続・雨のマリオットホテル
前編
続・雨のマリオットホテル
2
ジョグジャへ
わたしが暮らすSemarangから
世界遺産の古都JOGJAKARTAまでは車で南におよそ120 km余り、高速道路を利用して約4時間という道のりだ
その道中では、今年わたしが旅してきたUngalanやSalatiga、ディエン高原を横目に通過して向かうことになり、車窓を流れていく景色は、だから、わたしには見覚えのあるものが多かった
とはいえ、ここインドネシアの地方の風景の大半は、ひょっとしたら地平線が見えるのでないかと思うほどの遠大な田園風景が広がり、道ばたでは農家の方がのんびりと紙巻き煙草を燻らせている、どこか牧歌的で、日本の原風景を想起させる、かつて農耕民族であったわたしたち日本人には、特に心が安らぐような風景が多いのだ
高速道路を降りると、道は一応は舗装されてはいるが、凹凸が激しいせいか土埃が激しく舞い上がり、加えて信号などはほとんど見当たらないので、日本人としては常になかなか恐ろしいドライブとなることが多い
そして道沿いには鳥の丸焼きの屋台や簡易食堂、そして、いったい何を商っているのかがさっぱり不明のお店がずらりと並び、まだ早朝にも関わらず
あちこちのお店で湯気が立ち昇り、大勢の地元客で賑わっている
運転席には会長のドライバーのRoy
その後ろの後部席には、会長(75)と、その長女で昨夜にSemarangに到着された玲於奈社長
そしてそのさらに後ろの後部席がわたしという布陣だった
およそ三十分置きに、前の座席の会長から<おやつ>を勧められる
ほら?さわまつくん、食べなよ?
烏賊の燻製に海老せん、インドネシア産の梨、パッションフルーツ
ポット入りの珈琲、紅茶、ミネラルウォーター
玲於奈社長がそれら<おやつ>は全て拒否されるので、そのほとんど全てがわたしの方へと廻ってくることになる・・・
ここが勤め人の辛いところ
朝は玲於奈社長の宿泊先のPADMA HOTELのカフェでブルーベリーマフィン一個と二杯の珈琲で済ませてきたので
ほとんど空腹は感じなかったが、勧められた以上は食べるしかない
なぜならばそれは全て相手からの好意だからだ
そしてとにかく会長のバッグの中には様々な<おやつ>が入っているのだ
次はいったい何が出てくるのかと半ば脅えながら窓外の景色を眺めていると会長が首を捻らせ、わたしの方を向いてこういった
”さわまつくん、後部席で窮屈だろう。もう少しでMesastilaに着くから、そこで珈琲とケーキでも食べて休憩しよう”
時刻はまだAM 9:00
真顔でこういうことを仰る会長に、心の底から恐ろしさを感じた
まだ食べて飲むのか
わたしは口をあんぐり開けて会長の後頭部を見つめ、次に会長を後ろから
絞め殺してやろうかとも思ったが、もちろんそんなことはしなかった笑
そしてこのとき、ある予感が走った
それは結果論ではなく、本当に鋭く予感が走ったのだ
この”食の怪物たち”との一泊旅行、そして来週一週間の会食のスケジュールで、わたしはひょっとして大きく体調を崩すのではないか、と
そして悪い予感というのはいつでも的中するように、ちょうど一週間後にわたしは大きく体調を崩し、病院を二箇所梯子して血液検査まで受けるはめになるのだ・・・
3
Mesastila
Mesastilaという名前の、宿泊施設を備えた広大な敷地の珈琲農園の存在はかなり以前から知っていた(良い名前だ)
今年、Semarangから南部を旅した際に一度スケッチだけはしたが、結局行くことはなかった
意外と知られていない事実として、ここインドネシアの珈琲豆の輸出量は、ブラジル、ヴェトナムに続き世界第三位で、スーパーマーケットには実に様々な種類の豆が販売され、街中の至るところに大小様々なカフェが乱立している
ここMesastilaでは珈琲豆を栽培する巨大なプランテーションがあり、事前予約制のツアーが存在するも、わたしたちが訪れた際は客は他には一切いなかった
敷地中央の高台にあるカフェで、眼下の広大なプランテーションを眺めながら挽きたての新鮮な珈琲を味わうことに
フレンチプレス式で抽出された珈琲を一口飲むと、まずこういう感想を持った
”あれ?麦茶?”
よく、珈琲を煎れた際に水の分量、あるいは豆の分量を間違えた際のあの麦茶味だった
農園併設のカフェにしてはずいぶんお粗末かなと思っていると、セットで出てきた濃厚なカカオのガトーショコラと合わせて飲むと、これが意外なほどにマッチしていて美味しかった
本当の珈琲って麦茶味なのか、それともやはりお店が何かの手順を間違えたのかは、わたしの粗雑な舌では終にはわからないままだった
カフェで一休みした後で、へヴィ・スモーカーの会長は喫煙エリアに直行したので、わたしは玲於奈社長と敷地内の宿泊エリアを見学しにいくことにした
ホテルのスタッフが案内してくれながら広大な面積のVillaを見学してまわる
全てが独立したバンガロータイプで、上記掲載写真のVillaタイプの部屋で
一泊約40,000円(朝食、プライヴェート・プール付き)
コロナ以降も客足は遠のいたままで、基本的にいつでも宿泊可能とのことだった
スタッフは英語ができなかったので全てはインドネシア語だったが、わたしはそれを玲於奈社長へ通訳して伝えると、社長はちらりと横目でわたしを見てこういった
さわまつさん、ところでインドネシア人の素敵な彼女は見つかりましたか?
こういう素敵な場所には、インドネシア人の彼女と来るべきですよ
インドネシア人の彼女?
来世で生まれ変わってもないでしょう、とは口にはしなかった
もちろんそれは相手がインドネシア人だから、ということは一切ないのだが
わたしはどうやら外国人の女性には恋愛対象としてはほとんど興味がないということは、今では、自分では確信をもつに至っていた
これまでヴェトナムとスペインにも赴任歴があるが、不思議と昔から、外国人の女性に恋愛感情を抱くということがなかった
もちろん国籍に関係なく、おそらくは素敵な女性はどこの国でも素敵な女性に間違いないはずだが、頭ではそれを理解していながらだった
ヴェトナムではやはり日本の家具メーカーに勤務していたが、多角経営の一環で、会社がホーチミンの一区に日本料理屋を展開しており、赴任中は福利厚生でそこで日本食を規定内で自由に食べることができた
そこの店の若い女性スタッフ数人にせがまれて一緒に遊園地で絶叫マシーンに乗ったり、別の日本料理屋にお寿司をつまみにいった程度で、手を握ったり、恋愛感情を抱くということは一切なかった
それは、ヴェトナムに赴任している男性駐在員の多くは、当時の同世代の同僚を含め次々とヴェトナム人と結婚していったことに比べると、周りからは逆に奇異の目でも見られはしたが、付き合ったり結婚したりするのは
やはり日本人だなと秘かに思い続けていたのだ
その理由が何なのかは今もって自分でも明確にはわからない
余談だがスペインでは・・・ペネロペ先生命ではあったのだが笑
そしてここインドネシアでは、やはり宗教上の重層的な制約に拠る生活習慣の決定的な違いと、同様に、やはり拘束力が極めて強いと思われる教義の影響もあって、わたしではインドネシア人の女性を幸せにすることはできないのであろうと思うばかりなのだ
何より、こうしたつまらない理由を挙げてしまうというこのこと自体が、やはりわたしは外国人との恋愛や結婚ということにほとんど興味を持っていない何よりの証左なのだろう
玲於奈社長は続けた
インドネシア人よりも・・・この国には華僑が多いから、狙い目は華僑なんじゃないかしら?
今度はわたしがちらりと横目で社長を見つめる番だった
鋭い
さすがは我が社長だといったところだった
しかしそのようなお相手はひとりもいないのだったが・・・
4
RATTAN
スマランを発ってからおよそ三時間、ジョグジャ市内へと入り、玲於奈社長が希望されていた<ラタン通り>へ向かう
わたしは先だってジャカルタでラタン製のトートバッグを購入したこともあり、わたし自身のラタン熱も高まるばかりだったので、この通りへ来ることはまさに渡りに船だった
いったい、どのようなラタン製品があるのだろうか
インドネシアはラタンの世界的な生産地なのだ
赴任して丸二年になるが、その魅力に気がつくのが遅すぎたくらいだった
親愛なるフォロワーさんで、日頃から親しくさせて頂いている
北欧在住の森野しゑにさんに教えて頂いたところによると
ラタン製のバッグは決して経年劣化ではなく、<経年美化>により深い飴色に風合いが変化していくらしい
森野さんの文章は透明度が高く、そして、清潔
ときに軽やかで、ときに静謐に満ち
独自の美しい世界観を、いつもご自身の言葉で描き出されている
身内との軋轢を書かれた深く、重いテーマであったり、ご本人の言葉によると”中二病”そのものの息子さんとの七転八倒のドタバタ劇が
北欧の美しく豊かな自然の中で繰り広げられ、面白く、また、読後にしばらく考えさせられることがある作品が多い
濃淡合わせた、余韻を深く残すことができる秀逸な作品が多いのだ
そしてポートレイトの肖像画の腕前はとてもアマチュアとは思えない高次元のレヴェル・・・
加えて共通のフォロワーでもあるmakilinさんもご一緒に
どこかの記事で主にアキ・カウリスマキやレオス・カラックス、クシフュトフ・キシェロフスキなどのインディペンデント系の映画監督について情報交換をしたり、感想を述べ合って盛り上がることもある
わたしのことを、”老女キラー”と呼ぶmakilinさんの作品群は
古今東西の芸術家にフォーカスされたものや、国内旅行、そして鋭い映画評を独特のユーモアを用いて、テンポよく軽快に、また、簡潔に書かれていて
特に画家についてはわたしも知らない人物や作品が登場するので、読後に調べてみることが多い
ちなみに親しみを込めて、わたしは彼女のことを”マダム”と呼ばせて頂いている笑
いつかこの三人で、北欧か東京かスマランに集まって、珈琲でも飲みながら様々なことについて語り合ってみたい
この三拠点には凄まじい距離があるのだが・・・
ちなみに、キシェロフスキの「デカローグ」は来年、東京で舞台化されるとのこと(観に行きたいけどなぁ・・・)
※ご本人から掲載の許可を快く頂き、今回ここにご紹介
わたしのバッグはまだ購入したばかりで、ほとんど使用していなかったが
これからどのように変化していくのだろう
楽しみだ
そしてこれまで割りと大人しくしていた”買い物の怪物”、玲於奈社長が目覚め始める
会長はもちろん車内に残られたので、わたしと玲於奈社長で目に付いたお店を入り、ほとんど全てがラタン製の工芸品を観てまわる
怪物が蠢きはじめる
社長は指先を顎の下へ忍ばせ、小さく頷くと気に入ったものは五個、十個単位で一気に購入
わたしがお店の店員にカタコトのインドネシア語で在庫の有無と、価格交渉を行うと、社長は次々に購入していく・・・
車の後部席が次々と社長が購入したラタンの工芸品で埋め尽くされていき
いったいどうやって持ち帰られるのだろうと疑問に思ったが、それはすぐに氷解していった
仕事の、東京行の輸出用のコンテナに混載させるに違いない
そうすればほとんど無制限で買い物を楽しむことができる・・・
わたしも新居の高層アパートメントの、リビングの収納用にラタン製の籠をふたつ購入し、このラタン通りは定期的にチェックに来るべき面白さがあるなと思いながら、社長が購入されたものを後部席に詰め込む
5
MALIOBORO通り
ラタン通りを出た足で、わたしたちの車はそのままジョグジャの中心地MARIOBORO通りへ向かった
この通りはメイン通りで、世界中から集まる観光客目当ての馬車が通りをせわしなく駆け抜けていく
そしてこの通りはインドネシア全体を見回しても
Solo Cityに次ぐ、伝統服”BATIK”の有名な産地でもあった
先だってジャカルタの高級モールで値の張るBATIKを数多く見てきたが
BATIKそのものはインドネシアの宗教にも密接に結びついている伝統服でもあるので、もちろん高級品ばかりではなく、国民誰もが着れるように値段も様々で、下はコインで買えるクラスのBATIKも多く存在し、それらのショップが混然一体となってひしめき合っているいるのが、この通りの最大の特徴だった
午前中は雲行きは怪しかったが、差し当たっては快晴だった
会長の提案で通りのスターバックスで冷たいアイスコーヒーを飲み、ちょっと疲れたのでこのままここで休むと仰る会長を店内に残し、玲於奈社長と共に通りで買い物をすることに
もちろん、目的はBATIK
通りには大小様々なお店が並んでいたが、社長が比較的に高級そうで落ち着いた雰囲気のお店を目にとめたので一緒に入ってみることに
店内はもちろん男性用と女性用に分かれているので、それぞれ別行動で見て回ることにし、わたしはBATIKはざっと流すように見て、男性インドネシア人がモスクで礼拝用に使用するスカート、SARUNG売り場へ直行した
そして見つけたのがー
ふむ
悪くない
どこか火星の地表や、木星の表面を想起させるような顔料の不思議な風合い
値札を見ると価格は約2,000円
この価格はしかし、相場を考えると高かった
観光地価格が上乗せされているのは間違いないが、我が街スマランではおそらくは半額以下でありそうだ
しかし最終的に購入を決めたのはやはりこのデザインで、女性店員さんが教えてくれたところによると全てが一点ものらしい
もちろんそれはそのはずで、顔料での手染めは一枚一枚仕上がりが異なるに違いないからだ
しかしこの赤と紫、そして黒を混ぜ合わせたこの一着は試作で作ったもので他にはないらしい
だとしたら今度はこの価格が安く感じてしまう・・・
ほとんど購入を決めかけたときに、わたしは真後ろに気配を感じてふり返ると、そこには一流の殺し屋のように玲於奈社長が気配を殺して立っていた
社長はいった
さわまつさん、スカートを履くの?
胸を張って頷くつもりが・・・頷けなかった
別に隠すつもりは一切なかったのだが、何よりこの一着はSARUNGではなかったからだ
これは敬虔なイスラム教徒が礼拝時にモスクで好んで着用する、通称
Alladinだった
ディズニーの映画そのものに、『ALLADIN』の主人公が着用しているもので要するにスカートではなくて、パンツなのだ
ファッション用語では確か、サルエル・パンツという呼称のはずで、わたしはこれまで穿いたことがなかった
穿いたことこそなかったが、わたしには似合わないということも重々わかっていた
だが今回も、いつも通りにほとんど迷わずにこれを購入することにした
なぜならばそれは、昭和の任侠映画のチンピラの言い回しを借用するのであれば、このわたしには強力な背後がついているからだ
背後に控えているのは職場の部下のListianah
年齢は三十代の後半で、四人の子供を持ち、昼食は二人前は平らげる大食漢だが、しかし、縫製の達人でもあった
このAlladinを自宅に持ち帰って試着し、何度か外に出かけ
やはりわたしには似合わないということの確証を得られたのであれば
職場に持ち込んで、最近彼女が貪りくっている”KIT KAT”を一袋でも与え
代わりにこのAlladinの裾をカットさせてスカート仕様に作り変えてもらおうか
その際は中世のワイルドな海賊の腰布のようなイメージで、裾はランダムな長短のギザギザと、深い切り込みを入れても面白そうだ
いっそのことスカートではなく、腰布に改良してもいいのかもしれない
わたしはこのデザインのAlladinは、少し手を加えて工夫すれば劇的に変化する可能性を感じ取った
玲於奈社長に、これはスカートではなくパンツなのですと説明すると
いくらか退屈そうに、なぁんだ・・・そうなの?と、逆にわたしにスカートを穿かせたいかのような雰囲気を感じた
結局、社長はこの店でもラタン製の籠と天然木のお皿やカップを大量に購入し、この辺りで本当に”買い物の怪物”が完全に目覚めたことになる・・・
6
怪物、目覚める
MALIOBOLO通りを後にして向かったのは、ジョグジャ郊外にある洋服を専門に取り扱う三階建ての卸市場だった
いや、アウトレットモールと呼んだほうがニュアンスは近いのかもしれない
ここは高級メゾンのアウトレット品も扱う、ジョグジャの観光名所でもあり、現地人よりも外国人の方が多く、わたしは今回ここには初めて来たことになる
会長はすでにお疲れのご様子で、卸市場の入り口の木陰のベンチで休んでおくとのことだったので、再び玲於奈社長と共に買い物へ
わたしも先刻購入したAlladinが思いのほか気に入ったこともあり、買い物のテーマはずばり
スカートに合うのかどうか
巨大なフロアマップを見て、周回するルートを決めてから、まるでそれぞれのお店のドアを蹴破る勢いで、突撃
7
戦利品
通常買い物をする場合、基本的に「黒」は対象から外して考えることが最近の個人的な傾向だ
普遍的すぎて、もはや面白くないからだ
誰だって一度は「黒」に魅了される時期はあるというが、わたしの場合はすでに過ぎ去り、今はワインレッドやモスグリーン、ミッドナイトブルーのような深い奥行きがあるような色が好ましく感じるのだ
もっとも再び、「黒」に魅了される時期は巡り巡ってやってくるのだろうが
だから「黒」以外で購入するつもりが、他のブルーやグリーンは着色が薄すぎるように感じ、悩んだ挙句に結局「黒」にすることに
わたしが所持しているインドネシアのスカート”SARUNG”はどれも踝丈まであり、サンダルを買いたいなと思っていた矢先に見つけ二足購入
一足は新居のスリッパ代わりに使用中(画像左)
「黒」は買わないといいながも、ここでも「黒」を購入・・・
それは他の色が見当たらなかったからで、他にどのような色の展開があるのかは不明だった
足元は通常、スニーカーにせよブーツにせよ、踝までしっかり締まるものしか所持しておらず、だからこのいわゆるスリッポンタイプはほとんど初めて購入することになるが、SARUNGにはやはりペタンコのタイプが合うような気もする
そしてポイントとなる髑髏の刺繍も、ポップ過ぎず、また、本気過ぎないデザインが新鮮に思え、ほとんど迷わずに購入
これもやはりSARUNGを穿く際にいいかなと思い、H&Mで購入
通常、身体にしっくり合うのはMサイズだが、SARUNG着用の際はTシャツはオーバーサイズでゆったり着るのがいいのかも知れない
そしてわたしは若い頃からこのROLLING STONESのTシャツを集めていて
実家には十枚を超えるTシャツが眠っている
バンドを象徴するこのロゴが大好きで、このロゴは大きければ大きいほどよいのだ
そして正直に告白すると、ROLLING STONESの音楽自体はほとんど聞いたことがなく、かなり以前にCDでリリースされたベスト盤は聞いたことがあるのだが、いったい何が良いのかがさっぱりわからなかった・・・
もちろんそれは、歴史に名を残す世界的なスーパーバンドの彼らの音楽性に問題があるはずもなく、ただ単に好みの問題なのだけれども
次回の帰国休暇が来年の一月下旬に決まりそうだ
その際にこれを着ていると、今年四歳と二歳になる可愛い姪っこのウケが良いのかも知れない・・・
姪たちがキャーキャー騒ぎながら抱きついてきてくれるかな?と妄想しながら購入笑
XLでオーバーサイズで着たかったが売り切れで、Mサイズを購入
四歳の姪っこにオーバーサイズで着せても可愛いのかも知れない
わたしは両手に買い物袋をぶら下げて通路を歩いていると、右往左往している玲於奈社長を見つけた
わたしが近づいていくと社長は安堵したかのような表情を浮かべて、こういった
よかった。ちょっと買い過ぎちゃって、とてもひとりで荷物を持てないの
実際、すさまじい量だった
靴だけで六足、それにバッグ四つに、お子さん用と思しきディズニーの絵柄がプリントされたリュック、Tシャツは二十枚以上、陶器製の食器類・・・
わたしはドライバーのRoyに電話をかけて応援要請をし、手分けをして荷物を車へ運び込むことに
そして玲於奈社長にこういった
これ以上は・・・まずいですね。日本へ送る際はコンテナに混載させれば問題ないのですが、その前に車に乗り切らない可能性があります
わたしの懸念どおりに、まずは助手席が荷物で埋まり、次にわたしの隣の後部席が荷物に占領され、トランクも満載になってしまった・・・
Royはいった
バックミラーが見えません!
気をつけて、慎重に運転して欲しいと頼んだのがちょうど、17:00
これから宿泊先のマリオットホテルに向かうことに決まったときに
空から大粒の雨が降り始めた
8
雨のマリオットホテル
スマランとジョグジャを含めた中部ジャワ州の雨の降り方には特徴があった
それは結論から書けば、雨はほとんど夕方から夜明けまで降り続けるのだ
逆にいうと朝から昼間にかけては一切降らずに、基本的に夜しか降らない
会長が以前解説してくれたことによると、ジャワ海で発生する湿った温帯低気圧と、火山を有するムラピ山の位置関係によるものらしいが、詳しくはわからない
そしてこの中部ジャワの雨季の雨というのは、ほとんどの場合が雷を伴って降り始めるのだ
それもほとんど毎晩・・・
巨大なショッピングモールに併設するマリオットホテルの入り口、車寄せに滑り込んだのがちょうど18:00
雨はさらに激しくなり、間断なく空が一瞬激しく光り、雷鳴が鳴り響いていた
館内に一歩入ると、ホテルの広大なロビー全体にはほどよく空調が行き届いている
移動中の車内でも冷房が行き届いていたが、車を降りてホテルのエントランスを潜るわずか数分で、身体全体を湿り気を帯びた、東南アジア特有の蒸し暑い空気に包まれるのだ
不快指数でいうとどのくらいあるのだろうか
外に降りたとたんにじっとりと汗ばむのだ
だからホテル内の、おそらくは計算しつくされた空調管理がとても心地よかった
会長を先頭に、そのあとに社長、最後尾にわたしと続いてチェックインカウンターに向かうも、お二人はまるで勝手知ったるご様子でスタスタと歩いていった
内装や調度品に興味がないのではなく、また、見飽きているのとも違い、どこか馴染んだような雰囲気が確かにあった
わたしたちの仕事柄、こうしたホテルの家具や調度品を製造し輸出しているが、さすがにお二人は世界中のホテルを調査されただけはあり、可もなく不可もなくといったような感想を持たれているようにわたしには感じられた
このマリオットホテルにはわたしは初めて宿泊することになったが、アメリカ資本のホテルなので、どこか豪華絢爛で煌びやかな内装のホテルかと思いきや、ヨーロッパ資本を思わせる落ち着いた雰囲気の良いホテルだった
会長がわたしのぶんのチェックインも済ませてくれ、部屋のカードキーを受け取ると、会長はこういった
今日はもう疲れたね。早く一杯、飲みたい。
今は18:00だけど、18:30にラウンジ集合にしようか
玲於奈社長とわたしは頷き、それぞれの荷物を持って高層階のそれぞれの部屋へと向かう
時間があまりないので、荷物を解き、電子機器をwifiに繋いだ後でさっとシャワーだけを浴びて再びロビーへ降りることにする
ロビーの、主に調度品を素早く撮影していると、ほどなく会長も社長も下りてこられ三人で並んでバー・ラウンジへ
そして三人が三人共に記憶が無くなるまで飲み続ける狂乱の夜が幕を開ける
9
爛れた夜
今回の一泊二日の滞在では、会長が別途”CLUB PLAN”のオプションを付けてくれていたので、つまり要するにBAR LOUNGEで飲み放題だった
これまでにも何度も書いてきたが、イスラム教徒が全人口の90%以上を占めるここインドネシアでは、イスラムの教義によって飲酒を禁じられているので、酒類は基本的に諸外国のように流通しておらず、価格も極めて高い
だから高級ホテルでは、このような外国人向けの特別プランを設けているのが多かった
三人で、お尻が埋まるような座り心地のよいソファに座って、まずはビンタン・ビールで乾杯
飲み始めるとすぐに、会長は持参したエコバッグの中から<おやつ>と成田空港の免税店で買い求められた国産ウィスキーの瓶を取り出してセンターテーブルの上に並べ始めた
とにかく会長のバッグの中には何でも入っているのだ笑
柿ピー、スルメ、昆布、個包装のチョコレート、クッキー・・・
それを見たラウンジのスタッフが何かを言いたそうにこちらへ向かって来たが、わたしは微笑み、何でもないというように片手を振ると、そのスタッフも苦笑して何度か頷きながらも踵を返して去っていった
おそらくは持ち込みには制限があるのだろう
もしくは全面禁止か
しかし会長の素晴らしいところは、これは世辞ではなく、いつでもどこでも自分の流儀を曲げないところにこそあった
もちろん会長もこうした場所で制限がかかるということは誰よりもご承知のはずだった
しかし、極めて食にこだわりがある人なのだ
自分が食べたいものや飲みたいものは、好きなときに楽しむ
もしも、わたしが会長のように持参した<おやつ>をこの場所で広げたりしていたら、それは周りから見ると小さく、卑しい態度として映るのかもしれないと思ったりもした
しかし会長の七十五歳という老齢と、その年齢だけが持つ風格のようなものが、逆に余裕を感じさせるのだ
あるいは品格なのか
ときどきこう思うことがる
会長と昼食や夕食を共にさせて頂くと、ひょっとして
老いるということは、それほど悪いことではないのかも知れないな、と
会長にはそう思わせる「何か」があるのだ
そのようなことをぼんやり考えていると、ラウンジスタッフが次々と空いたグラスにワインを注いでくれる
ボトルに換算すると、三人でどのくらいの量を飲んだのだろうか・・・
わたしの体感と記憶では最低、五本は空けているはずだ
それに加えて会長持参の高価なウィスキー・・・
10
朝の光
翌朝、いつも通り六時に目覚めた
二日酔いのせいで、頭が痛い・・・
ふらつく足取りでバスルームに向かうと、洗面台の上には昨夜使用した歯ブラシが置いてあったが、歯を磨いた記憶が綺麗に欠落していた笑
バスタオルの湿り具合と床が濡れたシャワールームを見る限り、就寝前にシャワーを浴びたらしいが、これも全く記憶になかった・・・
熱いシャワーを十分以上浴びていくらか酔いを醒まし、朝食会場へ
宿泊客でごった返す朝食会場はビュッフェ形式で様々な料理が並んでいたが
二日酔いのせいで全く食欲がなく、パンをいくつかと、熱いブラックコーヒーを二杯淹れてもらい、席を探していると、会場となったダイニングレストランのほぼ中央の席に、やはり燃え尽きた会長がひとりでいらっしゃった
わたしは向かいに座り、簡単な挨拶をすませたあとで訊いてみた
昨夜の記憶がありません。何時に部屋に戻ったのかも覚えていません
そしてやや上目遣いに、念のために確認してみた
何か・・・失礼はなかった・・・でしょうか・・・
すると会長は首を横に振りこう続けた
おれの方こそ・・・何か君に・・・失礼なことはしなかっただろうか
会長も飲みすぎで昨夜の記憶がほとんど綺麗に消え去ったらしい・・・
ほどなく玲於奈社長も部屋から降りてこられ、わたしたちのテーブルに合流すると、珈琲を飲みながらポツリとこういった
昨夜の記憶がほとんどないわ
三人が三人共に、開口一番に同じ台詞をいい、熱々の珈琲を何杯も飲みながら、燃え尽きた後の朝で、無言で必死に昨夜の記憶を手繰り寄せようとするも何も思い出せなかった・・・
そして、この久しぶりの強烈な二日酔いが、後にわたしが大きく体調を崩す羽目になる、最初の一蹴りになったのは間違いなかった
この後はそれぞれが部屋に戻り、10:00にチェックアウトしてスマランにとんぼ返りとなるが、わたしのこの二日酔いは数日間も尾を引き、その状態で会長と社長とさらなる会食を重ね、最終的に血液検査を受けて、甲殻類アレルギーが発覚し、苦しむことになるのだ
もちろん直接的な原因はアレルギーなのだが、その素地は間違いなく体力が限界まで落ち込んだうえでの発症だった・・・
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それでも海老は美味しかった
四十代以上の方で、体力が落ち込んだときに以下のメニューを連続的に
食すと、甲殻類アレルギーが発症する可能性があります
(もちろんアレルギーは何より体質に左右されるはずですが・・・くれぐれも気をつけてください笑)
そう
ジョグジャへ遊びに行った次の一週間は、主に連日会長宅にて会長作の海老尽くしのメニューだったのだ
そして、玲於奈社長が教えてくれたところによると、あのマリオットホテルのラウンジで、三人で食事の好みの話になり、わたしは記憶は一切ないがこう豪語していたらしいのだ
最近は肉類よりも、新鮮な海産物に目がありません
とか
インドネシア赴任の醍醐味は、新鮮なシーフードを思う存分味わうことができる点ですね
そして会長が、新鮮な海産物がふんだんに獲れるJepara出身の会社のスタッフに直接命じて、市場から自宅へ食材を送らせて、それをご自身で調理され、わたしたちに振舞ってくださったのだ
つまり要するに、わたしの甲殻類アレルギー発症の最大の原因はやはり
自業自得であったのだ・・・
これで当面は海老をはじめとした甲殻類の接種がほとんど禁止されることになったが仕方がない
ここ最近は集中して食べまくったということもある
しかしここインドネシアは四方をジャワ海に囲まれた島国で、新鮮な海産物を豊富に味わうことができる環境なのに、本当に残念・・・
そして療養中からはマーケットで新鮮な野菜を買ってきては自炊三昧の日々
わたしは実は素晴らしい料理の才能を持っていたのだな、と自画自賛しながら最近は毎日のように料理三昧(笑)
怪我の功名とまではいかないが、今回の甲殻類アレルギー発症を自分の健康と食生活を見直す契機として、これからも進んで自炊に取り組む予定だ
12
アフマド・ヤニ国際空港
玲於奈社長の帰国日には、スマランのアフマド・ヤニ国際空港まで見送りに出かけた
チェックイン・カウンターまで付き添い、保安検査場へ入っていかれる際に社長はこういった
楽しかったわ。さわまつさん、いろいろありがとうございました。
わたしはまた近いうちに来るから一緒に買い物にでも行きましょうね
わたしはそれに対して一瞬反応が遅れた
近いうちに?
三年に一度くらいの頻度でいいのではないでしょうか
と、喉元まででかかったが、もちろんそのようなことは口にしなかった笑
買い物と暴飲暴食の激動の一週間ではあったが、なんだかんだであっという間に楽しく過ぎ去っていった
わたしは慌てて、ええ、またいつでもお待ちしていますと答えたが
それがどこまで本心なのかは自分でもわからなかった笑
おしまい
上記内容の通り体調を崩し、今作は何度かにわけてきれぎれに執筆すると
最終的に約15,000字にまで達してしまいました
通常はせいぜい10,000字までに収めるか、もしくは連作として分割させるのですが、今回はこのまま掲載することにしました
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました
BGM
最近は家の中でも、スピーカーに接続してひたすらこのTOKYO FM
NEXT
2023年12月10日(日) 日本時間 AM 7:00
”11月は友人を亡くすのにふさわしい月ではない”
暗い内容になる見込みで、日曜日の朝にはふさわしくないので
意図的に17:00に変更するかも知れません
同日公開
”flower_in_the_dark”
END