#55 もう「鏡」の向こうは、怖くない
(1516字・この記事を読む所要時間:約4分 ※1分あたり400字で計算)
奇妙な話を一つしようと思う。
自己嫌悪がひどい私が、自信と自己愛溢れる人間になれた大きなきっかけともなった、ちょっぴり不思議なお話である。
少し前、インターネットである方と知り合った。
語学に興味がある、という共通点からつながりを持ち、そこからちょくちょくやり取りを始めたのが馴れ初めだ。
第一印象は、性格がカラッとしていて、素直で努力家。
楽しそうにひたむきに生きている姿から、いつもエネルギーをもらっていた。
この方と話すのが好きだった。
そして何よりも、「似ていた」。
趣味や好みもそうだが、根本的にある「何か」が同じであるような気がした。
加えて、交流が深まるに連れ、成長過程や家庭環境も似ていることが分かった。
いつも「同じだね!同じだ!」と、共通点を見つけるたびに笑い合った。
その後も、しばらくインターネット上での交流は続いたが、私が日本を出、中国に移住することが決まった時
「せっかくだから実際に会ってみよう」
ということで、
一度だけだが、オフラインで遊ぶことになった。
私は初めての人であればかなり人見知りするタイプなのだが、この方の場合は、初対面に関わらず自然体でいられた。
心から安心出来た。
ほっとするような、肩の力が抜けるような、そんな暖かさを感じた。
先ほど私達は「似ていた」と書いたが、相手に実際に会ってもう一つびっくりしたのは、顔もそっくりだったということ。
加えて話す際の表情や話し方までもがそうだった。
これを意識してからというもの、鏡の前に立つと時々目の前に映っているのは私ではなく、その方なのではと錯覚が起こることがあった。
なんとも、奇妙なことである。
それからだ。
私が「自分なんか大嫌い」と思えなくなったのは。
私はこれまで鏡を見るのが苦痛で仕方がなかった。
見た目に自信が無かったのもあるが、何よりもずっと「自分は生まれて来なければ良かった存在」と思い込んでいたので、鏡に映る自分を見るに堪えなかったのだ。
「私が存在している」を意識させられる。
それが辛かった。
いつも思っていた。
「どうしてこんな姿で生まれたのだろう」
「消えることが出来たら、どんなに良いのだろう」
でも、この方に出会ってから、そんな風に思えなくなった。
こんなにもそっくりの、まるで「もう一人の私」のような存在がいる。
「私なんて醜い存在」と思えてしまえば、
相手のことを「醜い」と思っているのと同じで、
「私なんか生まれて来なければよかった」は、
「相手なんかい無くなれば良い」と思っているのと同様だった。
自分を嫌いになると、相手をも嫌うことになる。
それが忍びなかった。
この方が大好きだったからだ。
だから自分を愛することにした。
それがそのまま、相手への愛情になる。
そんな気がした。
そこから段々と自己嫌悪が和らぎ、自信が芽生えた。
いつの間にか、私は「生きていて良かった」とでさえ思えるようになった。
私たちはあれから、急速で親密な仲へと発展していったーー
でも、それが後の関係破綻をもたらした。
短期間でぐっと距離を縮め過ぎた。
あまりにも近過ぎたのだ。
お互いに窮屈さを感じるようになり、ある日相手から「拒絶反応が出るからもう話せない」と打ち明けられ、私達の関係は終わった。
あれから一切連絡を取っていない。
相手が今、どこで何をしているのかも分からない。
ただ私は今でも時々、鏡を覗き込むとやはりまるで相手を見ているような錯覚が起こる。
そして「今でも君は大事で大好きだよ」と静かに相手のことを思っている。
あの方と寄り添って過ごした日々に慰めを感じていたこともあったが、もうそれは必要ない。
私は、私でいることで、ここに生きていることで十分満たされているからだ。
もう「鏡」の向こうは、怖くない。
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