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本当のわたし、どこに置いてきた?
医師から処方された向精神薬。
かつては自分には必要ないとゴミ箱に捨てたはずなのにね。どうしたもんか、現在のわたしはその薬を飲まないと自分を保てない。
キッチンの一番端の引き出しに、スティック状のだしの素と共に、無造作に置かれている薬はPM8:00頃に一錠を必ず服用する。
お味噌汁を作る時に、ふと薬を見るとビンゴゲームのシートのようにランダムに穴が空いていた。
そこからわたしの少しの異常さが垣間見られる。かつてのわたしだったら当たり前に右上から順序よく縦一列に薬を押し出すのに。
今はそんな小さな秩序を守る余地もないくらいに、錠剤シートを持つ右の親指が触れるところから一刻も早く薬を押し出しては、口に入れる。
それは、体も、脳内も、この薬を欲している証拠だった。
うつで薬を飲むようになって2年。時に自分が自分でわからなくなる。かつてのわたしと、うつになってからのわたしがわからないのだ。本当のわたしってなんだっけ、どんな思考だっけ。
本当のわたしは何処かに置いてきたのだろうか?
もし、何処かに置いてきたのなら、探しに行かなきゃならないのに。暗闇で体育座りしながら泣いていたら、頑張りすぎなくていいよと抱きしめて救わないといけないのに。
いや、置いてきたというより、境界線なんて存在しなくて、人は日々変化していくのだろうか。
ウーパールーパーが育て方を間違えると両生類から爬虫類になるように、わたしも環境により、想定外な方向に変化してしまった、ということだろうか。
それでも、この薬を飲まないと自分はどうなるのだろう?と思うことはある。
以前医師と相談して減薬を試みたけれど、頭に血が上ってカッとなってしまった。
あぁ、やっぱりわたしは薬を飲まないと、
自分が保てないのだと心を打ちひしがれた。もうそんなわたしとは出会いたくないから、家族を傷つけたくないから、薬を飲み続けることを選択した。
だけど、消えたいなんて言わないよ、自分の人生は終わったなんて言わないよ。
料理中に人差し指が包丁に触れただけで、痛いと嘆くわたしは、生きなきゃならんのだ。
血なんて全然出てないのに、人差し指がひりひりするんだ。
それは生きたいという体の叫び。
薬を服用した日数は、自分と誰かに優しくありたいと願った足跡。
この先にゴールはあるのだろうか。存在すらしないのか、考えても意味はない。
今は、追い風に乗って身を任せよう。
そして、家族が笑顔でいれますように、そんな願いを込めて 今日もわたしはPM8時に薬を口に入れるだろう。