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書かないと思っていたのに、有料noteを書いた理由

1ヶ月前までのわたしは有料noteを永遠に書かないだろうと思っていた。 


が、その翌週。田舎に帰省する新幹線内で夢中になりながらタイピングしていた。東京から瀬戸内海の実家まで片道4時間。往復に換算すると8時間近くを有料noteを書くために費やしていたのだ。(1人で帰省した)

初めて一万字を超えるものを必死に書いていた。 


書かないと思っていたのに、なぜ書いたか?その心境の変化を綴りたい。 


もともと、新幹線内で書いたnoteは、
わたしがエッセイを書く時に大切にしていることを記事にして、いつものように無料で投稿する予定だった。無料でたくさんの人に読んでもらったほうがわたしにとってもプラスになるからだ。


ただ、この背景には有料記事に対する嫌悪感も少しばかりあったと思う。「お金儲け〜?」的な。


 いや、違う。


白状すると自信がなかった。わたしの文章はお金を頂けるほどに価値がないと思ったし、あくまでも対価は発生せず無料で書いて自分自身を楽しませたかった。 

わたしは、人から直接お金をもらうことに申し訳なさを感じたり、死ぬほど営業ができないタイプだ。

かつて歩合性の歯科医院では自費のクリーニングが売れず、売り上げはスタッフ最下位。

それどころか保険内のクリーニングで自費メニュー並みに満足度が高いだろうというものをこっそり施術していた。 

さらには患者さんに1番高いセラミックをこれは買わなくていいですよ、真ん中らへんで十分ですよなんて言ってしまう始末。

 そういえば、昔サイゼリヤでバイトしていた時には、赤ワインを溢れそうなほどギリギリまで注いでしまうようなサービス精神の旺盛さだった。たまにワインが溢れて緑の制服が汚れることもしばしば。


 で、ここまで見ると、一見いい人のようにうつるが、これは「スタッフに給料を払う責任のある立場」を経験していないからできるわけだ。


例えば、わたしが院長だったら自費メニューは絶対に売るだろうし、サイゼリヤの店長だったワインをギリギリまで注ぐアルバイトがいたら非常に困る。 


だからこそ、有料noteを書いて、個人で売る立場を1度でも経験しようと思った。


 もし、わたしが簡易的な本を売るとしたら何を書くだろう?と考えた。 


そして1人でも「買ってよかった」と思ってもらえるような内容にしよう、お金をもらうのだから、それに見合うように自分で責任をとろうと思ったのだ。 


そして、実際に書いて思う。有料noteを頻繁に書いている人は、内容はもちろん素晴らしいけれど、何より売る力がすごいなと。営業力とも言えるだろうか。

ここまで書いて思うのは、わたしは無料でのびのびと書いていきたいということ。


ただ、実際に有料noteを出す立場を経験して、コンスタントに有料noteを書き続けることがいかに大変かを知れた。


もしわたしが自費出版するとしたらコストがどれくらいかかるだろう。きっと、何百万単位だろう。そして売れなければ在庫を抱えるから、必死に営業をしないといけない。

それが有料noteだと、コストは一切かからず、必要なのは執筆する時間のみ。 わたしのように何も取り柄のない凡人が執筆して、購入して頂いた人からお金をいただいた。

 改めて、noteというプラットフォームで貴重な経験をしたなと思ったのだ。 


そしてご購入していただいた方、(無料で途中まで見てくださった方も)

ほんとうにありがとうございました!飛び跳ねてしまうほど嬉しかったです。



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