居心地の悪さが生んだ、新しい出会いと可能性
私が中国語を学び始め、早いもので6年ほど経つ。実はそのきっかけは、日本のある歌手のファンを辞めたことだった。
*クソつまらない昼食の話題に、懐かしの歌手の話題を振ってみたら*
13年ほど前のある日、中学時代からの友達から誘われ聴いてハマった音楽ユニットacsess。彼らは遡ること約25年ほど前に一世を風靡し、その後一旦活動を休止、その間互いにソロ活動やプロデュース業を経て再び二人で活動を再開してまもなくの所だった。
子どもの頃にエレクトーンを習っていた私は、浅倉大介の職人技とも思える程の電子音の打ち込みの密度と独特のキラキラしたサウンド、貴水博之独特のハイトーンボイスとおっとり天然ボケキャラの組み合わせにすっかりハマり、追っかけとして東京や名古屋、大阪と旅行を兼ねてコンサートを見に行っていた。
そんなある日。
会社の更衣室で女子が集まりいつものように昼食をとっていた。話題は当然社内の噂話になる。
「くっだらない」「めんどくさ」と思いながらも言えるわけもなく、ただただ相槌を打ちながら楽しそうに聞くふりをする。
毎日毎日、各部署から集まった女子たちが日ごろ耳をそばだてて収集したあれこれを順番に披露し、皆で高みから批評するのを愛想笑いしながら聞くのが恒例。そんな輪の中にいる自分にも嫌気がさす。
ダメだ…。
せっかくの休み時間なのに、こんなんじゃ全然心が休まらない。
とは言え代わりに当たり障りのない話題になりそうなドラマや芸能人について話を振りたくても特に何もネタがない。かといって、自席の横の机はミーティング用の机でミーティングや来客や作業で常に使われていて、自席で食べるのもはばかられる。しかもその時季節は梅雨。あぁ。結局、更衣室以外に弁当を食べる適当な場所がない。
その時ふと思ったのが、世代的に先輩も知ってそうなaccessの話。プライベートのことを噂が大好物な会社の人達に晒すのはリスクだけど、話を振ってみたら懐かしがって間が持つかもしれない。少なくとも、噂話のイライラからは逃れられる。そう思い、思い切って最近accessのコンサートを見に行っている話をしてみた。
*気が付くと、もはや旅行代理店社員と化していた私と旧友*
すると、なんと実は学生時代acsessの大ファンだったという先輩。魂に火が付いたようで突然前のめりも前のめりで思いっきり食いついてきた。そしてマシンガントークに呑まれるうち、あれよあれよという間に他の先輩と私の旧友も含めた4人で追っかけツアーに一緒に行くという展開になってしまった。
なんということだろう。普段、朝会社で会って「おはようございます」と挨拶しても無視する先輩となぜか一緒に旅をして食事して、コンサートを見るという不思議体験。
ということでその後6年間ほど、公演チケットの手配はファンクラブに入っている旧友が、そして宿と交通の手配は私がまとめて行う形での奇妙な追っかけツアーが続いた。
とは言え、複数回公演を見、それが4人分となると旧友が立て替えてくれているチケット代もなかなかの額になる。なので旧友がチケット料金は前払いをお願いしても、先輩方は「手数料がかかるのが嫌。当日払うから」と払おうとしない。それでこれ以上旧友に迷惑がかかるのが嫌で、私は自分の分と合わせて私が先輩方の分も一旦立て替えて払う形で対応していた。
また、旅の最中、どうにか良い雰囲気を作ろうと思い、会話を回すべく先輩に積極的に話を振り、相槌を打って盛り上げると先輩もそれなりに応えてくれる。しかし翌朝会うとやはり会社では挨拶すら無視なのは相変わらず。しかも普段から批判的な会話が主体な先輩方なので、宿や食事の店選びにはものすごく気を遣う。
更に先輩方二人は好き嫌いがあまりに多く、2人共が食べられる野菜は片手で数えられるほどしかない上、麺類も辛いのもダメ。おかげで何か料理を頼んでも、お肉は先輩、先輩方が食べれない物を私と旧友が食べるという展開にならざるを得ず、いつの間にやら「割り勘なのになぜか、なかなか肉にありつけない」という謎の役割分担まで出来上がっていた。
結局、楽しむためにコンサートに行っているはずなのに、公演中以外は気持ち的には接待な上、何より旧友も巻き込んでいるということへの申し訳なさ。
少なくとも私は「どうにかして会社に馴染まなくては!」という思いがあるから最悪楽しめなくても良いし、先輩方のワガママにも耐えても「会社の人との共通の話題」というリターンを期待する余地がある。だけど旧友はどう?先輩が合流して以降もちゃんと楽しめているのだろうか?
そんな事を考えるうち、なんだか段々コンサートの情報を聞いても、いまいちテンションが上がらない自分がいて「次のツアー、日にち出てたよ!行くよね?名古屋と東京、どうする??」とノリノリで言ってきた先輩に「すいません、わたしaccessに飽きちゃいました」ととうとう言ってしまった。
*さて新しい趣味、どうしよう*
別に本当に飽きたわけではなのに、先輩と同行するのが我慢の限界に達した勢いで思わず「飽きた」と言ってしまった私。もちろんこっそりコンサートに行くことも考えたものの、会場でうっかり出くわしでもしたら、その後会社でいたたまれなくなるのは目に見えている。残念だがもう二度とaccessのコンサートに行くわけにはいかない。
しまった。でも、もういい。しょうがない。
だってもう、テンションが上がらないんだもの。ならば別の歌手にハマろう。それでハマったのが台湾の歌手だった。
少し前に旅行で初めて台湾に行き、いろいろ親切にしてもらったのに「謝謝」しか中国語を知らず、自分の中の「ありがとう」の気持ちを十分に伝えきれないはがゆさ。それを解消したくて見ていたNHK教育テレビの「テレビで中国語」に、ある日たまたま出ていたその歌手のトークの面白さがたまらなくて、私はさらに中国語にもハマることになった。
*居心地の悪さが、新しい出会いと可能性を生む*
それから6年。
まさか自分がここまで中国語を理解できるようになるとは思ってもいなかった。と言っても、今もまだそこまでペラペラではないのだけど、少なくとも特技の一つと言える物が手に入った。
もし、あの時先輩がもっと協力的で追っかけの旅がもっと気楽で楽しかったら。恐らく私は今もaccessのファンを続けていただろうし、語学を通じて知り合った多くの友人や先生と知り合う事もなかっただろう。そして何より、中国語を少し話せることで体験することができた多くの経験を得ることもできなかっただろうと思う。
そしてこの数カ月、私がnoteに投稿し続ける中で何度も繰り返し出てくるテーマである「多様性」も、中国語との出会いがなければ、私の人生の中でこんなにも重要なキーワードにはなり得てなかったと思う。
そう思うと、結果論ではあるけれど、この語学との出会いを生んだ先輩方の自分勝手さには、本当に感謝しかない。だからこそ一見ネガティブな「嫌だ」という感覚や経験も、結果的にはポジティブに転じる可能性を信じている自分がいる。
2020年。新型コロナは大きな変化をもたらし、私にとっては会社を辞めるきっかけを生んだ。
もちろんポジティブな出来事ではないけれど、これを契機にネガティブに転がるか、ポジティブに転がるかは、案外一人一人の捉え方次第なのかもしれない。