奇跡とは、起こるものではなく起こすもの
この世界に奇跡も何もないなら、言葉による平和だって夢だって実現なんかできない。
何が奇跡を見せるのかって、それは人の心が生み出すもの。全ての出来事は人が何かを言い、何かをするから実現することで、何もないなら何も動いたりはしない。奇跡ってやつは導きみたいなものはあっても、それを辿ってみないと何が起こるかは解らない。
その小さな導きですら見逃さずに辿らないと奇跡なんてものは起こらない。奇跡を起こすためには、まず自分の心に振動がなきゃいけない、その振動を無視するなら奇跡なんか永遠に起こせることはない。
ただ知識があるから賛同して感動して崇拝するなんて、そんなものはつまらないし、奇跡になんかならない。何を知ってるかよりどんな心の人なのか、そっちの方が大事で、この残酷な世界を少しでもマシにするのは賢い人でもないし優れた人でもない。
世界中の人々の心を救うのは物事を解ったつもりになってる、カルト宗教教祖、思想主義者のリーダー、陰謀論カルト集団の教祖様ではない。
そんな誰でも知れるような陰謀論など、検索エンジンを貪ればすぐに出てくる。それを知ってるか知ってないかなんて、本当はどうでも良い事で、過去の偉人や賢人の哲学だって心理学だって探せば簡単に見つかるもの。
知らないのはそれを探そうとしないから、なぜ「何もないではなく何かがあるのか?」それを考えようとしないから。
大勢の人が見せたいものだけを見せられ、その見せたいものを知った時に「これはまずい、ヤバい」そんな気持ちになって誰かに話したくなる。いくら話したって、元のネタを知らないなら、話された方の人もちんぷんかんぷん、相手が何を言ってるのかも解らないし、意味も解らない。表面的な情報しか知らないなら、その表面的な知識や情報のみで判断し否定する。
どんなにリアルで本当のことのように思える情報でも、虚偽とするものは必ずあって、反対意見は探せば必ず見つかるもの。それを信じそうになったら相反する見解、反対意見を探して己を保たなければいけない。
こんな人物がこんな行動を過去に行い、こんな繋がりがある。そんな話は作ろうと思えばいくらでも作れるし、虚偽の画像や動画など作ることだって簡単で、大勢を騙して洗脳することほど簡単なことはない。
しかし、その騙された人、洗脳の鎖に縛られ閉じ込められた人、その人達を容易には抜け出せない檻から引っ張り出すのは困難。
無理矢理なこじつけや、強引な解釈をすれば陰謀論などいくらでも作れる。事実でなくても事実のようなふりをする情報を広めることも容易い。「あなただけが知った情報」そう植えつけたなら、対象者を特別な秘密を知った選ばれた人間かのような感情にする事も可能。しかし、陰謀論などだいぶ昔から書籍やインターネット上で広められてきたものが殆んど。全ては個人的見解がふんだんに盛り込まれた洗脳物語。
都市伝説だって同じで、それが本当の事なのかどうなのかも解らずに人はそれにのめり込めば信じ混んでしまうもの。占いを信じるのと同じで、都市伝説や陰謀論は人の心を操る心理操作の手法の1つとして使われる。
洗脳する者は陰謀論の内容などどうでも良くて、その陰謀論や都市伝説を使った思想主義の洗脳に引き込めたら、それで成功になる。
人は小さなカルト集団から大きなカルト集団まで行い、他者の心を支配したがる、その支配した人々の頂点に立ち、特別な者になりたがる。それが人間であり、チンパンジーの群れと大差ない心理的な生体を持つ。
その思想主義の群れに属してそこの頂点にいるチンパンジー、獣を拝めばその人間の支配下にされる。
支配下にされた操り人形はアメーバとなり、個人崇拝の全体主義で従わないものを次々に攻撃し、度が過ぎると残酷性、残虐性を露にして平然と攻撃し木っ端微塵に引き裂き肉の山のゴミの中に投げ捨てる。
儒教に仏教、キリスト教やユダヤ教、ヒンドゥー教にヨガマスター、それぞれれの知識人に感化され、その優れた知恵と認識するものを知ることが賢いのだと思い込む。どんなに優れていたとされる偉人の心理学者、哲学者も真理なる答えなど見つけてはいないし、それが見えたわけでもなく、強引なこじつけや解釈を持論として語ってきただけの人間であることには変わりがない。
本当の答えなど見つけてなんかいないし、今だ人類は神の存在どころか精霊、天使の存在を把握することもできていない。この世の真理なんか今までの歴史上、真の答えを導きだし、その答えを見つけた人は1人もいない。
それなのに、異常とも言えるぐらい、カルト宗教にのめり込み、そのカルト集団と教祖を絶対として拝み協力し続ける。まるで、核ミサイルを拝み崇めていた、猿の惑星の、進化した猿のように。人間は必ずチンパンジーの群れ、獣の群れを作りたがる。
どんなに賢く優れているように見えても、獣は獣でしかなく、その獣が信じる者も頂点に君臨する獣でしかない。
カルト宗教、カルト集団、陰謀論カルトの頂点の者は、賢者にすらなれない獣のボス。チンパンジーの群れを率いるだけの獣の大将、数字の上にふんぞり返る小山の大将。
獣を信じたいなら信じたらいい。騙されたいなら騙されたらいい、従いたいなら従えばいい、支配されたいなら支配されたらいい。不自由に生きたいなら不自由に生きたらいい。自由を放棄するなら自由を放棄したらいい。全ては人々が自ら選ぶ道。
この世界を苦しみと悲しみの世界にし、残酷で冷酷なものにし、幸せを放棄させ、家畜、ゴイム、獣として生きる事を強いたのは支配者ではなく、自分達自身。自分が苦しいのは自分が招いたこと、この世界が理不尽なのは人々が自らそうした、こんな世界にした。
許しなき者が、誰に許されるだろう。愛なき者が誰に愛される。優しさのなき者が、誰の優しさを受ける事ができる。
自分が移民を嫌悪するなら誰が移民を擁護できる。自分がLGBTの人々の心を守りたいと思わないなら、誰がそう思う。自分が女性解放運動、フェミニズムを擁護しないなら誰が擁護する。
自分が陰謀論による酷いレッテルを受ける人達を擁護しないなら誰が擁護する。
自分が民族主義、差別主義、排他主義、排外主義、過剰な規制など、過剰な制限など、そういったものに反発しないなら、誰が反発する。自分が最低賃金を上げろと言わずに、誰が最低賃金を上げろと言う。
自分が憎まれても嫌われても、素直に、それは違う、間違ってると言わないなら、誰がそれを言う。
愛するなら、嫌われる覚悟で言葉を尽くす。誰にどう思われても、その人の心が大事なら、悪になってでも言葉を尽くす。今しかできないことは、今やる。
今を生きるために、全力で言葉を尽くす。
罵られても、馬鹿にされても、どんなレッテルを貼られても。陰謀論になど操られない、優れてると認識されるヒンドゥー教、仏教の教えだの儒教だのには縛られない。福音派の同調圧力になど屈しない。聖書を絶対とはしない、ギリシャ神話などに感化されない。
哲学も心理学も、それを絶対とはしない。
人間、獣の支配下になどならない。
奇跡を信じる、小さな奇跡から大きな奇跡まで、この心に受けた振動と意識と感性、感覚と本能、自然なる叡智を信じ続ける。
何者にも支配などされない。
奇跡とは、起こるものではなく起こすもの。