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歌集 Re『きみを嫌いな奴はクズだよ』(2016)木下龍也 書肆侃侃房
「お墓の代わりに買った中古車は水没してもしばらくは見つからないような深い青 底から引き揚げられた車は 夢見るように海水をこぼしながらクレーンに吊られている あの深い青は失われていて だけどそれがとても似合っていた ここは天国じゃない 天国以外に行くあてはなかったはずなのにな」(作者あとがきより)
顔のないコケシのように見える表紙のデザインが、この歌集を手に取った読者をさびしげなまなざしで見つめています。私の眼にはそう映りました。顔の部分に当たる円形のブルーに重なるように、タイトル文字「きみを嫌いな奴はクズだよ」。世界はピンク色に染まっています。
書体そのものが著者の魂がのりうつったかのように意思を持ち、手に取った者のかなしげな気分をなぐさめてくれます。裏表紙はピンクの人影の後ろ姿か? 読後に180°何かが変化していることを暗示しているのでしょう。世界はブルーに反転しています。
歌は各ページに1首のみが印刷されています。各ページの1首以外は余白によって埋められています。詩のような、否、詩そのものの「君」と「あなた」に向けられて綴った「あとがき」のメッセージ。【Special Thanks】の最期に「そして、ここまでお読みくださったみなさま」、著者略歴はあっさりした短歌歴と好き嫌いの一行のみ。この歌集はまったく自己主張をしません。手に取った読者にそっと少し離れた場所から、ことばが寄り添ってくれるだけ。底なしのロンリネスの「君」や「あなた」に。
歌人は日常の何気ない見過ごされがちなものたちに魂のようなものを見出し、モチーフとして歌にとりこんでいます。玉突き事故の虹の配色、事故で折れ曲がったカーブミラー、車椅子の女のまっしろな靴、レンタルDVDに収められた新作の予告編・・・「旧作の夜」。
絶妙なことば遊びのセンスがおかしみと哀しみの調べを誘う連作「有名税」。夢の中を散歩する夢想家の夢、「ひとりで踊れ」。本書タイトルの反転風刺のようなキリストの独白、「ぼくを嫌いな奴はクズだよ」。
読み進めていくうちに、歌の世界は日常から非日常の戦場へと一変します。「無色の虹」を渡る少女、ひらがなだけで書かれた少年兵への「さくせんしれいしょ」、HELLが HELLOに変化する閉塞した潜水艦内・・・時にユーモラスでもありながらも皮肉めいたことばに垣間見られる自身の立ち位置が読み手に明確に伝わって来ます。歌人はあくまでも個から世界とまっすぐに向き合う姿勢を貫いています。
歌集は「ぼく」の孤独と「君」の痛みが淡々と綴られてゆき、最終の章立て「おまえを忘れない」でただ1首、次ページをも使った大きな余白を残して幕を閉じます。
欠席のはずの佐藤が校庭を横切っている何か背負って
この歌集は「佐藤」のために、平凡な苗字の「佐藤」のためだけに編まれた鎮魂歌の歌集なのかもしれません。「佐藤」の背負ったものをこの歌集を手に取った者は分かち合い、海底から引き揚げられた車からしたたる水をともに見つめるしかないのです。時計の針は未完のまま停止してしまいました。何かの意思をもって。時間も空間も自由に飛び越えられる何かを、たぶんわたしたちは得られたはずですから。
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ここに記したことは筆者のとりとめのない感想です。
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