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お酒と楽しさの距離

お酒の場は嫌いだ、とずっと思っていた。
何故なら、私はアルコールを飲めないし、聴覚情報処理障害の症状(例えば、雑音の中で人の言葉が聞き取れない)があり、複数人がいる場所で会話をすることが楽しくないからだ。
お酒を飲みながら食べて話している中で、私以外の人が似たような熱量で盛り上がっているとき、私はまるで、急にとある飲食店の席に落ちてきた宇宙人のように、その場を観察することしかできないでいる。

大学3年のとき、授業の一環で取り組んだプロジェクトで県内のある市の行政にプレゼンを行った。県内ではあるものの地方は交通の便が悪いため、その日はそちらに泊まることになり、夜は居酒屋でごはんを食べた。
海沿いのまちの居酒屋は魚料理が豊富で、どれも同級生曰く「酒に合う」そう。私は、その子が言う「酒」の種類さえ覚えていない。
その居酒屋で、私は楽しそうに今日のプレゼンを振り返っているであろう同級生や教授を見つめながら、二時間で一杯の烏龍茶を舐めていた。一時間は周りが笑えば私も笑ったが、後の一時間は少しも心が動かなかった。料理は美味しかったのだけれど、魚の一つ一つの名前や料理名を知りたかった。

お酒の場は寂しい。だから嫌いだった。

それから二年が経ち、少々大人になった私は、そもそもあの居酒屋でのひと時を“お酒の時間”と捉える必要はなかったのではないかと思っている。
プロジェクトの集大成を経ての打ち上げという意味では、お酒を飲む人・飲まない人、聞き取りが容易な人・困難な人に差異はないのだから、等しく共有できる“お疲れ様”の時間として、別のかたちであの時間を過ごすこともできたのかもしれない。

とは言っても、まだ“お酒の時間”に該当する場での過ごし方など分からない。お酒を飲む人にとっては、アルコールは楽しく人と話すときにあってほしいものなのかもしれないし、私は人が好むものを止める気などないが、“お酒の時間”を楽しめないのがいつも同じ人なのは、どうも寂しい仕組みだ。

私は、私にとっての楽しい時間を馬鹿にしないために、お酒を伴う場への誘いを断ることで、その場所に参加する人たちを尊重している。それが今の“お酒の時間”への向き合い方だ。

お酒を楽しむ方へ。
お酒を伴ういい時間とは何ですか。
そこには、どんな人が想定されていますか。
私は知りたいです。

#いい時間とお酒

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