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【評伝】吉田義男さん--世界が認めた野球人
2月3日(月)、プロ野球の阪神タイガースで選手や監督として活躍し、野球のフランス代表の監督も務めた吉田義男さんが逝去しました。享年91歳でした。
165センチと野球選手としては小柄で、俊敏な身のこなしから洗練された遊撃の守備を行った吉田さんが、京都出身ということもあって五条大橋の上で武蔵坊弁慶を翻弄した源義経の幼名にあやかり「牛若丸」の綽名とともに一時代を築いたことは周知のとおりです。
あるい
【評伝】フェイ・ビンセント氏--「オーナーの敵」となった最後のコミッショナー
現地時間の2月1日(土)、大リーグの第8代コミッショナーであったフェイ・ビンセント氏が逝去しました。享年86歳でした。
弁護士やコロンビア・ピクチャーズ、コカ・コーラなどの重役として実業界で活動していたビンセント氏が球界に入ったのは長年の友人であったバートレット・ジアマッティが大リーグのコミッショナーを務めていたためです。
すなわち、1989年に副コミッショナーに就任すると、当時問題となってい
【評伝】リッキー・ヘンダーソン氏--球史を駆け抜け続けた盗塁王
現地時間の12月20日(金)、大リーグの通算最多盗塁記録を持つリッキー・ヘンダーソン氏が逝去しました。享年65歳でした。
大リーグ史上最多の通算1406盗塁は大リーグで唯一の4桁の盗塁でもあります。
このほかにも、1979年から2003年まで25年にわたる大リーグ生活で延べ4回、通算で14年間在籍したオークランド・アスレティックスをはじめとして合計9球団に所属し、2004年から2年間は独立リー
【評伝】渡邉恒雄氏--歴代の首相に影響を与え続けたジャーナリスト
本日、読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡邉恒雄さんが逝去しました。享年98歳でした。
学徒動員によって徴兵された際に、重営倉に送られることを覚悟のうえで枕の中にカントの『実践理性批判』の日本語訳を入れるほどであった哲学青年が戦後は共産主義に傾倒し、主体性論争を経て保守主義の政治記者となり、鳩山一郎、石橋湛山らの番記者として経験を重ねつつ、大野伴睦の絶大な信用を得る存在として政治報道の第一線で
【評伝】マーティ・キーナート氏--日本のスポーツ界の発展に貢献した生涯
11月9日(土)、スポーツ代理人やスポーツライターであったマーティ・キーナートさんが逝去しました。享年78歳でした。
キーナート氏は1946年7月19日にカリフォルニア州ロサンゼルス生まれ、スタンフォード大学政治学部に在学中の1965年に特別交換留学生として来日して慶應義塾大学に在籍し、卒業後の1969年には再び来日して同大学の日本語コースを修了しました。このとき、慶應義塾大学法学部助教授であっ
【評伝】湯浅譲二先生--「前衛」の可能性と多様性を示した作曲活動の軌跡
去る7月21日(日)、作曲家の湯浅譲二先生が逝去しました。享年94歳でした。
湯浅先生が慶應義塾大学医学部を中退して作曲を志し、武満徹らが結成した実験工房に1952年に参加して以来、一貫して前衛作曲家として活動してきたこと、さらにはカリフォルニア大学サンディエゴ校の教授を務めたほか、日本でも教壇に立ち、後進の指導に尽力してきたことは広く知られるところです。
「前衛とはスタイルではなく創作に対す
【評伝】ウィリー・メイズ氏--1960年代のもっとも偉大な野球選手
現地時間の6月18日(火)、大リーグで歴代第6位となる通算660本塁打を記録し、野球殿堂でも顕彰されているウィリー・メイズさんが逝去しました。享年93歳でした。
1948年にニグロ・リーグのバーミンガム・ブラックバロンズに入団し1950年に大リーグのニューヨーク・ジャイアンツと契約したメイズさんは、翌年大リーグに昇格して121試合に出場し、打率.274、本塁打20本、打点68を記録して新人王とな
【評伝】フジコ・ヘミングさん--様々な困難を乗り越えた「魂のピアニスト」
去る4月21日(日)、ピアノ奏者のフジコ・ヘミングさんが逝去されました。享年92歳でした。
幼少期からピアノ奏者として頭角を現していたものの16歳の時に病気で右耳の聴力を失い、29歳で渡独し、バーンスタインやマデルナの知遇を得て本格的な演奏活動を始めようとしたものの風邪が原因で一時的に左耳の聴力をも失うなど、ヘミングさんは様々な困難に見舞われます。
その後、一時はピアノの教師をする傍らで清掃員
【評伝】ホワイティ・ハーゾグ氏--1970年代と1980年代の大リーグを象徴する偉大な指導者
現地時間の4月15日(月)、大リーグのセントルイス・カーディナルスなどで監督を務めたホワイティ・ハーゾグ氏が死去しました。享年92歳でした。
イリノイ州ニューアセンズ出身のハーゾグ氏はニューアセンズ高校で左投げ左打ちの選手として一塁手、投手、外野手を務め、バスケットボールでもガードを担当するなど優れた運動能力を示し、イリノイ大学やセントルイス大学が興味を示す逸材でした。
1949年に高校を卒業
【評伝】市川猿翁さんーー時代の潮流の中に生き新たな時代の潮流を作り出した歌舞伎俳優
去る9月13日(水)、三代目市川猿之助であった二代目市川猿翁さんが逝去しました。享年83歳でした。
復活通し狂言の上演や古典作品の新演出、新作の創造に意欲的に取り組み、いわゆるスーパー歌舞伎と呼ばれるたくらみと仕掛けに満ちた舞台を実現したことは、芸の道を求め、近代の歌舞伎にかつての大衆性と革新性を取り戻す試みに他なりませんでした。
一見すると荒唐無稽とも思われたスーパー歌舞伎は、伝統芸能と考え
【評伝】青木幹雄氏--個性豊かな「参院のドン」
6月11日(日)、官房長官や自民党参議院議員会長などを歴任した青木幹雄さんが逝去しました。享年89歳でした。
早稲田大学在学中に同郷の先輩である竹下登氏の選挙を手伝ったことが契機となり、竹下氏の秘書となった青木さんは、その後島根県会議員を経て1986年に参議院議員に初当選しました。
1980年代末から1990年代半ばにかけて、政界再編や自民党の派閥内の権力闘争などがある中で、一貫して竹下氏の側
【評伝】扇千景氏ーー「タレント議員」の可能性を広げた政治的感覚
去る3月9日(木)、元参議院議長の扇千景氏が逝去しました。享年89歳でした。
高等学校卒業時に地元神戸大学の工学部で建築を学びたいと考えていたものの、「女子大でなければ授業料は払わない」という父の一言を受け、「あそこだったら女の子だけ」という友人の助言を受けて受験した宝塚音楽学校に合格し、舞台人としての第一歩を踏み出した扇氏が、花組から映画専科を経て二代目中村扇雀と結婚して「梨園の妻」となったこ
【評伝】永井路子さん--日本の歴史小説の発展への大きな貢献
去る1月27日(金)、作家の永井路子さんが逝去しました。享年97歳でした。
小学館で雑誌の編集を行いつつ歴史小説を執筆し、雑誌『マドモアゼル』の副編集長を最後に小学館を退職して作家活動に専念した永井さんが1964年に直木賞を受賞したこと、その際に選考委員の一人であった海音寺潮五郎が絶賛したことは広く知られるところです。
永井さんの作風は史料を丹念に読み込み、最新の研究の動向も視野に入れつつ緻密