積む気のない議論は要らない
どうも、劇団CLOUD9の小沢です。
自主的に引きこもっている間にお盆が過ぎて、ちゃんと秋の気配の漂いを感じます。
まだ暑いですけど、ジメジメが無いですね、もう。
カラッとした暑さに変わってます。
秋ですね、秋、もうすぐ秋です☺️
四季で唯一好きなのが秋なのです。
…と、字面はルンルンしておりますが、
当方、未だ声が出ず燻っております。
やっとちょっと音になり始めました。
感動です。
もう喉に違和感があるときは無理をしないとここに誓っておきます。
違和感を覚えたときは立ち止まるのが吉ですね。
そういえばこないだ覚えた違和感、
喉の他にもありました。
お家でじっとYouTubeサーフィンをしていたところ、某論破系YouTuberさんの論調になんか違和感を抱きまして。「虫唾が走った」と言い換えても差し支えのない違和感でした。
なんだろなあこれは、と思いいろいろ自己探求してみました。これまでその方の話を聞いても特に気になる部分もなかったのですが、それを境にいくつかの意見にどうもイライラしてしまうようになりました。
違いは何かなあといろいろ考えてみてひとつの見解に辿り着きました。
僕が腹が立っていたのは「積み上げる対話をしていないとき」でした。
議論と言ったりディベートと言ったり、口喧嘩と言ったりまあいろいろある中で、「論破」を2種類に分けられることに気づきました。
その2種類というのが、
「積み上げた末の王手をかける」と
「ただ相手の打った手を壊す」です。
相手が1つ欠片を積み上げたときに、次にこちらができる手として「上に乗せる」「欠片を壊す」「相手の積んだ欠片を整える」が考えられるとします。
MCやファシリテーターなんかがよくやるのが3つ目の「整える」です。誰か別の人が意見を乗せやすくする手です。
で、対話を重ねるのを積み木を積み上げると言い換えるとすると、相手の積み木の上に自分のを「乗せる」か、積まれた相手のを「壊す」か次に繋がるものとしてはこの2つです。
最終的に相手が次の積み木を乗せられなくなったら「論破」になります。
高く積みすぎてこれ以上相手が積める可能性を潰すか、出てくる相手の手を壊し続けて行く手を阻むか。
前者は凄く見聞きしていて心地よいのですが、後者は虫唾が走ります。
後者はもはや、論破のための論戦だからです。
論破のための論戦なんぞ、その人の自己防衛か自尊心の誇示かでしかありません。
そういえば過去に何度かこの手で攻撃されたことがあるなあと思い出しました。
勝ち負けの議論はほんとに無駄だなあと思います。
だったら積み上げて、確固たるアウフヘーベンに辿り着こうよと思っちゃいます。
キミのその上には積めないよって言うなら、壊すんじゃなくて整えて自分のを置けば良いんじゃないですか?
それができないorやる気がないなら、それは最初から共により良いものを掴もうという気持ちではないということだと思います。
自身の誇示が目的ならそれができる環境を自分で作ればいいんです。
…と、つい熱くなってしまいました。
もう秋だというのに、引きこもっているがゆえ、まだ中は夏のようです。
そろそろ夜風で内心を冷まして、
秋に存分に懸命に走り出せるようにします。
僕が創りたい環境は論破して誇示するような場ではありません。素直に自己表現し合いながらより良い場所へ、より高いところまで積み木を積んで行けるような環境です。
あなたにとって、私にとって、今日という一日が、
かけがえのない明るく輝く一日でありますように。
2022.8.19 共鳴|違和感を覚えた論破
* おしらせ *
■自己紹介のようなもの
「夢を追い続ける、小沢佑太のガイドブック」
■関西で劇団立ち上げました!〜劇団員募集〜
■小沢の出没情報🥷
①9/3(土)-4(日)@Salon de ぷりんしぱる(大阪市)
劇的☆爽怪人間『BAR ショパン』
#舞台監督補佐 #ピアノ演劇
②10月15(土)-16(日)@イカロスの森(神戸市)
劇団CLOUD9 (第1回)旗揚げ公演
『グッバイ、ブルーバード[happy happy]』
#演出 #主宰 #舞台監督 #制作
③11月??@??(大阪市)
劇団??『???』#舞台監督