はこの世そのものから姿を消滅させる。生半可な覚悟でこんな話などしていない。嘘でも妄想でも、この頭の中にあることは有意義に使いたい、だから誰かの生きるヒントや、何かから抜け出し覚れるためのきっかけになればいい、それだけでいい、他には何もいらない、心も経済的な問題も何もかも、自分で何とかする。
マインドコントロールや洗脳がどうやって行われるかは知っているが、実際自分がそれを使っているわけじゃない。むしろそのカルト洗脳を何とか解こうとしてる、1人でも多く、この自分の記事をたまたま読んだ人が何かに気がつければそれでいい。
世の中の人々は、殆んどの人は何かしらの思想主義に必ず洗脳されてる。その深い洗脳を解くには、今まで受けてきたパターンを逆再生するように解いていく必要がある。だから洗脳を解くのは途方もなくて、どんなに頑張っても解けない人は解けない。
特定な思想主義から抜け出しても、また新たな思想主義に属してしまう。それが人間だから仕方ないと言えばそれまで。
それでも誰しもが操られてしまう、その操っている本人すら自分が洗脳されているとは夢にも思わない。長い年月蓄積されてきた洗脳のピラミッド構造が出来上がっているので、その支配から抜けるのは容易にはいかない。
今の自分はディープステート、グローバリスト、ユダヤ金融資本など、そういった陰謀論を、陰謀論とは認識していない。それはそれぞれの宗教や思想主義、政治や経済的な世界的動きの流れだと把握している。
企業でなら社長が気に入らない社員の愚痴、それが陰謀論になっていると、そう認識している。
陰謀を企てるとするなら、それはカルト宗教でありグローバリスト等の拝金主義者の経済圏での支配下で動かされている操られた集団、でしかない。
世の中には数えきれない思想主義があり、それぞれが様々な思想主義とぶつかり合っているが、全てがカルト宗教と同じで、その思想主義から成る革命がどれだけ起きてもグローバリズムを止めるのは不可能。なぜなら、それが世界中の人々が選んだ道だから。
革命を目的としているなら、それは陰謀論ではなく右か左かの思想主義の対立で、エンターテイメントとして長く楽しみ話されてきた都市伝説のようなものとはまったく違う。
それは都市伝説にもならない政治論である。政治論は陰謀論でもあり、東西冷戦、そして赤と青の無意味な分割統治のための思想主義になる。
本当に、これが理解できるのは1人だけ、他にはいないと思う。そう、1人だからこそ理解ができる、二人以上で群れているなら必ずどちらかが教祖となるので、これが絶対とする掟、カルト思想主義は芽生えてしまう。
だからこそ自分の話を理解できる人は少ない、世界中探してもほんの少数だと思う。常に1人を好む人、群れない、数字に操られない、人間を拝まない、従わない、思想主義の思考の恥辱を受けない純粋なる精神を持った真っ白な人。
誰かがこうだから自分も、その群れる性質に誘導されてしまう、世の中のファッションに合わせる、友達の普通や当たり前に合わせる、親に従い、自分の尊敬した誰かに従い、芸能人、有名人、偉人の思想を絶対とする。
崇拝されたら人は自惚れる、驕り高ぶる、愚か者になり支配欲を出して欲望を貪り喰らう人間くそ袋になる。愛を腐らせ、その薄汚れた腐敗した愛を心に糞詰まりさせる。腐った愛の臭いをぷんぷん漂わせ、拝金主義カルトの教祖に成り下がる。
人間なんてそんなもの。だから人間なと拝むなと神学では教えられる、心から思う、それが正しいと。拝むのは人間ではなく、人間が造った偶像でもなく、神だけを、愛だけを信じていたらいい。
だから自分を神とする、誰かを崇拝させ従わせようとする、支配欲の塊となるニューエイジ思想も悪魔崇拝になる。
1人を好む人達がなぜ誰かとうまくいかないのか、それは神を信じてるから、人間ではなく神を信じている真の信仰心を持ってるから、だから1人を好む。
神は愛そのものであり、それを信じるから自由でいられる、人間ではなく神を信じるから自由が得られる。神の秩序は自然法、自然の摂理、宇宙の法則である三位一体の無秩序、アナーキー、1人だからこそアナーキーでいられる。
二人以上になる場合、お互いが同じアナーキーでいる必要がある、そこに特定の誰かの秩序を入れてしまえば、もうそこには神はいない、愛は消えて不自由の鎖に繋がれる。人間を拝む何者かになる。
こんな話を理解できる人がいるなら、その人はアナーキー、心の自由と、愛の自由、神による絶対的な秩序の中で生きている人。
究極の自由の中で生きられる、そんな人。