あの子が羨ましくて。
人としての正しさなんて、頭の端っこの方で分かってはいるけれど、それでも羨ましくなってしまうんだ。
正論なんてわかっている。
それでも、「どうしてあの子は順風満帆なんだろう?」なんてね。
きっと彼女は彼女で、苦しみも、悲しみも、当たり前に抱えているけれど、自分と彼女の現状の違いに愕然としてしまう。
おかしいな、過去の私は比べてもきりがないと、割り切ることができたのに。
むしろドライだと思っていたのに、 どうやら違ったみたいだ。
時に、自分の頭を両手で抱えながら地面にうずくまる瞬間を想像する。その一方で、周りの人は楽しそうにおしゃべりして、子供たちもうるさいくらいにはしゃいでいる。
自分だけが透明人間になった感覚で、周りの人は皆順調そうに感じるんだ。
きっと、誰でもそんな瞬間があるんじゃないかなぁと思っている。
「なんで、わたしばっかり」って。
だけど、こんな感情はごく自然なことだ。
結局は自分がこれまでに経験して、作り上げた物差しでしか物事を判断できないのだから。
その談笑している人が、どんな子供がいて、どんな子育てをしていて、苦悩を抱えているかなんて私は想像すらできない。
だからこそ、「わたしばっかり」って思ってしまうのだろう。
あの子の現状が羨ましくなった、帰り道。
自分の生い立ちと、彼女の生い立ちを比較した。そうすると折り合いをつけられるからだ。 なんだ、スタートラインから何もかも違うじゃないかと。最初から敵わないんだ。
両親の職業、生まれ育った土地、どんな服を着て育ったか、何に努力をして、何にこれまでの時間を費やしたか。何もかも違うあの子と、私の現状だけを比較することが間違っている。当たり前に違う人間で、それまでの積み重ねが全て違うのだから。
彼女から、子供の服をもらった。
「お古でよければ、使ってね」
そんな、彼女の優しさを受け取ろう。全くの生い立ちが違う私と関わってくれる、その瞬間を感謝しよう。
商店街でベビーカーを押していたら、通りすがりの人が微笑んでくれたり、私がスーパーで買ったスルメイカを落としてしまって、「すみません、落としましたよ〜」と追いかけて来てくれたママさんとか。
そんな周りの親切さだけを受け取りながら生きていこうか。