#286 気を付けよう!「決めつけラベリング」の危険性
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
今日は、先日スタエフの方でも少し話したテーマを深掘りしたいと思います。
該当の放送はこちら。
何らかのプロジェクトや物事が上手くいかない時や、必要以上に時間がかかる時の原因って、「コミュニケーションコスト」によるものが結構大きいのでは?と考えています。
取り組むプロジェクトそのものの難易度やプロセスがいけてない、取り組むチームに能力が不足しているとかもあるのですが、プロセスがある程度確立されたプロジェクトで、過去に類似プロジェクトをやり終えた実績があるメンバーでチームを組んで取り組んでも、物事を進める過程で何らかトラブルが起こったり、揉め事が起こったりするのは、「コミュニケーション」の問題に起結するシーンが多いと感じています。
「コミュニケーション能力が高い」と聞くと、思い浮かべるのは「調整力」が高いとか、外交的で誰とでも臆せず話せるとか、そういうイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか?
私は、「コミュニケーション能力」とは、「物事を誤解なく伝えられる能力」「相手の話の真意を理解できる能力」だと捉えていて、「調整力」や「外交性」という話ではないという意見です。
結果的に、コミュニケーション能力が高い人と話していると「一緒に物事を進めていて、ストレスを感じない」という結果が得られるのですが、やっぱそういう人の方が一緒にいたいと思うので、私はそういう人になりたいと思っています。
じゃあどうすればいいの?を考えるには、「一緒に物事を進めていて、ストレスを感じる」人の特性を理解して、そういう人がやってしまっていることをやらないようにすることが分かりやすくて良いと思っています。
その代表的な一つが「決めつけラベリング」です。
「決めつけラベリング」とは?
「決めつけラベリング」とは完全に私の造語なのですが、「物事の背景や経緯を理解していない状況で、一部だけを切り取って、勝手に自分の解釈で事象に対して名前を付けること」と定義しています。
例えば、何か発生したことや、疑問に感じたことを相手に聞いて、それに対して一次的に回答した内容や発言したことから、すぐに「検討漏れが発生した原因と対策を報告してください」とか「過去に御社が考慮不足だった理由の深掘りと横並び確認をお願いします」みたいなことです。
ここで言う、「検討漏れ」とか「考慮不足」みたいなワーディングを何気なく使ってしまうことを私は「決めつけラベリング」と呼んでいます。
システムエンジニアとして仕事をしていて、本当によくあるのは、何か想定と異なる事象が発生して問い合わせを受けて回答した時に「それは仕様バグですね」と言われたり、「試験不足の原因を報告してください」と言われるシーンです。
これは社外とのやり取りだけでなく、社内でも然りで、昔の上司でカチンと来たケースもあります。
プログラムの試験工程の後半で問題が検出されて、「なぜ検出できなかったのか」について、先輩とあれこれ議論していた時に、フラッと話を聞きにきた別チームの上司が表面的な話だけを聞いて、「そこまで考えを及ばせることができる人間がいなかったということだな」とだけ言って立ち去っていきました。
今考えると、こんなデリカシーがない人がいるのか!と呆れるしかありません。
「決めつけラベリング」の弊害
「決めつけラベリング」は、実は頭の回転が早い人のほうがやってしまいがちで、本人もそれが悪いことだと気付かずにやってしまっているのが危ないところです。
ただ、冒頭に述べた通り、コミュニケーションコストを考えると「決めつけラベリング」をやってる人ってかなり致命的なんですよね。
「決めつけ」そのものの悪さ
何かを「決めつけ」られて、嬉しい人っていないのではないでしょうか?状況をよく知らない段階で、100%その事情を理解して、その人の立場で物事を考えることができる人なんていないでしょうし、バイアスがかかった話で「あなたはこうだ」と言われることほど、不快なことはありません。
例えば、小さな子どもがいる母親に対して「○○さんは、お子さんが小さいから出張はできないですよね」とかはその典型例でしょう。
小さな子どもがいるのは父親も同じですし、「小さな子どもがいる女性は、出張できない」というその人が見えてる小さな世界における謎のバイアスだけで話しているんですよね。
このケースでも、本人はそのデリカシーのなさに気付いてないのではないでしょうか?1つの視点でしか物事を見れず、その判断軸に基づいて、自分のキャリア上のチャンスや、やりたいことが制限されるなんて、たまったもんではありません。
「ラベリング」の悪さ
膨大な情報をそのまま理解できるのは、ほんの一握りの人しかおらず、ほとんどの人にとって情報は「印象」で理解されます。
「ラベリング」は、正しく使えば、人が何かを理解するときに必要な、情報の構造化・体系化に役立つ反面、誤用すると、誤解のもととなる言葉だけが一人歩きして、ミスリードしかしません。
期待値とは異なる何かが起こった事象や原因に対して、安直に「考慮不足」とか「検討漏れ」みたいにラベリングされてしまうと、それが実際の事情とは異なるのに、多くの人に「考慮不足」があったのか、と誤認されてしまいます。
そして、誤認そのものよりも、誤認された側のやる気が一気に削がれてしまうのが、最も怖いことです。
先日扱った「ペナルティ文化」もそうですが、問題解決にあたろうとする人たちのやる気が削がれることが、最も大きな弊害です。
何事も経緯や事情がある
何事もパフォーマンスを上げるためには、関係者がストレスなく気持ちよく取り組める環境が大切です。
「決めつけラベリング」はその弊害でしかなく、一部の情報から、勝手に自分の解釈で決め付けて、さらにそこに相手が不快に感じる名前まで付けてしまうなんて、コミュニケーションを悪くしかしません。
大切な考え方は、当たり前なんですが「まずは、目の前で起きていることの背景や事情をよく理解しようとすること」です。
表面的な情報だけで、決して短絡的な結論を出さないこと。これに尽きると思います。
「過去の考慮不足」という1つをとっても、「過去に物事を決定するにあたって、十分な検討時間がないまま、当時はベストと思われる判断をした」とか「考慮不足の原因を報告せい、と言っている側の組織も、過去の決定に同意していた」とか「過去の状況では、そもそもその観点を考慮する必要がなかった」とか、色々と裏があるのが常です。
それを「(暗にあなたたちの)考慮不足の原因を報告してください」と言われた側は、とても前向きに問題解決に協力したいとはならないですよね。
双方の議論を尽くした上で、「それは考慮不足だったね」と合意するまでは、決して「決めつけラベリング」になってしまう「考慮漏れ」という言葉は使うべきではありません。
真のリーダーに相応しいとか、人間的にも尊敬できると思う人は、すべからくこう言った言い回しには、すごく繊細で、細かく配慮しているのを感じます。
ちょっとしたことでも「教えてくれてありがとう」とか「無理言ったけど、やってくれて助かった」とか、一言あるだけで「またこの人を助けたい」と思えるかどうか変わりませんか?
これも全部「相手思考」に帰結するんですよね。
「人からどう思われるか」を考えすぎると何もできませんが、一緒にプロジェクトを進めているメンバーに対して、「決め付けでこういう言い方するとやる気削がれるよな」を配慮できるかどうかというのは、デリカシーの話でまた別の話です。
こういった言い方とか少し気を付けるだけで、あらゆる物事が、今よりも上手く回っていくのにな、と感じます。