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人の目を気にして、書くのが怖いとき。
文章を書くときが怖いときがある。
これを書いたらどう思われるだろう。フォロワーさんにドン引きされるかな、キモいと思われるかな、傷つく人がいるかなと、考えてしまい手が止まってしまう。
いつだって怖くなるのは他人のことを考えたときだ。
せっかく投稿するなら、いい文章だねと言われたい。好かれたい。スキやフォローされたら嬉しいし、フォローを外されたらちょっとへこむ。
だけど、他者のことを考えながら文章を書いてしまうと、リアルな人間関係の延長をnoteに持ち越しているようだ。
リアルでも疲れるのに、noteでも疲れたくない。
noteが友達のみで繋がるインスタのようになってしまったら、noteの良さがなくなってしまう。
わたしにとってnoteは自分のうんちくを語るところだから。
ほら、誰かとの会話でうんちくほどだるい時間てないじゃない。武勇伝ほど鼻で笑うことってないじゃない。
で、武勇伝語る人って何度も同じこと言うんだよね。本人もそれは気付いてるみたいなんだけど、同じネタでもアップデートされてるらしく懲りずに語ってくるのよ。
はい、ごめんなさい。わたしのことです。
でも、それをリアルですると人間関係に波風を立ててしまうので、基本的にはやらない。
きっと大多数の人が、なるべく他人を傷つけないように、言葉を選んで、共通点を探して、共に過ごす時間が居心地の良いものになるように意識していると思う。
誰かに気を使って日々を生きている。
だからこそ、noteでは嘘の自分は書きたくない。一度でも思っていないことを書いてしまうと、きっとnoteを書くことが苦痛になってしまいそうで。
誰かを攻撃するようなことは書かないのは前提だけど。
だけど、本音を書いて世に披露するこの行為はとんでもなく恥ずかしい行為だ。
わたしのチョコボールのキョロちゃんのように、ポッコリしたお腹を披露しながら交差点を歩くような感覚。見知らぬ人に、「ねぇ、見て!わたしのお腹やばいでしょ!?」と。
リアルではそんな見世物のようなこと絶対にしません。
だけど、それに近いことnoteでわたしはしている。果たして、その行為をし続けた後に何が待っているのだろう。
それはきっと、承認欲求の残骸だ。
それでもわたしは、怖いけど、恥ずかしいけど、下手だけど、書いていきたいなと思う。
何かの残骸だって、振り返ればきっと美しい。
そう信じて、勇気をだして投稿しよう。