わたし、母親に向いていなかったかもしれない
こんなこと思うわたし、自分でも最低だなぁと思うけれど、心の声をnoteに綴ってみようかと思う。
わたし母親向いていなぁと思う瞬間がある。というか、結構な頻度でふと思っているかもしれない(苦笑)
この話をする前提として、我が子のことは愛しているのだけど。
というのも、元々のわたしはとても自分本意な人間で、母性とかもなくて、自分が1番大切な人。(ナルシストという意味ではなくて)
もちろん、誰もが自分が1番大切なのだと思うけど。
だけど、浮気性な男が結婚しても変わらないように、 子育てしなさそうな夫が子供を産んだところで変わらないように。
わたしは子供を産めば、自分本意な人間を脱しては、母性溢れる人になれると思ったけれども、そうではなかったみたい。
わたしは、当たり前にわたしだった。
だけど、産んでしまった以上、母親やーめた、なんてもちろんできないわけである。息子のことは愛しているし、出会えてよかった。
ただ愛しているからこそ、苦しいこともある、悲しいこともある。我が子とは別の人間とはいえ、保護者である以上、母としての自尊心を傷つけられたり。
そして、きっとこの先、問題が勃発しては親としての不甲斐なさを感じては自分を責めてしまったり。
あぁ、想像してはキリがない(笑)
母親であるわたしは、これから先これらの感情に耐えられるのか…。正直自分に自信がない。
と、つらつら書いたけれど、わたしは自分の人生が余生だと思っているので、自分のことを後回しにして、子育てをするこのライフスタイルはとても気に入っている。
それにしても、どうしてこんな感情を世間に晒すのだろうか?
決して愚痴をこぼしたいわけではないし、励まして欲しいわけでもない。子を持つか悩んでる人に子供って大変だよって伝えたいわけでもない。
きっと母親というポジションは聖母マリア様のようなイメージが先行しすぎて、その心情はオブラートに包まれすぎたのかもしれない。
このイメージにより母親は我が子に対してネガティブな感情を抱くのはタブー視されてきた。
そして、そんな感情を我が子に抱いた時、母親は自分を責めてしまう。一般的な母親像と違う自分に。
母親は無条件で無性に我が子を愛して、我が子を優先して当たり前。だって母親だから。
でもね、こんなわたしのような母親向いていなかったかもなんて、しれっと言う変わり者の母親もいる。自信がないって本音を言う母親もいる。
きっと怖いのは無関心。時にネガティブな感情を抱くのは、我が子と真剣に向き合っているということなのだろう…と結局はポジティブに捉えて締めくくろう。
さーてと、休憩はこれでおしまい。そろそろ母ちゃんぼちぼち再始動しようか。
最後まで、ありがとうございました。