有的放矢ーー私の「向上心」、それは「日々の仕事量を減らすよう努める」こと
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【有的放矢】
ピンイン:yǒu dì fàng shǐ
意味:矢を放つ時は的をしっかり狙う。しっかりとした目的をもって行動・発言すること。
『私の「向上心」、それは「日々の仕事量を減らすよう努める」こと』
果たして「向上心」は私にとって益なのか。
常に現状に満足せず、新しい自分と出会うよう努力する。
誰もが口を揃えて「素晴らしい」と言うこのような生き様は、果たして本当に暮らしを豊かにしてくれるのだろうか。
時々そう疑ってしまうのは、何度も何度も自分が消されそうになったから。
壊れそうな程、窒息しそうな程に追い込まれたから。
生活の質を上げてくれるはずである「向上心」に。
そこで考えてみた。
私は「向上心」を理解するにあたって、何かを間違えたのではないか、と。
そもそも「向上心」の「上」がどこを指しているのかでさえもしっかり考えたことがない。
とにかく優等生ぶってひたすら自分を高めようとしてきたが、それはただ、周りに「上を目指した方が良い」と口を揃えて言われただけ。
何となく、そうした方が良いだろうと思っただけ。
受動的で盲目な頑張り。
こんな「上」の行き先でさえが曖昧な奮闘は、果たして「向上心」と言えるのだろうか。
明確な目標が無いまま「向上」にこだわり続けた結果、私に残ったのは不安と恐怖だけだった。
いつも何かに追いかけられているような気がして、不満ばかりが募り右往左往するようになった。
どこにいても、随時「ここじゃないどこか」へ逃げようとしていた。
いつだって居場所が無かった。放浪を続けていた。
だから一旦急ぐ足を止め、冷静に見つめ直してみた。
私にとっての「上」とは何だろうと。
もし、向上心は本当に
「私にとって益で、生活の質を上げてくれる」
存在であるとしたら。
そうだとしたら、「上」とは即ち、「私にとっての心地よい生き方」そのものになるはずだ。
つまり何も他人が言うような
「もっと多く!もっと強く!もっと優秀に!」
が「上」じゃなくても良いということ。
「今、ここにある幸せを噛みしめたい」が「上」であっても良いし、
「人生を楽しみ、無理せずに生きていきたい」が「上」であっても良いということだ。
そして、その理想となる「上」に向かって頑張ることが「向上心」なのであれば、自ずと
「目の前の生活に感謝して過ごすよう意識する」ことや、
「趣味の時間、休憩時間を捻出する」ことが「向上心」となる。
なんだ、「向上心」って、結局ただの手段に過ぎなかったのだ。
それ自体を目的と化していたから、どんどん迷子になっていったのだ。
さて、ここでもう一度私にとっての「上」を考えてみる。
ふむ……取り敢えずは「小さな幸せをじっくり感じ取れる、そんな余裕がある心を常に持っていたい」かな?
なるほど。
ということは、「毎日のスケジュールが慌ただし過ぎてはいけない」ということだ。
よってーー
・日々の仕事量を減らすよう努める
・定期的に「何もしない日」を作り出す
などが私の「向上心」になる。
これで目標も手段も明確になった。
さあさあ、これから頑張るぞ!
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