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短編文学的エッセイ 【本能の一口、それは根源】

肉を焼く。炎が肉に触れた瞬間、脂がジュッと弾ける。目の前に広がるのは、ただの食事ではなく、生きることの本質だ。豚や鶏も悪くはないが、やはり牛肉は特別だ。牛肉を口にした瞬間に旨味の波が広がり、「美味い」と口にする際、それは味覚を超えて心の深い部分に響く。噛みしめるたびに全身を快感が駆け巡り、言葉では表現しきれないこの感覚。まるで古代から続く狩猟民の記憶が、一口ごとに蘇るかのようだ。

肉の旨味は本質的なものであり、タレやソースで覆い隠すのは無粋だ。その真髄を感じるためには、シンプルに塩を振るだけで十分。塩は素材の味わいを引き立て、その力を最大限に引き出してくれる。焼き立ての一切れを前に、塩だけでその持ち味を堪能するのが一番だ。余計なものが肉の魅力を奪わないようにしたい。

食べることは単なる味覚の享受を超えている。肉を通じて感じる生々しい感覚こそが、僕の求めるものだ。繊維が口の中で弾けるたび、僕は古代の記憶とともに生きていると感じる。この快感は記憶の一部として、肉に染み込んでいるのかもしれない。僕はその記憶を一口ごとに噛みしめている。

食事のこの瞬間、肉は単なる食べ物ではなく、生命の本質を象徴している。焼いて食うという行為が、生きている実感を与えてくれ、噛みしめることで自分自身と向き合うことができる。僕らが生きる意味、古代から続く本能、そして今ここにいることの実感が、その一口に詰まっている。この快感こそが、焼かれた肉が持つ真の魅力なのだ。

しかし、最近はベジタリアンやヴィーガンという選択肢も広まり、多くの人々が肉を食べない生活を選んでいる。彼らの考え方や選択には、環境への配慮や動物への思いやりが込められている。僕の肉への情熱は本能に根付いているが、彼らの生き方も重要な視点だ。植物由来の食材からも豊かな栄養や味わいが得られることを考えれば、食事は本当に多様で、どの選択も尊重されるべきだ。

相手の選択を否定することなく、それぞれの価値観を理解し合うことが、今の時代には大切だ。そうした多様な価値観を考慮しつつも、僕は今後も肉を楽しむことをやめないだろう。焼かれる瞬間、その香り、その味わいを通して感じる生きる喜びは、僕にとってかけがえのないものだからだ。生命の根源に触れるこの体験を、これからも大切に噛みしめていくつもりだ。

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