100本の動画を通して | イラストレーターという選択
1週間ぶりに動画をアップした。昼過ぎから作り始めて、夕方には完成。6分ほどの短い動画だったけれど、入れたい言葉はハッキリしていたから、迷うことなく仕上げられた。今日はとにかく調子が良かった。だからこそ、こういう内容が作れたんだと思う。
ここ最近、体調に不安を感じることが多かった。風邪を引いたわけではないし、食欲もある。睡眠だって取れている。でも、呼吸が浅くなって動けなくなったり、耳鳴りがひどくなったり、体に変な力が入ってソワソワしてしまう。そんな症状が立て続けに現れた。時にはひとつだけ、時には全部が一気に襲ってくることもある。特に呼吸が浅くなると、ちょっと物を取るだけで息が切れてしまうし、椅子を引いて座るだけでも体力が尽きてしまう。焦れば焦るほど呼吸は乱れていくから、パニック障害かも?と思ったこともあった。耳鳴りがひどくなれば、メニエール病の再発かと不安にもなった。
でも最近、ある対策を取って、その効果を試している最中。だからこそ、以前の自分と今の自分を切り離して考えることができるようになった。症状が現在進行形で出ていないからこそ、こうして言葉にできたし、動画にもできたんだと思う。またいつか症状が出るかもしれないけれど、なんとなく原因も見えてきたし、少なくとも深刻な病気じゃないことがわかったから、もうそこまで心配することはない。「具合が悪いからやりたいことを諦める」んじゃなくて、「具合を治せばいい」、ただそれだけのこと。治せるものなら、治せばいい。耐えたり、諦めたりする必要なんてない。
YouTubeに100本投稿してきて、ようやく見えてきたことがある。それは、自分が「何者なのか」っていう問いへの答えが、少しずつ形になってきたこと。私は絵を描くのが好きで、デザインもできる。写真も撮るしハンドメイドもする。こんな性格で、こんな考え方をしていて、いつも曖昧で抽象的な世界を好んで生きてきた。でも、世界がいつもそれを求めているわけじゃない。時には簡潔でわかりやすい言葉を欲している。
YouTubeを何本もアップして気づいたのは、「ああ、そうか。私はこれをやりたくて、そのためには"イラストレーター"って肩書きが一番しっくりくるんだ」ってこと。私自身は「何者なのかわからない」状態が好きだけど、それは多くの人に認知された上で初めて意味を持つ。誰にも知られていない段階でそれをやっても、何も伝わらない。砂漠の真ん中で一人で絵を描いて、それで生きていけるなら、それでもいい。でも、私は多くの人に自分や作品を知ってもらいたいから、まず自分が何者なのかを明確にする必要があった。そこから共感が生まれ、親近感を抱き、距離が縮まる。私はそれを避けてきたからこそ、共感が得にくく、距離が遠いままだった。
時間は無限じゃない。もし伝え方を変えることで前に進めるなら、変えてもいいと思った(作品が変わるわけじゃないし)。だから、過去の動画にも「イラストレーター」って表記を付け直した。「yurinomemo」で検索する人はいなくても、「イラストレーター」で検索する人はきっとたくさんいる。こういう対策を取ることは必要だとわかっていたけど、本当に心からそう感じられるようになったからこそ、ようやく行動に移せたんだと思う。ここにたどり着くまでに時間はかかったけど、今からでも出発すればいい。
「デザインもやっているからデザイナーのほうがいいのかな」「絵画も描くなら画家?」「作家?」なんていろいろ考えたけど、今はやりたいことに向かって「イラストレーター」を軸に動いていこうと思う。
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