水佑

2000年生まれ。言葉は、文字にして書くことが好きです。エッセイだったり、ちょっとした…

水佑

2000年生まれ。言葉は、文字にして書くことが好きです。エッセイだったり、ちょっとした物語を書いています。読書が好きで、辻村深月さんや高田大介さんの言葉をいただく日々です。

マガジン

  • エッセイ

    楽しいもの、大事なものを見つけて言葉にするのが好きなんです。 「分かる!」も「へー」も嬉しいです。「へー・・・」も、是非。

  • 小説

    小説が繋ぐものを私なりに繋いでみました。初めに書いた「現在」を読んでみてもらえると嬉しいです。

  • ショートストーリー

    私が一人好きだからか、一人行動が好きな主人公が多いです。半分空想エッセイかもしれません。

最近の記事

泣ける漫画を

普段は小説をよく読む私だが、気に入った漫画を見つけると一気に既刊を読み込んでしまう。小説と同じ感覚で読むので、もしかすると勿体ないくらいの速度で目を進めているかもしれない。 そんな私が好きな漫画の特徴は、日常的な描写で泣けることだ。 本棚に並ぶ漫画といえば ・原作 七海仁、漫画 月子「Shrinkー精神科医ヨワイー」1~13巻(集英社) ・和山やま「夢中さ、きみに。」(KADOKAWA) ・〃「カラオケ行こ!」(〃) ・〃「ファミレス行こ。」(〃) ・〃「女の園の星」1~3

    • 映画のような鏡

      先日、「ナミビアの砂漠」という映画を観た。 それが表向きは何てことのない、しかし私にとっては中々ハードな挑戦だ。 世界観や登場人物に怠惰な雰囲気のある作品が苦手だ。 普段は小説をよく読むのだが、その手のものを読んだ後は気持ちが重くなって、さらさらさらさら、緩くて暗いまま思考が流れていく。 その感覚がどうしても苦手で、小説にしても映画にしても、そういった作品に対してセンサーを働かせて避けてきた。あくまで趣味や娯楽ですし。 「ナミビアの砂漠」は間違いなく“それ”だ。 そう分か

      • どこまでも余裕がない

        10代の私に、貧困を冷静に理解することは難しかった。 私の家庭は、一時期、相対的貧困に該当する状況だったのだと思う。私が高校生の間は特にそう感じていた。 学校にいる間はあまり気にしないし、何かに苦労したという記憶はない。 でも、例えば夕食に主菜らしいものを食べられないこと。小さい頃以来外食や旅行に縁がないこと。天気が悪い日にお小遣いから交通費を出してJRに乗ること。 高校の忙しさとは別に趣味や娯楽に時間やお金を割ける友人に対して、心を動かさないこと。 うちは余裕がないの

        • 初めての健康第一

          上半期は体調に向き合った時間がほとんどだった。 ようやく分かってきた身体とどう付き合っていくのか試行錯誤中の現在、願うことはただ一つ。 健康を維持できますように 習慣を守って薬に頼ることで、やりたいことができたときに実行できる状態でいたい。 もう少し元気になって涼しくなったら、川沿いを散歩したい。実は下半期が楽しみだ。

        泣ける漫画を

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        • エッセイ
          72本
        • 小説
          8本
        • ショートストーリー
          9本

        記事

          優しい美味さとは

          コロッケは優しい味をしていると思う。どちらかと言えば甘い中身と、一方で衣のおかげで旨味もある。 大前提として優しい、加えて旨味があると嬉しくなってしまうのだ。 優しいのに美味い・・・本を私はいくつか読んだことがある。 ・椿夜にな「不協和音」文芸社文庫 ・原作 七海仁、漫画 月子「Shrink~精神科医ヨワイ~」集英社 どちらの本も、読者と登場人物を見捨てない優しさに満ちている。読んでいて泣いてしまうことが多いのは、ただ温かい物語なのではなく、多少のエッジが効いているから

          優しい美味さとは

          ゆっくりそして自覚的

          休学を選んだ私は、自分の感覚や考えに正直になりたくて、ゆっくり&自覚的に行動することを決めた。 これは自由に過ごせる時間があるから叶うことだ。 今までは、予定やすべきことを計画的に行うために、常にスケジュールなるものを意識していた。 その日や時間にすべきことを終えると気持ちがいいのも事実だったが、何かに迫られている感覚が始終付きまとうのも事実だ。「課題という予定」、「研究という予定」、「昼休みという予定」等々。 しかし、今の私の手元にあるのは、休養と資格の勉強の二つ。

          ゆっくりそして自覚的

          「読む」を読む

          昨年から朗読を始めた。本棚から一冊を選び、一人で声に出して読む。 何故朗読に手を出したのか、それはオーディオブックに興味があったからだ。私はずっと紙の本を好んできたが、聴く本というのも是非生活に取り入れたい文化だと思っていた。家事をしながら、寛ぎながら、言葉に触れられるなんていいじゃないか、と。 ただ、私は聞き取り困難症/LiDの症状があり、ずっと発話に耳を傾けるのは決して優雅なものではない。 実際に既に活字で読んだ小説を耳で聴いてみたのだが、何せ集中力が続かない。それより

          「読む」を読む

          選ばないもの

          大学生6年目、修士2年目に突入した今、私は休学という選択に足を踏み出しかけている。 それが、「選択」という意味で初めての体験になるかもしれない。 思えば、私はずっと進路や人生のあれこれを選んできたようで、決定的な選択をしたことはない。 高校は地元の進学校、県内では強豪と言われる吹奏楽部に所属し、その後は地元の国立大学で過ごした。 部活も高校も三つの姉と同じだった。それでも、経済的な事情から逃れることはできなかったものの、私がこれだと思うところへ進んできた。 選んできた

          選ばないもの

          森の全貌

          私は大学で教育学や心理学を学んでいる。 四月からM2、この数週間は穏やかに過ごしているが、本格的に調査を始めてしまえば修士論文が完成するまで忙しいだろう。 いつも、「研究」や「探求」とは何を指すのだろうと考える。 授業数の少ない大学院生の日々で、論文や研究のノートに向かう日もあれば、教授と研究に関する話をしていたらいつの間にかもっと抽象的な話をしていたという日もあり、頭の中が煮詰まって散歩をする日もあった。勿論、それ以外の部分では研究とは全く関係のない時間を過ごしている。

          森の全貌

          映画と私と、私

          田舎のショッピングモールの上階の端にある、寂れた映画館に入った。そこからさらに一番端のシアターを目指し、劇場の一番後ろの席に座った。 約一年前の春に、「少女は卒業しない」という映画を観た。 昨年、この日の体験について記事を書いた。それから、時間の経過によってあの日の記憶は変容し、当時はふわふわと浮いていた感情に輪郭が与えられた気がしている。 嘘をつけない自分の感度を信頼していい。 だから、映画のために過ごしたあの日の記憶に意味を与えなくていい。 年々日常的な冒険をしなく

          映画と私と、私

          残され残る古本屋 

          約一年前に記事に書いた、沢山の本で見通しの悪い小さな古本屋の前を通った。厳密には、店の前を通りたかった。 かれこれ二年近く足が遠のいていたところ、先日になって古本屋がある通りを歩いて向かう用事ができたので、丁度気候がよく午後の散歩にはぴったりだったのだ。 こじんまりとした白いビルの一階が見えて、私は建物よりも窪んだところにある扉やガラス窓を覗き込んだ。そうそう、と。 目に入ったのは以前よりも清潔そうな印象の店内と、素早く動く黒い服を来た何人かの人。見覚えのある建物と間取りに

          残され残る古本屋 

          適温

          昨年は、心身の体調を崩すことが多く、「健康」とは何なのかをずっと考えていた。 慣れない環境に焦ったり、勝手に不安になったり、そんなときには大抵①脳が興奮しているか②血の気が引いているかの状態にある。 話は変わり、私は毎月のテーマを設定しているのだが、2月に目指すのは「適温」である。 就職活動で忙しくなる一月に、焦らず落ち込まずにいられる丁度良いモチベーションを保っていたい。ぬるい?ほの温かい?温度には、楽しさも緊張も含まれていてほしい。 健康とは、自分の温度を保つエネルギ

          伝えるためには受け取らねば、受け取るためには伝えねば

          “誰もが伝えたいかたちでコミュニケーションを取ることができる” どんなに技術やツールが発達しても叶わない、異なるコミュニケーション手段を用いる者同士の伝達が可能になれば、毎日が幸せになる人が少なからず存在すると思うのだ。 声を使う。文字を使う。手を使う。表情を使う。目を使う。体全体を使う。いくつかを手段を組み合わせて使う。 それらに対して、個人の自由ですと言うことはできるが、ではあなたと話しましょうとなると戸惑う人は多い。 同じ手段を用いる人同士でも上手く伝わらない、理解

          伝えるためには受け取らねば、受け取るためには伝えねば

          お酒と楽しさの距離

          お酒の場は嫌いだ、とずっと思っていた。 何故なら、私はアルコールを飲めないし、聴覚情報処理障害の症状(例えば、雑音の中で人の言葉が聞き取れない)があり、複数人がいる場所で会話をすることが楽しくないからだ。 お酒を飲みながら食べて話している中で、私以外の人が似たような熱量で盛り上がっているとき、私はまるで、急にとある飲食店の席に落ちてきた宇宙人のように、その場を観察することしかできないでいる。 大学3年のとき、授業の一環で取り組んだプロジェクトで県内のある市の行政にプレゼンを

          お酒と楽しさの距離

          イラストの原風景

          誰しもが持つであろう原風景は、実は、経験したことのない風景、例えばずっと都会で育った人が田園を見て懐かしさを感じるように、人が共通して抱く印象に委ねられることが多い。 小さい頃に私たちが共有したものの一つに、絵本がある。 数多くの絵本が存在する中、絵本と聞いて想像するのはどのような頁だろうか。温かい色彩に花、動物、子ども・・・といったところだろうか。 大人になると思いだすことはないが、絵本もまた原風景のような哲学を持っている。 遠い絵本の記憶を搔き集めたようなイラストを描

          イラストの原風景

          見せない写真

          妹とカフェに行くときは、フィルムカメラを持っていくようにしている。照明やインテリアに工夫を凝らした店が多いため、普段は見られないような美しい瞬間に出合えることがあるからだ。 例えばケーキを食べるなら、綺麗な状態の皿を写真に収める。 この日は窓際の席で光がよく入り、皿に載ったものの艶や柔らかさが鮮明に写すことができた。妹は二枚の写真を見て喜んでいた。 盛り付けた皿が綺麗なのは一瞬で、実は空っぽの器が目に入ったまま過ごす時間が一番長いのではないだろうか。 美しい光景ではないも

          見せない写真