「癒し」は人に必要なのか?
「癒し」は人に必要なのか?
今の世の中は
「病んでいるから癒しが必要」
なんて考え方がありますが
「癒しって誰かにしてもらえば済むのでしょうか?」
「癒し」という言葉が出始めたのが1990年代で
ストレスに代表とされる
過度の緊張や慢性的な心的疲労を蓄積した人が癒しを求めたようです。
つまり
社会情勢が発展から停滞に変わり
社会的活力が失われたことによって起きた対症療法的な手段が
「癒し」となったと思っています。
では癒しとは?
肉体の疲れ、精神の悩み、苦しみを何かに頼って解消したりやわらげたりすること。
病気が治ることを意味することとあったり、
カラダやココロが平穏になるという意味で扱われています
(ネット辞書より引用)
世の中には「癒し」を謳い文句にしたビジネスが多数存在しています。
それらはカラダやココロを癒すことを目的に行われるようですが
前者では癒しが癒しではなくて
実は慰めだったり、同情だったりと
依存させるための手段になっている気がしてならないのです。
本来であれば
後者のカラダやココロが平穏になるという意味であると思うのですが
どうにも
前者がビジネスのために主流になっているように思えてならないのです。
その場限りの苦しみが取れれば。
という発想しか持てないことが問題ですし
「前者は人を依存させる、依存すること」
が前提であると思います。
依存して
自分が考えることを放棄して
人に自己決定権を委ねているだけにすぎない
と思います。
苦しみや悩み、疲れを解消して平穏になるための「癒し」とは
【他者に頼ることなく自分ですること】
と思います。
ただ癒しが必要な時こそ
人は慰めや同情を他者に求めると言う側面があり
そこをつく癒しビジネスが多いというのも実情です。
「癒してほしい」と思ったら
それは同情や慰めを求めている時ではないか?
と感じています。
よく患者さんにも言いますが
【落ち込んだらとことん落ち込みましょう】
【苦しいのであればとことん苦しみましょう】
【泣きたければとことん泣きましょう】
と提案しています。
しっかり落ちなければ上がることなど不可能で
今までも中途半端に落ち込んで上がれない人も見てきました。
【しっかり落ち込んで底から上がれることができること】
が本来の「癒し」だと思います。
そして
「癒しとは」
誰かに頼ることではなく自分自身で解決するようになれば
カラダとココロの平穏を誰にも頼ることをせずに保てる
と思います。
それが自律ではないか?
とも思います。
【大森裕介】
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