【映画所感】 哀れなるものたち ※ネタバレ注意
成人向け“アルジャーノンに花束を”
ものすごく乱暴な例えなのは百も承知。
しかし、成長しきった器の中で、純粋無垢な脳みそがいちから育っていく有り様は、オールタイムベストなSF小説と共通項が多いように感じた。
R−18ということから推察される通り、単に日々の生活と鍛錬、学習によって運動機能と知性が爆発的に発達していくだけではない。
成長に伴い芽生える、自身の“性”への関心と欲求に抗う術を持ち合わせない女性の、奔放な冒険譚にストーリーの中心が置かれる。
天才解剖医・ゴッドウィン(ウィレム・デフォー)の管理下で、純粋培養されてきた主人公ベラ(エマ・ストーン)が、放蕩者のダンカン(マーク・ラファロ)の誘惑に流されるまま、船に乗り込んでからが白眉の展開。
エマ・ストーンを筆頭に、演者たちの激しい性表現が、監督・ヨルゴス・ランティモスの思い描くヴィジョンを具現化していく。
ハリウッドのトップ女優を主演に起用した娯楽大作だけに、信頼のおけるインティマシー・コーディネーターが就いて、俳優陣のサポートと精神的ケアには万全を期しているとは思う。
だが、それでも心配になってしまうほど、ランティモスの演出は過激で煽情的。
ヴィクトリア朝時代における、行き過ぎた家父長制による女性への抑圧。理不尽な男性社会のルールを、ベラは本能の赴くまま痛快に突破していく。
ゴッドウィンの邸宅に閉じ込められていた序盤は、モノクロの映像と不可思議な不協和音が耳に残る劇伴で、ベラの不完全さを表現。
ダンカンとともに外の世界に繰り出してからは、鮮やかなまでの色彩がスクリーンに広がり、ベラのこころの開放を象徴。
このコントラストが実に美しい。
ストーリー中盤、軽やかに舞うベラのダンスシーンは、本作のハイライト。
節目節目で登場する女性キャラも素晴らしい。
船内で知り合う老女・マーサ夫人や、娼館の女主人・スワイニーの人生を達観したような助言は、ベラだけでなく観客にも大いなる影響を与えるだろう。
ベラの自由への渇望は、ダンカンやゴッドウィン、その他の男たちの支配を決して許さない。
あくまで自分主体の快楽の果てに掴んだ自由と、残酷な社会の現実を浮遊しながら、ベラは確実にひとりの人間として、まばゆいまでに成長する。
でも決して忘れてはならない。最後のオチにあるように、この物語はベラの目を通した、壮大なコメディなのだ。
奇想天外なベラの一大叙事詩は、不敵な笑みで締めくくられる。
ベラ姐さん、一生ついていきます!