2022年の日記集:免罪符の悪用
【1月12日】
例えば、部活の試合中。 自分がミスをしたとき、誰かがミスをしたとき。
「誰かなんとかしてくれ…」
自分が、なんとかするといった気持ちは欠片もなかったように思う。
早く私をベンチに戻してくれ。上手な人を出してくれ。
私を罵って、叱ってくれ。
「ああ、よかった」
それで事態はどうなろうとも。
...
「ひかるは、がんばってるよ」
レギュラーメンバーからのそんな言葉を、免罪符にしていたように思う。
声出し、朝練、掃除、レギュラーのサポート。 出来ることはやっている。
うまくなれない、上手くやれないのはしょうがない。才能がない。運動神経が良くない。
そうやってポーズばかりをしていたんじゃないか。
試合に出たい、活躍したいだなんて 微塵も思っていなかったんじゃないか。
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実家で自分の部屋の片づけをしていると、高校のバスケットボール部のプリントが出てきた。試合のスコア記録が残されていて、色々と思い巡らせたのだ。
私が高校2年の夏、先輩にとっては高校3年の夏。
多くの先輩は受験勉強のために、春に引退していた。
「先輩たちと一緒に、会場の上から応援するのはなんだか恥ずかしい」
そんなアホみたいな動機で、ベンチ入りを目標に努力していた自分。
ベンチには入りたいけど、試合には出られるはずはない、足を引っ張ってしまう。 そんな志の自分をとても恥ずかしく思い出した。
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人任せ(のくせに、そういう風には見せない)の自分で生きてきたから 自分でなんとかする、というのは今でもとても難しい。
でも、思ったよりもなんとかなる(自分の力で何とかするわけではないけれど)し、 思っていたよりも、自分の責任で生きることは楽しくもある。
努力してるから大丈夫、ということはないけれど 自分の心に従って生きていれば大丈夫。そんな気がする。
…
※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。
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