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生まれる時代が早すぎた学者 パースの思想とは何か? 記号学、哲学(現象学)、プラグマティズム

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なんとなく、チャールズ・サンダース・パースの哲学が面白そうと思って、色々文献を漁ってた。

米盛裕二『パースの記号学』とか論文とかね。

でも、いくら読んでみても、「この人結局何がしたいんかな?」と全然パースのことが分からんかった。

そも文章が読みにくいから、イライラするしね…

でもある時ふと閃いた。カール・ポパーの反証可能性と、現象学がきっかけだった。

「こいつ、科学の真理とは何か?の議論を先取りしてるのか」

パースは1800年代の人(1839年9月10日 - 1914年4月19日)なんだけど、1900年代ごろにやってた「科学的な正しさとは何か?」の議論を先取りしてる。

※科学的な正しさの議論→論理実証主義と反証主義、ラッセルやゲーデルとかの数学の基礎づけ(≒数学の正しさの土台とは?)、科学哲学の論争等々

パースの主張にプラグマティズムと批判的常識主義(可謬主義、知識は誤りうる)があるけど、これの中身って

プラグマティズム≒論理実証主義
可謬主義≒ポパーの反証可能性

とほぼ同じなんだよね。

…パースの有名な〈プラグマティズムの格率pragmatic maxim〉で,その格率におけるいわゆる〈実際的結果〉という概念が後にジェームズらによる多くの誤解を招いた問題の概念である。パースの言う〈実際的結果〉とは,たとえばジェームズが言うような〈だれかの上に,なんらかの仕方で,どこかで,あるとき生ずる〉具体的特殊的心理的効果のことではなく,それとはむしろ逆に,未来のあらゆる状況において,もしある一定の一般的条件を満たすならば,いつでもだれでも実験的に確かめることのできる結果--言いかえれば,合理的に思考し,実験的に探究するすべての探究者たちが最終的に意見の一致にいたらざるをえないような客観的一般的結果--を意味している。

コトバンク プラグマティズム

↑要するに再現性。条件揃えで同じ結果がでることが大事。


パースは、スコットランド常識学派を批判的に承継し、自らの立場を「批判的常識主義」と称する。デカルトは、全てを疑い、その末に絶対に疑いえない精神を発見したというが、そもそも人は何かのきっかけがあってそれを意外に思うからこそ疑いを持つのであり、デカルトの方法的懐疑のように自らの意思の力によって疑いを持つことはできない。なぜなら、人は特に積極的な理由がない限り「疑いえない常識」の世界に生きているからである
「信念の固定」では、特別な理由により、「疑いえない常識」に疑念が生じたときに、その疑念を振り払って再び疑いを得ない「命題」や「推論」にたどり着くことで人の信念を固定する方法として、固執の方法、先天的方法、権威の方法をあげた上で、科学的方法の優秀さを論じている。

wikipedia プラグマティズム

↑は反証可能性とほぼ同じ。
批判的常識主義→常識的な知識は間違うことはあるけど、修正をしていけばだいたい正しいからok

※ちなみにポパーとの違いは

パース「合理的な科学者たちの中で、最終的に意見が一致すれば、それが真理」→科学者の集団の中で意見が一つにまとまっていけばOK

ポパー「すべての理論は仮説に過ぎない。反証可能性がなければ科学ではない!」→反証の大切さの強調



つまり、パースのプラグマティズムの中に、科学でいう所の再現性・実証と反証の考えが詰まっていたと言える

とすると、パースが何を目的に哲学や記号学、論理学を研究してたのかっていうのもわかる。

恐らくパースの目的は、科学の土台をしっかりと固めることにある。

真の実在を見つけたい→そのために科学の土台を固めたい→そのために記号学、哲学が必要だ!

で、なぜ科学の土台に記号学と哲学が必要なのか

・科学の理論は記号≒言語で構築される。いわば科学をつくるための部品パーツが記号→だから記号を厳密に研究しよう

・記号の研究のために、人間の意識の在り方とか、日常経験の中から、最も普遍的なカテゴリー=概念を見つけて、それを最初の土台にしよう→哲学、特に現象学

ここにプラグマティズムも絡むのがパースのややこしさ

パースはプラグマティズムについて「信念を固定する方法」だの「プラグマティシズムは知的概念の意味を明晰にする方法」だの言ってて、そこから考えられる主張は、

・概念の意味/定義は、実験可能なものでなければならない

理論どころか、理論のパーツとなる科学的概念さえも仮定に過ぎないし、検証によって語の意味を確かめるべきである。
というのがパースの主張になる…やべぇなこの人😨

まとめ

まとめると、パースの思想は、記号学と哲学(現象学)とプラグマティズムが密接に絡み合ってる。

・記号学は科学の土台
→記号(≒言語)なしに、科学は成立しない

・現象学は記号学の土台
→この世で最も普遍的な概念=カテゴリーはなんだ!?
→意識の在り方、日常経験をもとに記号を研究

・プラグマティズム=記号の意味の確定方法
→記号の意味は、ちゃんと検証されて初めて確定される
→理論だけでなく、科学概念の意味定義は、テスト可能(=再現性、反証、実証)なものでなければならない
→理論は仮説にすぎないように、概念の意味も仮定にすぎない

科学の土台を固めるために、記号学→現象学→プラグマティズムが絡んでるのがパース

多面的な学者だけど、思想のコアはここらへんだと思う。



○関連する哲学者など

フッサール、ポパー、ヴィトゲンシュタインと絡めて語る

フッサールとパース


パースと同時代(1859年4月8日 - 1938年4月27日)に生まれたフッサールも現象学を生み出してる

フッサール「エポケーして純粋意識だ。無前提の本質直観を取り出さねば→生活世界が土台にある。理念の衣で見えてないから現象学的還元だ」

パース「知覚の束で認識は制限かけられてる。思考は記号≒言語として取り出せる→記号を分析だ→もっと細かく分析せねば!」→ワケワカメ😰

共通点は
・学問の土台を固めたい
・日常生活と向き合う必要があるよね(フッサールは後期で主張)

違いは手法かな
フッサール現象学的還元→感覚与件に立ち返って真理に迫ろうとする

パース現象学→日常経験の中で使ってる記号≒言語を分析して普遍的な概念を探す→最も普遍的なカテゴリーで学問の土台を固めようとする

パースは認識が制限かけられてることには早くから気づいてたけど、記号分析が細かすぎて誰も理解できてない状態になっていそうw

ポパーとパース


ポパーの反証可能性は、パースのプラグマティズムを誰にでも分かる形に説明してくれたものとも言えそう。ポパーはパースに影響受けてるし。

ただ、科学理論どころか、科学の概念の意味さえも、検証できなければならないっていうのが、恐らくパースの主張↓

・科学概念の意味定義は、テスト可能(=再現性、反証、実証)なものでなければならない
・概念の意味も仮定にすぎない

言葉の定義すらも現実でテストする必要があると主張する過激さがあるのがパースだけど、ポパーは読み取れていたのだろうか?

たぶんポパーは記号学と現象学の部分はあんま理解してない印象がする

…でも当時で理解できる人とかどのくらい居たのよ🫠パースの目的もよく分からんかったろうし。
理解できてなくてもしょーがないよぉ😭パースが悪い😠


ヴィトゲンシュタインとパース


この二人はかなり似てる

ウィトゲ「世界とは事実の総体である」「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」
パース「私の言語は私自身の総和である」「すべての思考は記号だ」

要するに人間の中身は言葉の使い方によく現れているという話。

言語力はそのまま本人の認識力を表しているケースがほとんど。

あと言語の意味が何によって決まるか?を研究してるのも同じ

パース→プラグマティズム→言葉の意味は実験によって確かめなければならない
ウィトゲ→言語ゲーム→言葉の意味は文脈によって決まるから言葉が通じてるかチェック。言葉の蝶番。

しいて違いがあるとしたら、分野。

パースは科学の領域で、
ヴィトゲンシュタインは哲学≒日常世界の領域で、

それぞれ言語の在り方を探求したと言えそう。

言葉の意味が何によって決まるか

科学(学問)→実験、検証、再現性によって→プラグマティズムの格率
日常生活→文脈。言葉の定義を互いにすり合わせていく→言語ゲーム

という違いがあるのかと。

参考文献
米盛裕二「パースの記号学」
論文 C. S. パースの記号分類に基づく設計プロセスの分析など

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