森の全貌
私は大学で教育学や心理学を学んでいる。
四月からM2、この数週間は穏やかに過ごしているが、本格的に調査を始めてしまえば修士論文が完成するまで忙しいだろう。
いつも、「研究」や「探求」とは何を指すのだろうと考える。
授業数の少ない大学院生の日々で、論文や研究のノートに向かう日もあれば、教授と研究に関する話をしていたらいつの間にかもっと抽象的な話をしていたという日もあり、頭の中が煮詰まって散歩をする日もあった。勿論、それ以外の部分では研究とは全く関係のない時間を過ごしている。
研究や探求とそれ以外を区切ることはできるのだろうか。それらに明確な境などないのではないか。
“研究をする私”をイメージすると、ありきたりだが森を歩いているようだと思う。森の中に足を踏み入れた記憶はある。でも、何のために森に入ったのか、ここと定められない出口のどこを目指しているのかは、森にいる間は分からない。
森歩きは楽しく、美しく、寂しく、苦しい。そして止め方が分からない。
私が森の中にいるはずなのに、森と私は対等か曖昧な関係になって、この森は私そのものだと思うようになる。
そんな風に今はゆっくりと考えられる暇がある。次に同じようなことを思う頃には、私は森の出口にいるだろうか。それとも、森の一番苦しい場所で思いだすのだろうか。