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#361 平等性と公平性。自己開示と合理的配慮ができる組織は強い

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

最近、多様性とインクルージョン(組織の構成員が尊重されて、能力を最大限発揮していること)について考える機会が何度かあったので、それをテーマに話をしたいと思います。

平等性と公平性

下の絵は、インクルージョンを語るときによく用いられる絵で、見られたことがある方も多いかもしれません。

平等性と公平性
https://unifywestfield.org/news/equity-versus-equality/

Equality=平等性と、Equity=公平性の違いを表したものです。
この絵の通り、「平等性」とはあらゆる人に対して同じ基準を適応することです。一方で、「公平性」とはそれぞれの人の個別事情に応じて適用する基準を変えて、同じ状況を作り出すことです。

昔、「笑う犬の冒険」というテレビ番組で、ネプチューンの原田泰造さんによる「センターマン」というコントがありましたが、今考えるとかなり奥深いことを言っています。笑

何かの報酬を得た2人が、その分け前を半々で割ろうとするときに突如現れて、当時の消費者金融の広告で使われていた音楽に合わせて「本当に五分と五分か?」を問うというコントですが、昨今の社会保険料負担の話も、出資額(=購買額)に応じた配当分配の仕組みを持つ協同組合の話も、単純に提供される機会が一緒であれば、みんな納得だよね、という前提でよいのか?が問われています。

ビジネスの世界でも最近取り上げられることの多い「DEI」、すなわちDiversity(多様性)、Equity(公平性)、Inclusion(包括性)ですが、私はこのようなキーワードが世の中に出てきたときや、問いのテーマとして与えられた際に、「そもそも何故、そのような問いが与えられているのか?」を考えることが好きです。

そして、DEIに関して言えば、2010年代にグローバリゼーションが一気に進み、デジタルデバイスをはじめとした技術の進化により、それまでとは異なる国や文化を持つ人と一緒に何らかのプロジェクトを一緒に進める機会がより一層増えてきたこと。

日本国内で言えば、生産労働人口の減少により、それまではライフスタイルの変化に応じてビジネスの世界から離れざるを得なかった人や、アクティブシニアも含めて、労働力として活用せざるを得なくなってきた変化もあるでしょう。

高度経済成長と、その後しばらく続いた人口増加を背景にして、政府が「人余り」を解消するために公共事業で無理やり雇用を作っていた時代は、もう終わったと捉えています。

DEIの重要性がより叫ばれるようになるということは、裏を返すと「現状はそれに対応できていない」ということ。

大きなパラダイムシフトの渦中にいる私たちにとっては、日常の様々なシーンで変化がもたらす歪みによるモヤモヤを感じることも多いでしょう。
何かが変化するということは、それまでのやり方、価値観との間に必ず摩擦が生じるからです。

私も、身の回りの具体的なシーンを取り上げながら、DEIがより重要となった現代において、ミクロレベルで大切だと考えていることをお話します。

躊躇わずに自己開示すること

冒頭の絵を見て、「平等性」よりも「公平性」のほうが、DEIの観点からは適切なアプローチであることは理解できると思います。

「みんな同じ」で与えるもの、負担するものに差が出ないようにした結果、結局それで成し遂げたい目的(絵の話で言うと、みんなが野球観戦できること)を達成できないのであれば、それは真の意味でインクルーシブだとは言えないからです。

でも、お気付きの通り、「平等性」よりも「公平性」のほうが実現のハードルは高いです。国民全員に10万円ばら撒くことはできても、所得に応じた補助の大小がなかなか実現しないのと同様、「公平性」を実現するには、各個人の現在地を知る必要があるからです。

そして、大抵の場合、個人の事情は他人には見えないものですから、各個人が自己申告しないといけないんですね。
そして、その事情もライフステージによって変わるから、職場や地域などのあるコミュニティの中で出来るだけ「ストレス感じずにパフォーマンスを発揮する」ためには、コミュニティ内のコミュニケーションのメンテナンスが必要です。

具体的な例をあげると、私はITシステム運用の仕事もあるので、週に1回、早番対応の日があります。
独身の時であれば、週5で早番、みたいなことも余裕で出来ました。実際、海外のお客さんむけの仕事をしてた時には、金曜夕方に「週明け朝イチの現地打合せに同席せい」と呼ばれて、そこからフライト取って、次の日には現地入りする、みたいなこともやれてました。

しかし今は、子どもの保育園送り対応があるので、事前に妻に保育園送りをお願いする必要があり、妻も職場との仕事の調整が発生したりします。
私が子どもを一人だけ早めに保育園に連れてく日には、予め保育園側と調整しておく必要もあります。

週に1回早番対応するだけでも、裏で色々な調整が発生するのですが、こんなの個別事情ですし、他人から見ればなかなか想像できないものです。

だから、自分の事情は、自分で伝える必要があります。でも、自分の事情を伝えるのって「みんなも事情があるはずなのに、自分だけ個別事情を言うのはわがままだ」とか「みんなも我慢してるんだから、私も我慢するのが当たり前」と感じてしまって、なかなか言い出せない人も少なくないと思います。

でも、そんな状況だと、永遠に「公平性」なんて実現できないと思います。個別事情に応じた対応を考え、メンテし続けるのが真にインクルーシブだということですから、個人レベルでは、言いにくくても自己開示。これが不可欠だと考えます。

合理的配慮ができる組織作り

一方で、多様性を本当の意味でチームの力に変えて、パフォーマンスを上げていくことと向き合うのであれば、マネジメントサイドとしては「メンバーが自己開示しやすい雰囲気を作る」、これに尽きると思います。

単純に、メンバーから自己開示を待っていて、基本的にその意向を尊重するだけでは、「自己開示しやすい雰囲気」とは言えません。
メンバーが、表面上だけでも「申し訳なさそうにする」とか、そういう配慮が入っている時点で、自己開示にストレスがかかっているからです。

じゃあ、何が必要かと言うと、やはりマネージャー自らが率先して自己開示する。これに尽きると思います。
私も人間ですから、当然個別事情をオープンにするのは抵抗感もあります。裏で色々言われてるんだろうなと感じることもあります。

でも、それを気にしてたら、自分のチームメンバーはより自己開示できなくなってしまうと思うんですよね。
だから、Outlookの予定表には「子どもお迎え」とか「夕食作り」みたいなイベントも堂々と入れるし、職場での仕事が早めに終わったら堂々と帰ります。

マネージャーになってからは、特に意識してこれをやってますが、「みんな事情があるのに」とか「みんな我慢してるのに自分の都合ばかり言いやがって」という意見もあるでしょう。批判されたくない、という気持ちに負けそうになる時もあります。

でも、こうやって書いたり、メンバーに自分の意見とスタンスを繰り返し話し続けることで、何とか鉄のハートを維持しています。それくらい、「公平性」の実現はストレスがかかるし、覚悟が必要です。痛みは必ず伴うものです。

難易度が高いテーマではありますが、誰かがそれをやらないと変わりません。
そして言葉を選ばずに言うと、お互いに我慢して、相互に監視し合うことで維持されてるコミュニティは、遅かれ早かれ崩壊します。

寛容性の高い社会作りには、勇気と覚悟、強いリーダーシップが必要です。
せめて、そこにチャレンジしようとしている人のことを邪魔だけはしないようにしたいなと思います。

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林 裕也@30代民間企業の育児マネージャー
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