第 112 代 早稲田大学広告研究会代表 中﨑・ルペシュ・優人 はじめまして。この記事が二回目の奴はまた会ったな。広研のルペシュだ。茨城生まれ、茨城育ち、顔は醤油顔な俺が名前が外国人風なことには、迷路より複雑な家庭事情が見え隠れしている。下手に首を突っ込むのはおすすめしない。 バツ3の末に陽気な年上フランス人に行き着いた母親から生まれた俺は、去年の100ハイでいた~い思いをした。つまり、これは注意書きだ。第二のルペシュを生まないために、一筆取ろうと思う。 其一. 革命前
初めまして!出版サークル、ザ・ワセダ・ガーディアン2年の鍋島優奈です。サークル、100ハイ共に肩書きはありませんが縁あって体験記を書かせていただいています。 ガーディアンは毎年100ハイのパンフレット作成を担っているサークルなので、「せっかくだしみんなで歩こう!」という雰囲気が他サーよりも強いのではないかと思う。 特に去年は、当時の幹事長が自主的に京都~熊本700キロハイクを敢行している奇特な人だったこともあって(何故なのかはよくわからない)、ガーディアンの参加者は多かっ
はい押忍。前年度本庄〜早稲田100キロハイク統括や前年度男祭り副代表をやっていました。有澤慎太郎ばってんごわすけんたい。 実行委員目線の話なんてみんな興味ないだろうし、僕の自己満であることに変わりはないのですが拙筆にお付き合いいただければ幸いです。 実行委員やスタッフとは 100ハイ参加経験者の減少に伴い、100ハイがどういう組織によって運営されているかあんま知られてない気がします。なので軽ーく解説しときます。 実行委員は現役の昂揚会員(精神昂揚会じゃないぞ、「早稲田
世話になっておる。第23代早稲田王の大泉幸哉であるぞい。 昨年度、私は男祭り2023の副代表を務め、第60回本庄早稲田100kmハイクに参加した。 マジできつくてファニーで最高な100ハイの体験記させていただきやす。 私は大学1,2年サークルに所属しておらず、早稲田に友人もいなかった。しかし男祭りに感銘を受け、昨年の男祭り2023を経て、見事!早稲田デビューを果たした。 その私のデビュー1作目となるのがこの100ハイである。 男祭り2023に副代表として参加させてい
はじめまして!商学部三年、山小屋研究会幹事長の田村和之と申します。 やまけんは登山サークルですので、地上を歩くのはめっきり苦手です!なんなら山を歩くのもべつに得意ではありません。やまけんは登山初心者大歓迎! 100ハイには、学生会館でよく見かけるような、早稲田を盛り上げてしまうような、別次元の、大物のオーラを纏った本当にイケてる人たちがたくさん参加されています。小心者の私は、ついついその眩しさに憧れと悔しさを抱いて萎縮してしまうようなダサい男で、他のnoteを書かれている
教育学部5年、佐立歩生。名前の通り、歩いて生きることが運命づけられている。そして私は早大生である。100ハイに参加するには十分すぎるこの2つの理由を背負って、私は昨年の第60回本庄早稲田100キロハイクを歩いた。 100ハイがいかに狂った行事であるか、そして同時にどんなに素晴らしい旅が待っているかは、他の方のnoteを読めばわかると思う。 私に特筆できることがあるとすれば、所沢体育大会で優勝したことと、パフォーマンスサークル(以下:パフォサー)出身なことぐらいなので、その
押忍押忍、石川県は県立金沢桜丘高等学校出身、現在教育学部理学科2年、並びに企画集団便利舎の小林愼である。 弊舎から本庄~早稲田100キロハイク実行委員会(以下:実委)に出向中の下釜亮兄より「100ハイの申し子である貴殿に100ハイ体験記の寄稿をお願いしたい」と命を受け、筆を執った次第である。執筆にあたり100ハイ体験記のバックナンバーから偉大なる大兄方の玉稿に触れ、私の早稲田精神は溢れんばかりに昂揚してしまった。諸君も私の体験記を読み、早稲田精神を昂揚させるべし。 自己紹
はじめに お疲れ様です。 音響スタッフの奥田耕太朗です。まずは軽く自己紹介からさせていただきます。私は第43代公認サークル企画集団便利舎に属しています。音響スタッフとして100ハイに関わらさせていただきました。例年なんですかね?便利舎に100ハイのお仕事が振り分けられるような仕組みになっていて、今回こんな文章を書かされている始末でございます。100ハイ自体にはなんの罪もありませんので、私が音響スタッフとして関わって100ハイを観た時の、他のイベントにはない異様な魅力について話
3代目漣幹事長の坂下大知だ。3代目にして初の男幹事長だ。漣は早稲田唯一の書道パフォーマンスサークルで女子が多い。しかし、甘く見てもらっては困る。漣は単なるパフォーマンスサークルにあらず。早稲田文化、早稲田精神を愛してやまないサークルだ(自称)。幹事長である俺は父の影響で小学生のころから早稲田の校歌を聞くと自然と腕を振るくらいには早稲田精神を植え付けられてきた。そして、昨年の早稲田王決定戦には漣から『富士山麓の益荒男』梅澤知己が出場した。また、去年の春叫びには杉江隼が漣を代表し
初めまして。早稲田大学文化構想学部2年のかくやのあです。 私は早稲田大学フラッシュモ部というサークルの9期代幹事長を務めている。このサークルは街中で突然踊り出す"フラッシュモブ"を行うことに特化したパフォーマンスサークルだ。今回は私の初めての100ハイ記録を僭越ながらさせていただく。 三年ぶり開催の100ハイ。私は今年100杯に出るなんて思ってもなかったし、そもそもその存在すらもほぼ知らない状態だった。きっかけはサークルの2個上の幹事長からの電話。LINEが来て放置してい
100ハイ。 一歩引いて眺めることしかできないくらい、 おかしくて、圧倒的で、化け物みたいな人しかいない世界。 その世界がたまらなくかっこよかった。 ================ はじめまして。 所沢キャンパスに通う、早稲田大学下駄っぱーず15代目幹事長の廣瀬マキ(下駄ネーム:ゼスプリ)です。大学入ってからは、9.8割の人から「ゼス」って呼ばれています🥝 今回は、週6で学館に通い踊りまくっていたパフォサー出身の私が、早稲田三大行事の一つ、「本庄〜早稲田100キロハ
はじめまして。 泣く子も黙る111代早稲田大学広告研究会幹事長、田村健人と申します。 100ハイ。広告研究会(以下広研)に、いや早稲田に生きるものならばその存在は切れないものであろう。特に広研において、100ハイは非常に熱のこもったイベントである。 昨年度、私は広研において「庶務幹事」という役職を務めた。通称「ショム」と呼ばれるこの役職は、合宿やレク、全体での飲み会といった、ありとあらゆる広研の「アソビ」を企画・運営するのが役目であり、当然、100ハイもショムの管轄であっ
「え、これで半分、、、?」 これが 100 ハイを終えた僕の頭に真っ先に浮かんだ言葉だった。 もちろん感動もしたし、達成感もあった。ただその一方で絶望も確かに僕の胸にあった。これは、そんな「歩く」という行為に振り回された 2022 年 11 月のとある 1 日の話だ。 初めまして。早稲田祭2023運営スタッフ代表で現在早稲田大学政治経済学部3年の佐溝眞行です。縁あってこの度、100ハイの体験記を書かせていただくことになりました。拙文ですが最後までお読みいただければと思い
はじめまして。第43代企画集団便利舎幹事長兼第60回本庄早稲田100キロハイク企画広報部長を務めております奥野凌太です。以後お見知りおきを。 さて、題名として掲げた「だまってやる」という文言だが、これは自分がとても大事にしているオードリー春日俊彰氏による言葉だ。何事も文句を言わずとりあえずやる。シンプルだがこれがなかなか難しい。現実行委員長の福中に誘われたときも企画広報部長をやるか迷ったが、とりあえずやってみることにした。 私の去年の参加形態は「歩行スタッフ」というものだ
はじめに 押忍押忍、男祭り副代表の川口である。軽く最初に自己紹介させていただきたい。現在私は2022年度の男祭りにおいて副代表を務めさせていただいているのだが、以前は企画集団便利舎という企画サークルに所属していた。便利舎を早大生に分かりやすいように言えば、毎年「早稲田王決定戦」を主催している、ちょっとだけイカれ気味のサークルである。私は2021年度の早稲田王決定戦において、企画責任者を務め、大変貴重な経験をさせていただいた。いい思い出である。そんなこんなで、私の周りには早稲
DA早稲田大学ハリー・ポッター研究会元幹事長 尾山 七海 私はあの時"投げ出した"人間だ。 そんな思いを胸に、100キロという長い長い道のりの中、私は必死で足を動かし続けた。 私が100ハイに参加して得たものを語るためには、まずは過去の挫折経験を語らねばならない。 5歳から14歳まで、実に9年間、私はとあるスポーツに情熱を注いでいた。特に団体部門が好きで、夢は全国大会金賞。憧れの先輩や大好きな同期たちと切磋琢磨する日々は楽しく充実したものだった。 転機は中学受験