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🎃ハロウィンイラスト公開🐺
占いをお休みしている間に
ちまちまと描いていたイラスト。透明水彩で1/4色紙に描いてます。
お口の周りの赤いものはベリーパイを沢山食べたんでしょうねwwwww
こんな感じでお絵かきもしている人間です!!
私はヤングケアラーとして生まれた。⑩
今現在、実家を離れて結婚し
とても幸せな日々を過ごしている。
本当に報われた…頑張ってきた私に神様から
ご褒美を頂いているように感じる。
この記事を書くことを提案したのは
旦那さん。
色々躊躇うこともあり書き切る自信がなかったが
なんとか終わらせることができました。
そして、書き始めてからより今の生活に感謝の気持ちが湧いています。
ヤングケアラーとして過ごしてきたこの30年
特に、多感な時期
私はヤングケアラーとして生まれた。⑨
専門学校に入学し
朝3時起き→介護→学校→バイト→0時就寝という
スーパーハードな平日
朝4時起き→介護→バイト→介護→教習所→介護→0時就寝という、楽しみがない休日を
2年間過ごしました。
その間に、父方の祖父が他界。
父方の祖母の認知症が悪化。→暴力的になる。
母方の祖父を引き取る。→寝たきり&胃ろう設置と
介護が終わることなく、次から次へとやってくる事に嫌気がさしながらも、
私にはこの道し
私はヤングケアラーとして生まれた。⑧
前回の記事からだいぶ時間が経ってしまった。
実は、これを書いていて両親を悪く言って
共感を得ようとしている自分が嫌になって筆を置いていた。
そこから色々考え、吐き出すことにした。
私自身が前に進む為、良い意味で卒業する為に。
高校に入学してからの3年間は介護から離れて
学生らしい生活ができたと思う。
夏休みなのどの長期休みはバイトをして
なるべく、家族から離れる時間を生み出して過ごした。
そ
私はヤングケアラーとして生まれた。⑦
中学3年になった私は、進路指導の先生に
今の家庭環境について相談した。
その結果、介護から離れることができる全寮制の高校を勧められた。
私は今の生活から離れられるならと
即決した。
両親の反対を押し切り
私は実家から逃げるようにして
晴れて全寮制の高校に入学した。
そうして私は祖父母の介護から一旦
離れることができたのだった。
私はヤングケアラーとして生まれた。⑥
祖父母の介護が始まって6年がすぎ
小学生だった私は中学生になった。
多感になった私は今まで両親に対して
気づかなかったことに気づき始めた。
それは、前回言及した介護が必要な祖母に対しての不誠実さや
言葉が悪くなるが、世間体を気にした行き過ぎた外面の良さである。
私の住む地域では
町内会主催でお祭りなどが定期的に行われていた。
父は町内会の役員なので必ず参加する。
母も婦人会に入っていたため、お
私はヤングケアラーとして生まれた。⑤
始まった祖母の認知症は祖父のそれとは違う症状だった。
それは妄想や幻覚幻聴
祖母は朝から晩まで物が見えなくなれば、誰かに盗られたんだと大騒ぎ。
さらに夜中になると突然祖母の悲鳴が聞こえてくる。
「空襲だっ!逃げないとっ」「死んだはずの○○がいるっ!」と
大きな声を出して家の中を四つん這いで這いずり回るのである。
祖父の介護に慣れ始め、
私はやっとゆっくり眠れると思っていた矢先の出来事だったので