早稲田デビュー

世話になっておる。第23代早稲田王の大泉幸哉であるぞい。

昨年度、私は男祭り2023の副代表を務め、第60回本庄早稲田100kmハイクに参加した。

マジできつくてファニーで最高な100ハイの体験記させていただきやす。


私は大学1,2年サークルに所属しておらず、早稲田に友人もいなかった。しかし男祭りに感銘を受け、昨年の男祭り2023を経て、見事!早稲田デビューを果たした。

その私のデビュー1作目となるのがこの100ハイである。

男祭り2023に副代表として参加させていただいた小生ですが、早稲田の「ワ」の字も知らなかった。100ハイも知らなかった。ヤバい薬の名前だと思っていた。

というのも、男祭りの先輩方にお供している際、「ヒャクハイ...」「ロキソニンは...」「ガン極まり...」「サンクはヤバい...」、など会話の節々に出没する怪しいお薬関連ワードに戦々恐々と「間違えたかな」と思っていた。

「大泉も参加するでしょ?」と一言。

舐められるわけにはいかない。俺は早稲田で痕跡を残してやる。ヒャクハイ?サンク?やばい薬かは知らねえ!オーバードーズがなんだ。死ぬ覚悟でやってやる。

おお、やってやる!ロキソニン100兆個持ってこい!

「五本指ソックス買っときな」

ん?

「テーピングはしっかりな」

あれ?

俺「ヒャクハイって何ですか?」

先輩「本庄から早稲田まで100km歩くイベントだよ」

いやん。恥ずかし。


恥ずかしい勘違いをしていた私だが、そこで初めて100ハイという存在を知った。100km歩くという事に愕然としたのと同時に、沢山の早大生が集まる事に胸が弾んだ。こんな明確なバカ苦行に自ら足を進める人間が大勢いることが気持ち良すぎた。


体力には自信があった。

小学校では野球、サッカー、中学ではバスケットボール、高校ではラグビー、両親が日体大とスポーツ脳筋であったため、100kmなんて余裕だろうと考えていた。

しかし「大泉縛りやって」と100ハイ実行委員長福中の一言。

当日、電子レンジと釜を持ち、2日間で20合の米を食いながら歩く「オモウマ縛り」を遂行する羽目になった。

いやん。やめてよ。

人非ざるものが考えている。あの時、他人事のように笑った福仲の顎がナイフのようにキラリと光ったことは今でも覚えている。ちな許してない。

たが彼が私に縛りを課してくれたおかげで、私の栄えある早稲田デビューが大成功を飾ったことは紛れもない事実である。


当日、というか前日。快活クラブに宿泊した。というか居ただけ。眠れなかったのである。100ハイという得体の知れないモノへの興奮のせいなのか、睡眠用BGMを3本聞いた。ラバーガールというコント集団の存在しないはずの漫才も聞いた。

一睡もせず、本番。先頭集団が一斉に走り出していた。私はその際、お米をレンジでチンしていた為、彼らとともに走り出すことはかなわなかった。

私の早稲田デビュー1日目、私は電子レンジが入ったUberバックを背負い、米を蓄えた釜を持ち、赤褌一丁で闊歩する。

1区、余裕。仲良さげな2人組に乱入しケタケタ笑いながら歩く。

2区、余裕。高校からの友人とケタケタ笑いながら歩く。

3区、死。

3区の最初当たりは、友人とケタケタ笑いながら歩いていた。地面に座って、チョケながらおにぎりを握る。最後尾のギャルに追いつかれるも、ギャル笑わせ欲が暴発して、チョケ続ける。

「ギャルの笑顔気持ちいし、3区も余裕かも~」とか思っていたら、ケツ持ちの八重樫さんから

「足切りあるらしいからお前ら早くいけ」

あ、マジだ。

私と友人「押忍!」

3区のゴールまで1時間で歩かなければならなかったが、Google Map上では1時間半と表示された。

30分捲る。友人と肩を組み、2人3脚で歩く。とんでもないスピードで歩いたと思う。太陽が沈むスピードより速かったと思う。しかし当然、猛スピードで闊歩すればガタが来る。

小デブには付き物、股ずれ。生まれて潰れて、肉刺。そして、ただ長いだけの直線。ガチきつかった。互いに叱責しながら歩く。片方が遅れれば、「間に合わないぞ」「歩けんだろ!おい!」

あの瞬間、間違いなく悟空とベジータ、キルアとゴン、いや図体で言えば北斗晶と佐々木健介くらい繋がっていただろう。

そして、友人の膝が壊れた。

「置いていけ!」

今考えれば現実に聞くとは思わなかった臭い言葉に

「すまん」と涙をこらえながら歩いた。

あとは孤独。迫る時間と全身の痛み、マジ戦。

宿泊所の体育館についた。時間は5分過ぎていた。

終わった。足切りだ。すみません先輩方。爪痕残せず終わってしまった。

「大泉!お疲れ!足切りーあれ、嘘だから!明日も頑張れ!」

もう、ええて。

足切りは後半の連中に火をつける嘘であった。許すまじ鬼共。釜の固いところで叩き潰してやろうかと思ったが、そんな元気も気概もなく、即入眠。体育館での雑魚寝に、最初はムッと思う方もいるだろうが、どこのベッドよりも死んだように眠れる。無呼吸症候群を患っている筆者もイビキをかいていなかったそうなので、恐らく死んでいたのだろう。


2日目、朝が早い。それについては100ハイ体験記で沢山の先人が記している為割愛するが、案外私は好き。

歩かねば。食わねば。2日目もキャッツイ。

4区、キャッツイ。

5区、キャッツイ。血を分けたはずの友人と喧嘩する。

6区、キャッツイ。

2日目はずっとキャッツカッタ。1日目で疾うに限界を迎えている体と胃袋にずっと鞭を打ち続けた。4-5区間の休憩所である所沢体育館での体育大会?らしきものがあったらしいが覚えていない。すみません。

2日目も最後尾あたりをウロチョロ飯を頬張りながら歩いていた。5-6区間の休憩所で早稲田精神昂揚会のOBの方から一言。

「お前19時までに着かないと足切りだから早く行け」

出ました。どこかで聞いたお言葉だ。

これ聞いて私めちゃくちゃ滾った。3区と完全に合致でごわす。

もうこれめちゃくちゃ歩いた。鬼のごぼう抜き。ただ間に合わせることとしか考えていなかった。

ごぼうたちはみんな応援してくれた。ごぼうたちもきついのに。

6区、本当に彼らに助けられた。

ありがとうごぼうたち。


「最後の大隈講堂は感動する」

100ハイを歩く前に散々言われた。

感動はした。しかしそれよりも下したお腹がきつかった。2日間20合食ってさすがに腹を下した。正直、大隈講堂よりウンチがしたかった。そして完歩後のウンチめちゃ気持ちよかった。


まあふざけた文章を書いてきたが、まじで良いよ、100ハイ。


早稲田にはいろんな人がいた。けどみんな一緒に戦ってた。最高でしょ。

一緒に歩こうね。待ってるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?