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千载一逢ーー人間関係は、全てが最初で全てが最後
(942字・この記事を読む所要時間:約2分 ※1分あたり400字で計算)
【千载一逢】
ピンイン:qiān zǎi yī féng
意味:千年に一度出会う、滅多にない機会であること。
『人間関係は、全てが最初で全てが最後』
私たちはこれまでの人生の中で、既に多くの「最初で最後」の出会いを見届けてきた。
ほとんどの相手とはもう一生のうちでのあるべき接触を終えている。
そして、今後二度と会うことも無いのだ。
無自覚のようだが、例えば道端や駅のホーム等ですれ違った大勢の人達がそうで、
たとえ同時にとある交通機関の車両に乗り込み、そこで数十分から数時間にわたり
同じ空間を共有出来たとしても、その相手と再びこのようなシチュエーションが重なることはもうほぼ無いだろう。
人の流れは気まぐれなのだ。
お互いを特徴ある「個体」として認知出来る機会でさえ、中々与えられない。
だから毎日顔を合わせたり、ただインターネットを通した文字のやり取りだけだとしても、
一定期間にわたって交流が続く関係は、出会いの倍率でいうと稀有なのだ。
どんな原因であれ、瞬時に消え去る出会いの中で、自分と相手とをつなぎとめる、それだけのきっかけがあったからこそである。
ただ、その所謂「安定した関係」というものも、結局はその日、その場限りなのではと思う。
人の流れは気まぐれだと先ほど話したが、その流れの要素である「人」もまた、気まぐれだからだ。
人は時々刻々と変わっている。
他人との付き合い方も、毎日少しずつ形を変えている。
これまでの接し方が今後通用しなくなることもある。
長い間、同じような仲だった人間関係も、時間が経つにつれて別物になっていく。
「今まではこうじゃなかったのに」といった過去への執着も、
「これからはこうあってくれたら」という未来への妄想も、全て当てにならない。
集中すべきは、いつだって目の前の相手。
「今」の相手だ。
大切な人との時間の過ごし方。
それはまさに、「現時点での相手」とどのような付き合い方をすれば良いのかに注力することだ。
この時間を過ぎたら、もう二度と戻ってこない。
つまるところ、どんな親しい仲だとしても、この「一瞬」をすれ違って生きている関係に過ぎない。
数え切れない、儚く、瞬く間に埋もれゆく出会い達。
今日も誰かと誰かの肩が静かにかすり、小さな音を立てた後、また世界のどこかに消えていく。
全てが最初で、全てが最後なのだ。
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