“かわいそう” なんかじゃないです
こんばんは、小沢佑太です。
今日は遅ればせながら後出しになってしまった演劇公演の企画書なるものを作成しました。5000字ぐらいぶっ通しで書き続けて、想いの詰まった企画書ができました。
というわけで、もう今日はnoteに費やす時間と心が残っておりません😭
日中、Twitterで見つけたとある高校生のつぶやきで、
ちょっと気になったことがあるのでその話をちょろっとだけ書きます。
覚えている範囲での再現ですが、
「いろんな行事がなくなり、縮小され、我慢の連続だったけど、かわいそうだって大人に散々言われたけど、私は自分の高校生活をかわいそうだなんて思ったことはない」
こんなようなことを書いていた気がします。
ググっときました。
すごく共感しました。
社会人1年目がコロナ大旋風でした。
社会に出てからの飲み会というものをほぼ知りません。
上司からよく可哀想だと言われますが、
むしろ僕としては好都合だし、
全く可哀想だなんて思いません。
好きな人とご飯に行く時間を選べて、
自分の時間を守れて、
付き合いじゃない真のコミュニケーションを大事にできる、
そういう環境でいられてよかったって思います。
かわいそうだと思うのは勝手だけど、
口に出して言わなくても大丈夫だぜ?
と僕は思います。
かわいそうだというのはあなたの色眼鏡で見た価値観であって、その眼鏡を持っていない僕には概念すらないのだから気にならない、というものです。
書いてて何かに似てるなあと思っていたら、
わかりました。
蕎麦です。
僕、生まれつき蕎麦アレルギーなので、
蕎麦を口に含んだことがありません。
蕎麦の味、わかりません。
あと生卵もダメです。
卵かけご飯の味を知りません。
食べられないけど、
かわいそうだとは思いません。
だって食べたことないし、
どんな味かも知らないし、
我慢してるわけでもないから。
そういうもんなんだって感じ。
だから全然かわいそうじゃないです。
そういうことって案外あちこちに散らばっている気がします。
かわいそう、というのは、
自分の側に立って歩み寄ろうとせず、
同情しようとする時に出てくる言葉なのかもしれません。
僕はかわいそうという言葉は
あんまり使わないようにしています。
何歩か近づいて寄り添えば、
きっとまた違う優しい言葉が出てくるはずです。
あなたにとって、私にとって、今日という一日が、
かけがえのない明るく輝く一日でありますように。
2022.3.8 共鳴|史上最速10分で1000字
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4月23日(土)神戸にて
小沢佑太セルフプロデュースの
一人芝居公演【産声】
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「夢を追い続ける、小沢佑太のガイドブック」
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