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すなお

わたしのことをコントロールできるのはわたしだけでいい、わたしもだれかのことをコントロールしようとは思わない、わたしの思った通りにいかない人が好きだ、わたしの思った通りを知ろうとする人が苦手だ、自分を確立している人が好きです、だからわたしはずっとわたしでいい、あなたもあなたのままでいい、そんな人生を生きたいと、夢ばかり語る人生でいい。

素直さが必要な場面で素直になれないのがわたしです。好きかもしれないと思った人に思いを伝えられないまま、好きではなかったと自分に言い聞かせ、なるべく長く側にいられるよう気持ちに蓋をする。そうしてお互い別の人と結ばれて、好きだったはずの人は1番の親友になって、なんかこういう関係いいよねってエモーショナルな想い出として片付けようとする。「今まで大きな失敗をしたことがないだろ、その手前でずっと逃げ続けてきたんだから。」と言ってくれたから、好きになった、はずだったのに。

同じことを繰り返している。自分に向くことがない好きをあっさり手放すわたしのこと、好きになれない。何年間も同じ人と付き合って、結婚して、子どもが産まれた先輩は、きっと愛を知っている。わたしはまだ、理性を超えるほどの愛を知らない。SNSをどれだけ眺めても、愛の答えは見つからないから、こうしてまた同じような言葉を紡ぎ続けている。

心が乗らない時は書かない、と決めてから書こうとしてやめた言葉がたくさんあって、どれも続きを書けないまま眠っている。無意識のうちに自分につけた鎖が、いつまでもわたしをしばり続けている。できるとか、できないとか、全部自分の思い込みで、と強気な言葉をTwitterでつぶやいたものの、自信をなくしてすぐ消した。大切にしている言葉を簡単に消費されてしまうことがこわいのか、だれかに否定されることがこわいのか、未完成のわたしを見られてしまうことがこわいのか、全部、か。

noteを書こう。友人と電話をしながらこの文章を打っている、けど、進まない。人に見られている、人と共有している、人と、人と、という感覚がかなり苦手だ。自分らしくあろうとすればするほど、他者が介入できる環境がこわくなる。仕事をしていても、同じオフィスにいるメンバーの視線が気になる、電車で吊り革を掴んでいる時もその前に座っている人の視線が気になる、コンビニで買い物をする時もレジで待っている店員さんの思考が気になる、いつものお店に行く時にいつもの服を着ていないとこわい、八方美人、いい人でいたい、人の中にあるわたしを壊されたくない、という無意識が、とことんわたしを苦しめる。

実は。noteをかいている、と告白してから約3年。まだリアルな友達の誰ひとりにもこのアカウントを見せたことがない。母も、親友も、恋人も、ライバルも。みーんな、わたしを知らない。だからこそ書ける言葉がある。飾らないわたしがいる。好きなわたしがいる。帰って来れるあたたかさがある。たまにこわくもなるけど、それはまた、別の話。

だれかがいなくなる、これを悲しいと思うことがすっかりなくなってました。いなくなってほしくない、というのは一種のエゴだったように思う。その人の選択を最大限信じようと思う気持ちが強くなったのか、それとも無関心が度を越えたのか。他人の選択に感情的になることも無くなった。ずっと自分の中にある正義に依存し、好きな環境に依存し、そこから逸脱するものを受け入れられなかったわたしは、社会人生活を通して少し丸くなったように思う。物分かりがよくなったのか、諦めが早くなったのか、なんか、よく分からないけれど。とにかく、わたしに関係なく、だれかが幸せであればなんでもいいと思った。

ええと、とりあえず。わたしはわたしであり続けるし、あなたはあなたであり続けてください。そうしていつか、人生が交わって、なにか新しいワクワクが生まれて、また静かになって、懐かしくなって、きっといつか、また会えるから。ただ、ずっと、あなたはあなたに素直でいてください。次に会うときまでの、約束。

顔も名前も知らないあなたの前では、すなおなわたしでいたかった。

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ごま
いつか青い鳥になって、あなたの下へ幸せを届けます。