伝えるためには受け取らねば、受け取るためには伝えねば
“誰もが伝えたいかたちでコミュニケーションを取ることができる”
どんなに技術やツールが発達しても叶わない、異なるコミュニケーション手段を用いる者同士の伝達が可能になれば、毎日が幸せになる人が少なからず存在すると思うのだ。
声を使う。文字を使う。手を使う。表情を使う。目を使う。体全体を使う。いくつかを手段を組み合わせて使う。
それらに対して、個人の自由ですと言うことはできるが、ではあなたと話しましょうとなると戸惑う人は多い。
同じ手段を用いる人同士でも上手く伝わらない、理解できないことはある。伝わらないこととその手段が関係ないのなら、異なるかたちで伝える人にもあなたと理解し合える人、価値観が合わない人がいる。
何だか勿体ない。
伝えたいかたちでコミュニケーションを取ることができるということは、コミュニケーション手段に嘘をつかなくてよいということだ。
せめて、「伝える」ときには自分が思う適したかたちを取っていたい。
人に「伝える」手段を一つ持ち、どんなかたちの伝達も「受け取る」ことができる。これならできるのではないだろうか。
随分都合がいいように思うが、「分かろう」とするとき、人は分類できないほど多様な方法で相手の言葉を知ろうとする。
私は、話せないから伝えることを諦めたことがあれば、聞き取れないから目に見えるものから必死に相手の思いを受け取ろうとしたこともある。
嘘をつかないように、嘘をつかせないように、まずは堂々と伝えることから始めようと思う。
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