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エッセイ

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楽しいもの、大事なものを見つけて言葉にするのが好きなんです。 「分かる!」も「へー」も嬉しいです。「へー・・・」も、是非。
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冬の目

最近、温暖と言われるこの地域でも随分気温が低い。 二月初めの風が強い時期は家で大人しくしていたが、一月以降は好んでよく散歩をしている。 山の麓近くに住んでいるので、近所を歩けば坂を上ったり下ったり。それには慣れているので体力的には問題ない。冬の晴れた日は山も遠くの景色も鮮明に見え、坂のおかげで死角が少ない。 ただ歩くだけで清々しい気持ちになり、いつの間にか身体が温まっているのが嬉しい。 散歩の途中、これまた近所の神社に立ち寄るのがこの頃のお気に入りだ。少しだけ山に入って、

自由の象徴

タリーズコーヒージャパン(株)は、カフェにあるべきものを知っているようだ。 カフェや喫茶店の役割は何だろうか。勿論答はない。 利用の目的は様々で、特にチェーン店となれば、食事をしたり、PCを開いて仕事をしたり、放課後に友人とたむろしたり、休憩に立ち寄ったりと、同じ店にいるのに各テーブルの温度が異なっている。 私はそれを苦手に思うことが多いのだが、不思議とタリーズコーヒーではそのような客同士のずれを感じない。 意匠を凝らした意図を強調しない内装がいいのか、客の顔ぶれの影響か

話したい

人と会ってただ言葉を交わす。 どんな時代でも当たり前に受け止められてきた行いを、私は24歳にして初めて大事なものだと知った。 もともと、私は盛んに人と話すことが苦手だ。 決してお喋りではないし、聞き取り困難症(LiD)の影響もあって気軽に話すという経験があまりなかった。 とはいえ、その分数少ない友人や知人のことは大好きで、人間は好きだ。会って話せば嬉しくなるし、会わない時期はいつか会いたいと思う。 なのに、私は人と会う機会を回避しがちで、今年は一週間ほど外に出なかったせ

透明なスイッチ

私は小学生の頃から綺麗なものが好きだった。 綺麗なものというのは、主に自然、建築、本だ。 人の匂いをあまり感じることなく、心を穏やかにするエネルギーを持っているのが共通点だろうか。 大学ではまちづくりを中心に学び、卒業論文では心理学に寄った場所の愛着についてまとめた。 大学院に進んだ私は、その少し前(今から二年前)から体調を崩していた。きっかけを自覚していたけども、症状に目が向いて、様子を見ながら何とか研究を続けようとした。 しかし、就職活動を機に、一度自分の中にある悩み

泣ける漫画を

普段は小説をよく読む私だが、気に入った漫画を見つけると一気に既刊を読み込んでしまう。小説と同じ感覚で読むので、もしかすると勿体ないくらいの速度で目を進めているかもしれない。 そんな私が好きな漫画の特徴は、日常的な描写で泣けることだ。 本棚に並ぶ漫画といえば ・原作 七海仁、漫画 月子「Shrinkー精神科医ヨワイー」1~13巻(集英社) ・和山やま「夢中さ、きみに。」(KADOKAWA) ・〃「カラオケ行こ!」(〃) ・〃「ファミレス行こ。」(〃) ・〃「女の園の星」1~3

映画のような鏡

先日、「ナミビアの砂漠」という映画を観た。 それが表向きは何てことのない、しかし私にとっては中々ハードな挑戦だ。 世界観や登場人物に怠惰な雰囲気のある作品が苦手だ。 普段は小説をよく読むのだが、その手のものを読んだ後は気持ちが重くなって、さらさらさらさら、緩くて暗いまま思考が流れていく。 その感覚がどうしても苦手で、小説にしても映画にしても、そういった作品に対してセンサーを働かせて避けてきた。あくまで趣味や娯楽ですし。 「ナミビアの砂漠」は間違いなく“それ”だ。 そう分か

どこまでも余裕がない

10代の私に、貧困を冷静に理解することは難しかった。 私の家庭は、一時期、相対的貧困に該当する状況だったのだと思う。私が高校生の間は特にそう感じていた。 学校にいる間はあまり気にしないし、何かに苦労したという記憶はない。 でも、例えば夕食に主菜らしいものを食べられないこと。小さい頃以来外食や旅行に縁がないこと。天気が悪い日にお小遣いから交通費を出してJRに乗ること。 高校の忙しさとは別に趣味や娯楽に時間やお金を割ける友人に対して、心を動かさないこと。 うちは余裕がないの

初めての健康第一

上半期は体調に向き合った時間がほとんどだった。 ようやく分かってきた身体とどう付き合っていくのか試行錯誤中の現在、願うことはただ一つ。 健康を維持できますように 習慣を守って薬に頼ることで、やりたいことができたときに実行できる状態でいたい。 もう少し元気になって涼しくなったら、川沿いを散歩したい。実は下半期が楽しみだ。

優しい美味さとは

コロッケは優しい味をしていると思う。どちらかと言えば甘い中身と、一方で衣のおかげで旨味もある。 大前提として優しい、加えて旨味があると嬉しくなってしまうのだ。 優しいのに美味い・・・本を私はいくつか読んだことがある。 ・椿夜にな「不協和音」文芸社文庫 ・原作 七海仁、漫画 月子「Shrink~精神科医ヨワイ~」集英社 どちらの本も、読者と登場人物を見捨てない優しさに満ちている。読んでいて泣いてしまうことが多いのは、ただ温かい物語なのではなく、多少のエッジが効いているから

ゆっくりそして自覚的

休学を選んだ私は、自分の感覚や考えに正直になりたくて、ゆっくり&自覚的に行動することを決めた。 これは自由に過ごせる時間があるから叶うことだ。 今までは、予定やすべきことを計画的に行うために、常にスケジュールなるものを意識していた。 その日や時間にすべきことを終えると気持ちがいいのも事実だったが、何かに迫られている感覚が始終付きまとうのも事実だ。「課題という予定」、「研究という予定」、「昼休みという予定」等々。 しかし、今の私の手元にあるのは、休養と資格の勉強の二つ。

「読む」を読む

昨年から朗読を始めた。本棚から一冊を選び、一人で声に出して読む。 何故朗読に手を出したのか、それはオーディオブックに興味があったからだ。私はずっと紙の本を好んできたが、聴く本というのも是非生活に取り入れたい文化だと思っていた。家事をしながら、寛ぎながら、言葉に触れられるなんていいじゃないか、と。 ただ、私は聞き取り困難症/LiDの症状があり、ずっと発話に耳を傾けるのは決して優雅なものではない。 実際に既に活字で読んだ小説を耳で聴いてみたのだが、何せ集中力が続かない。それより

選ばないもの

大学生6年目、修士2年目に突入した今、私は休学という選択に足を踏み出しかけている。 それが、「選択」という意味で初めての体験になるかもしれない。 思えば、私はずっと進路や人生のあれこれを選んできたようで、決定的な選択をしたことはない。 高校は地元の進学校、県内では強豪と言われる吹奏楽部に所属し、その後は地元の国立大学で過ごした。 部活も高校も三つの姉と同じだった。それでも、経済的な事情から逃れることはできなかったものの、私がこれだと思うところへ進んできた。 選んできた

森の全貌

私は大学で教育学や心理学を学んでいる。 四月からM2、この数週間は穏やかに過ごしているが、本格的に調査を始めてしまえば修士論文が完成するまで忙しいだろう。 いつも、「研究」や「探求」とは何を指すのだろうと考える。 授業数の少ない大学院生の日々で、論文や研究のノートに向かう日もあれば、教授と研究に関する話をしていたらいつの間にかもっと抽象的な話をしていたという日もあり、頭の中が煮詰まって散歩をする日もあった。勿論、それ以外の部分では研究とは全く関係のない時間を過ごしている。

映画と私と、私

田舎のショッピングモールの上階の端にある、寂れた映画館に入った。そこからさらに一番端のシアターを目指し、劇場の一番後ろの席に座った。 約一年前の春に、「少女は卒業しない」という映画を観た。 昨年、この日の体験について記事を書いた。それから、時間の経過によってあの日の記憶は変容し、当時はふわふわと浮いていた感情に輪郭が与えられた気がしている。 嘘をつけない自分の感度を信頼していい。 だから、映画のために過ごしたあの日の記憶に意味を与えなくていい。 年々日常的な冒険をしなく