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文豪が食欲をかきたてる「猫様の嘴」

 この本をコンビニで手に取ったのは、何も食べ物の匂いに釣られたからではない。確かに食べ物の話だが、目次を見て文豪たちの名前がずらりと並んで圧巻だったから惹かれたのだ。いくら食にまつわる短い随筆言っても、これだけの人数が並んでいるのはすごい。雑誌の連載か何かだったのだろうか。そうでなければ、あっちこっちから文豪たちが、食べ物について話しているのを見つけてくる人の読書量が凄すぎる。
まずは以下、作者のリストを見てもらいたい。

#文豪たちが書いた食の名作短編集

【作者リスト】
梅崎春生
林芙美子
寺田寅彦
吉川英治
菊池寛
岡本かの子
森鴎外
山之口貘
徳田秋声
室生犀星
岡本綺堂
坂口安吾
永井荷風
北大路魯山人
太宰治
正岡子規
牧野富太郎
直樹三十五
萩原朔太郎
佐藤春夫
幸田露伴
夢野久作
芥川龍之介
古河緑波

作者が重複している作品は省きました

 この作者のリストを見ただけで読みたくなる。旬の作家の方々ではないので、その時代の差別的表現が含まれると注釈があったが、誰の作品かは何となくわかった。

 これほど短い吉川英治さんの文章を初めて読んだ。我が家に全集があるのに、読んだことない作品が過半数もあるから、なんだか得した気分だ。怠惰な私に嬉しい。短くてもわかりやすく、話がまとまっている。

 とは言え、おにぎりにまつわるエピソードというのは、題材として少しありきたりで、noteでは、吉川英治さんの作品を全文朗読したりしているので、ここで感想を語っても食傷気味かと思う。

 特に食欲をそそられた作品を絞って、感想を書いておきたい。だって、全員分の感想を書くのは疲れるもの。そんな根性があったら、私は文筆家になっている。

牛乳は薬用品だった?#寺田寅彦

 この方の作品をかつて朗読したような気がするが忘れた。どこかの本で子供の頃、牛乳は平安時代には日本に存在したような話が書いてあった記憶がある。けれど、作者によれば、その当時は、主として、病弱な人間の薬用品であったらしい。これは作者の認識だ。調べてみたが、作者は幼少期病弱だったようだ。私は熊本出身なので、この方が熊本五高で夏目漱石から学んだと言う話は学校かどこかで聞いたことがある気がする。熊本人と言うのは身内の引き倒しが多い割にお国自慢も同様に好きだという矛盾した側面を持っている。

 そんな事はともかく、子供の頃、コーヒーを絞ってもらった。牛乳の味がとんでもなくおいしかったらしい。搾りたての牛乳ではなく、搾りたてのコーヒーだ。『7粉にしたコーヒーをさらし木綿の小袋にちょっぴり入れたの熱い牛乳の中に浸して漢方の風邪薬のように振り出して絞り出した』そうだ。読んだだけでとっても美味しそうだ。子供に飲みやすくするために、少量のコーヒーを配剤する。そんなことを私は知らなかった。コーヒー牛乳は子供のための飲み物だったのか。作者の情景描写が秀逸で、改めて、こんなに文章の上手い人なんだなと思わされた。食べ物を文章で美味しくする天才だ。早速コーヒー牛乳をコンビニで買ってきた。だから見出し、画像はコーヒー牛乳とコンビニのお菓子になっている。

山羊も薬#山之口貘

 なんだか薬付いている。私に持病があるから、その食材が薬だと聞くと、なんとなく美味しく感じるんだろうか。薬膳料理に魅力を感じる歳になっただけかもしれない。30代の終わりってそんな時なのか。
 九州人は沖縄由来の料理には割となじみがある。ただ私は子供の頃に沖縄に行った時の思い出が強くて、沖縄料理に少し抵抗がある。沖縄は独特の匂いがして、私にはあまりなじみのない遠い国だったのだ。けれども、子供の頃は今よりもスーパーなどに、豚の部位など沖縄の言葉で並んでいて、スーパーに連れて行ってもらうたびに沖縄のことに思いを馳せたものである。行く前は憧れて、いちど行った後は懐かしかった。私はあまり活動的ではないので、アクティビティーが豊富な沖縄には子供の頃からもう行かないだろうと想像していた。

 それでもこの話を読んだら、沖縄料理が食べたくなった。思い返せば、沖縄料理のゴーヤチャンプルーは好きだったのだろう。正直言って唯一おいしいと感じた。料理だった。我が家の庭でゴーヤを育てていて、11月になってもまだ収穫できる。しかし自分で作ってもあの時ほどおいしいようには感じなかった。むしろおいしかった記憶すら、この本を読むまで忘れていたくらいである。おそらく、ソーキそばの味のカルチャーショックが強すぎた。また、その店の雰囲気が、子供心に怖かったとのもあるだろう。沖縄の繁盛している飲食店と言うのは、こんなに殺伐としているものかという感じだった。

 チャンプルーが炒め物だと言う意味も、頭の中の箱から引っ張り出さないとすぐには思い出せない。ましてやフィージャーグスイという料理は聞いた事が無い。グスイが薬みたいな響きだ。私は山羊料理もこれまたなじみがなくて、おそらく食べた事はあるが、どんな味だったか記憶にもない。積極的に食べようと思ったことがないと言う事は、そんなにおいしいと思わなかったんだろうと想像するがどうだろう。自分の記憶があてにならない気がする。
 この話を読んで、作者に興味がわいたが、作品の内容からしてあまり作者の素行も知りたくない気がして調べていない。食べ物に釣られる人であったのは確かなようだ。

九州好み#徳田秋声

 偏見だろうが、九州人は健啖家が好きだと思っている。たくさん食べる人を魅力的だと思うのだ。また一番うまいものを作ってやろうという気概がある人は少ないだろうが、まずいものは作りたくないと言う。殊勝な心がけは誰でも持っている気がする。
 その上で、食においても冒険をする。その理由の1つに、九州地の酒好きもあるのだろう。酒盛りと食事を一緒にするという人もいる。酒文化が食に対して、九州人を大胆にしていると書いてしまえば、偏見が過ぎるだろうか。世間と没交渉のせいか最近は聞かないが、私の子供の頃には大人から知人がふぐに当たったという話は聞いたことがある。九州人はふぐが好きなのだ。ふぐと言えば、山口のイメージがあるんだろうが、特に福岡あたりは負けてない。福岡で数年以上働いていた頃に、そこそこ手ごろな値段で1人でも浮かないふぐ料理屋さんを調べて食べに行ったことがある。仕事の合間に、ふぐでランチをしに行ったのだ。それがとってもおいしかったことをこの話を読んで思い出した。しかし、潔癖な作者は、ふぐを食べると言う行為があまりお気に召さなかったようである。今よりも亡くなった人は多かっただろうから、潔癖とまで言ったら、この作者の目を傷つけるだろうか。つぐみの味は知らないが、鴨については作者と同感であった。
 慣用句だかことわざだか知らないが、なぜ東の人はかもにネギを合わせたがるのだろうか。鴨に合う薬味は外にいっぱいあると思う。鴨にはネギで鍋だという世間の思い込みは、ん他にも調理法があるおいしい鴨にはちょっと不名誉なことではないか。

#私の好きな夏の料理

#中央公論

 子供の頃は、本を後ろから読んで、最初にオチを知ってしまうこともしばしばあった。大人になったら、最初の方で早々に読み疲れする。そんな読者の心理を知ってであろうか、134ページから中央公論社に寄せたらしい。文豪たちの色にまつわる言葉の切り抜きがのべつまくなく、載せてある。最近は世間が切り取りについて過敏である。掲載されているものがもっと長い文章からの抜粋の切り取りかわからない。読み疲れする私にはありがたい配慮であった事は確かだ。
 1つ思ったのは、文豪たちは、ただ読者を喜ばせるためだけの文章を書かないのだろうと言うことだ。情景描写にこだわるのは、極力、嘘をこだわるからではないかと思った。小説家は嘘をつくといわれるが、ただ読者を喜ばせるためだけなら、誇張や虚飾まみれになってしまうだろう。読者に媚びない陰鬱さや全体としての作品のあり方にこだわる昔の人の文章が私は好きだと改めて思った。ただ最近は子供の頃より昔の人の作品を読まない。漫画は子供の頃で卒業するのではなく、大人になってから小説から漫画に宗旨替えした。

#読書感想文

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猫様とごはん
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