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6月17日 土曜日

この日のことを振り返るについて、僕はうつ病が、いろいろな意味で辛く、本当に難しい病気なのだと実感した。今僕は東京にいて、そのことは帰ってから書くことにしようと思う。

きっかけは些細なことだった。

母は回復期で調子よくなった僕を外に連れ出そうとしたのだ。一日中家の中で閉じこもっているほうが病気によくないという考えに基づく提案だった。

いい考えだ。

そう思った人もいるかもしれない。実際のところ、この提案について僕はいいとも悪いとも言えない。なぜなら、それはうつを抱えている人間の状態によるからだ。進んで外に出たい、気晴らしがしたいという人間にはこれは非常に効果的だとおもうけれど、そう思わない人間にとって、望まない時に外に出ることは非常に負担なのだ。

僕の場合は、外に出て人ごみにさらされたりすると頭痛がする。回復期でもそれはなかなか治らなかった。だから断った。そこからだ口論になったのは。

どちらの人間もある意味で、正しいことを主張しているのだから収集がつくわけがない。売り言葉に買い言葉が重なって、ついに母は、

うつ病の息子を持って幸せなわけないでしょ!

ピシャっと言って出ていった。

言われた瞬間は、僕は何とも思わなかった。出たくないものはない。頭が痛くなるのはごめんだ。

それからだ、ハンマーで頭をぶん殴られたような衝撃が、それがさらにスーパースローで半永久的に、持続的に襲ってき始めたのは。

なんだ、やっぱり僕は生きる価値のない人間だ。どこにも居場所がない。唯一の居場所だと思っていた実家にもこの病気のことを理解してくれる人はいない。

そう思った。思えば思うほど、涙があふれて止まらなくなっていた。そこから半日、母が帰ってくるまで僕は布団から起き上がることができなかった。ベランダの向こうの空を見て、あそこまで這っていけたら、飛び降りて楽になれるのにとずっと思い続けた。

そうだ、急性期だったあの頃のあの辛い感覚がリアルによみがえってくるのを感じた。僕には生きる価値がない。なにもしていない僕はいないのと同じだ。死ねば楽になれる。そういう時は本当に死が救いに思えてしまう。

帰ってきた母親は、僕に謝った。そして、だから元気になって、と。

僕も謝った。だが、元気になりたくても体と頭は衝撃からまだ回復できていない。なりたくても元気になれない。その日はご飯が喉をうまく通らなかった。びっくりしたのは、何も考えていないのに、涙がどんどんあふれてくるのだ。まるで言葉が脳の中に染み込んで脳の機能を浸食していくように、自分の意志とは関係なく涙が出てくる。

友達の言葉に助けられて、何とか自殺を思いとどまったけれど、急性期だったら僕はたぶん自殺していたと思う。回復期だったから回復も早く、大事には至らなかった。

母の言葉は悪く取るつもりはないが、本心であると思う。自分の息子がうつ病になったことを認めたくない気持ち、嘘であってほしい気持ちはわからないでもない。事実僕は、何度か母に「本当にうつ病なの?」と聞かれている。わかってはいても信じたくはない。心の底でそう思ってしまうのは仕方のないことだ。ケガのように目に見えるものではないからなおさら。

このことで、うつ病の難しさは自分だけでなく、その身の回りの人が症状を理解しにくい点にもあると気が付いた。理解してほしい、と言ってもおそらく理解はできないのだ。また、理解しようとしてくれるだけありがたいわけで、理解しようとしない人は一生理解しようとはしない。目に見えないからだ。では、うつになった人は理解できるかというと、僕はその自信はない。人によりけりの病気だし、辛さの尺度は人それぞれだからだ。

たとえば10キロの米を健康な20代男性にあそこまで運んでくれと言えば、楽々と運ぶだろう。だが、80歳の女性にそれができるかといえば、たぶん無理だ。人間の精神の中でも同じことが起こっている。人には何ということのない一言やストレスが、人によっては死に値するものかもしれないのだ。

うつ病というのはつらい話だが、当事者以外、(いや当事者もかもしれないが)誰一人完全に理解できない病なのだ。

当事者だけでなく周りの環境もが影響する病気なんだと実感した。だから、周りにうつを患っている人がいたら、その人の話をよく聞いてほしいとおもう。その人が望むことをしてあげてほしい。

まったく本当に厄介だ、この病気は。

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