11月は友人を亡くすのにふさわしい月ではない
11月は友人を亡くすのにふさわしい月ではない
日付をもたない日々
おそらくはきっと、誰しもがそうなのかも知れないが、わたしたちが日々
流されるかのように過ごす月日に、日付が大きな意味をもつ日というのは
存外、少ないに違いない
たとえば今日が12月10日である必要は、少なくともこのわたしにとっては
ほとんど意味がなく、今日が、昨日の日付である12月9日であっても
あるいは、明日である12月11日であったとしても、そこに大きな違いはない
そして仮にそれが、極端にいって3月や10月であったとしても
それによって何かが大きく変化するということがない
それはここインドネシアのスマランが年中真夏で
日本のように四季が存在しないから、そう思うのだろうか
あるいは
あるいはこの土地が、仮に四季のある日本と同じであったとしても
日付がそれほど重要な意味をもつとは、このわたしには到底思えないのだ
それは単に身に着ける衣服の種類が、ただ替わるだけの話なのかも知れない
もちろんそれはあくまで、わたし個人の、実生活を送るうえでの話だけで
逆に仕事面においては徹底的に、日付に雁字搦めにされているといっても過言ではない
しかし、仕事面を考慮しなければ、1年365日のそれぞれの日付というのは
わたしにとってはもはや、ただの無機質で無意味な記号でしかなかった
家具の図面に用いられる、素人では理解できない特殊な記号のように
だからそれは逆に、仕事のみに与えられた記号のような日付で
やはりわたしのプライヴェート面においては、ほとんど意味をもたない
ただ、規則性のある数列であるだけなのかもしれない
この1年は、特にその思いが強かった
しかし、だからといって、そう思うことで何かが変わるはずもなかった
ただ歳月だけが一日一日と確実に過ぎて行き、一日一日と確実に老いていき淡々と仕事をこなす日々
そしておそらくは、少なくとも40代以上の多くの人々が共通して思うように
今年も瞬く間に過ぎ去っていくように思える
そうした正しい規則性を持つ、無機質で記号のような日付のない日々で構成された1年が、またひとつの臨界点を迎えようとしていて
今年も終わろうとしている
Ⅰ
こうして無常に過ぎ去っていこうとしている、無名の日々の中にあって
ほとんど唯一、例外的に日付を持つ日というのがわたしの一年の中にはある
それは、すでにこの世界から退場していった父の命日や
あるいは、祖父母の命日をそうだと言いたいのではない
ましてや自分の誕生日や、母や兄弟、姪や甥の誕生日でさえもない
1年の中で、その、あるたった1日だけが、10年以上も前から
透明で不思議な輝きを放つようになっていたのだ
今年の11月24日は金曜日だった
すでに雨季に入っているここスマランでは、いつものように陽が落ちる頃に空は、日本では観たこともないような分厚い雨雲に支配され、それは夜の暗さよりも黒く染まり、激しい雷鳴を従えた、猛烈な勢いの雨が、終わりなく街中の隅々にまで降り注いでいた
空が光った瞬間に、ほとんど同時に鋭い轟音の雷鳴が
凶悪な悪魔の叫びのように鳴り響くので、そう遠くない場所で断続的に
激しい落雷が発生しているに違いない
落雷で命を落とす人の確率は、約100万分の1との統計が発表されているが
それでも全世界では毎年1,000人以上が雷に打たれ絶命している
その死者数は単純に数字だけでいうのであれば、例えば
巨大な旅客機が2機、墜落して大惨事を起こしたことと同じだということもできる
意外、というよりかはかなり多い人数だ
もしかしたら、その落雷の犠牲者の大多数はここインドネシアの
中部ジャワ州なのではないかと疑いたくなるような激しさを秘めているのが、ここスマランのこの雨季の、凄まじい雷雨だった
この日は先だって発症した甲殻類アレルギーの影響で、前夜は真夜中に奥歯を強く食いしばった状態で目覚め、寒さに震え、そのまま迎えた朝から微熱と高熱をほぼ正確に、一時間毎に繰り返した
出社直後にインドネシア人の女性人事部長と共に病院へ行き、血液検査を受けた後に、アレルギー症状との診断を受けて、医者の薦めもあり、その日は職場へは戻らずに自宅で静養していたのだった
猛毒を思わせる真緑色の何錠かの薬を白湯で流し込んでベッドに仰向けに横たわり、薄暗い寝室でぼんやりと、天井で回転する巨大なファンを眺めながら、わたしはこの日、11月24日についての取り留めのない考えを、乱暴に想起するがままに任せておいた
わたしは今年、44歳になった
それはとりたてて言うべきことではないが、別に隠すことでもない
もうすでに若くはないとは自覚はしているが、老いているとも思わない
すでに、いわゆる人生の折り返し地点は通過しているのだろうが
これまでに結婚歴はなく、また、現在交際している相手もいない
ここ海外で、ひとりで、ほとんど何の不自由もなく
多くの優秀なインドネシア人スタッフに支えてもらいながら
主に日本へ輸出する木製家具の生産面と品質面での管理を日々行い
そして、誰に気兼ねすることもなく、誰に迷惑をかけることもなく
自由に気ままに暮らしている
少なくとも、そう自認はしている
これまでに親密に長く交際した女性の数は、片手で足りる程度だ
実際に5人に満たない
その数が人よりも多いのか、あるいは、人よりも少ないのかについては
ほとんど全く興味がない
そしてその、片手で足りる数の交際相手のうち2名の誕生日が
11月24日だったのだ
それはもちろん偶然としかいいようのない事実で、まさか、誕生日で相手を選ぶということは、誰だってそうなのだろうが、どう考えても有り得ない
この2名の女性とはもちろん交際期間は被っていなかったが
誕生日が11月24日というのは不思議と今日まで鮮明に覚え続けている
もちろんそれは、たまたま偶然ふたりの誕生日が一致していたということが
無名の、日付を持たない日々に、ごく柔らかな輪郭を与えたからなのだろう
その2名と交際していたのは、共に今からもう10年以上も昔の話で
当時おそらくは世界中の誰しもと同じように、それなりにいろいろとあり
破局後に連絡を取り合うこともなかったが、そのうちの一人とは
近年はお互いの誕生日だけにはメッセージを送り合うようになっていた
お互いに短いメッセージを送るだけで、それ以上を求めるようなやりとりは一切なく、とてもミニマムで、清潔で、簡潔なメッセージのやりとり
だいたい、それ以外に何を求めるというのだ
単調だが確実なモールス信号のように、そこには過剰な意味を持つ単語や
暗号のような装飾、謎めいた言い回しが一切存在しないのだ
それはもちろん、過ぎ去っていった歳月が記憶の棘を抜き去り
かつての思い出を、ただ、美しいものへと変貌させていった
時間だけが持ち得る唯一の効果によるものなのだろうか
”アメリカ文学の狂犬”、そしてその緻密で壮大な構想、著作の一冊一冊が
”暗黒の交響楽”と世界的に評される ジェイムズ・エルロイはこう書いている
だがわたしたちの関係においては、幸いなことに、お互いに傷を深め合うということは一切なかった
そしてもちろん、このことは決してわたしたちだけの間の特別なことではなく、おそらくは誰しも、特に40代以上であれば尚更、そうした人びとが似たような経験をもつ、ごくありふれた、明確な意思を持たないごく自然な流れで萌芽した感情であるに違いない
Ⅱ
しかしながら、昨年と今年の11月24日は、その以前の恋人にバーディメッセージを送信することはなかった
3月のわたしの誕生日にはメッセージを頂戴しておきながらの、こちらの勝手な不義理ではあったが、半ば意図的に、というよりかは、どうしても送ることができなかったのだ
もちろんそれは、相手に問題があるわけではなく、また、関係性が変化したわけでもなかった
すでに経年美化の作用のように、もうすべては浄化されてしまっているのだ
相手に未練や後悔を残すような時期は、遥か遠い昔に忘却の淵へと吸い込まれていったし、それはあらゆる観点でみても疑いようのない事実でもあった
だからそれは、相手側にしてみても、わたしからメッセージが来なかったことに対して、それが彼女に何かダメージを与えたということは、たぶん、間違いなくないのだろう
しかしどうして、そのような今では淡く、美しい思い出を共有している昔の恋人にメッセージを送ることができなかったのだろう
それはいうまでもなく、わたしに問題があったからだ
その、元恋人とは全く関係のない、全く予期せぬある出来事が
同日11月24日に生じてしまったからだ
それは100万分の1の確率で、雷鳴が呼び寄せた落雷に打たれたような出来事のようにも思えている
いや・・・いや、そうではない
そのような低い確率ではない
昨今の日本の、ある社会的な暗い側面を静かに見つめ続けると
確率はまだかなり、そして不気味に上昇するはずだった
それも、かなり、大幅に
そのある出来事とは、結果的に昨年の2022年の11月24日が
それ以前の11月24日と、それ以後の11月24日を
全く別の次元、全く別の世界、全く別の惑星の日付へと
鋭く刻印し、黒く塗り替えてしまったからに他ならなかった
その衝撃の一報が唐突に入ってきたのは、わたしがスマランに赴任して最初の一年を過ごした一軒家の広大な面積を持つリヴィングルームだった
夜で、もちろん雨季のスマランには、激しく、重たい雨の匂いを従えた
大粒の雨が、かなり激しく、そしていつものように執拗に降り続いていた
雷鳴も激しく鳴り響いていた
1年前の11月24日の夜は、今でも衝撃と共に思い出すことができる
1本の電話が、それ以前の11月24日を細裂きにし
狂ってしまった画家のように一切を黒く、ぶ厚く塗り潰して
異形の日へと再構築してしまった
電話の内容は、わたしの友人の自裁の一報でその彼女は海外、シンガポールの地で、もうすでに孤独に果ててしまっていた後だった・・・
その悲報が入ってきてすでに1年は経過しているが、その全貌はいまだにわかっていない
遺書は遺されておらず、何が彼女をそこまで追い詰めたのかに関しては
もはや推測の域を出ない
<命日>に関しても詳細はわかっていない
ただ、わたしが連絡を受けたのが2022年11月24日で、冷静に考えるとその
1日か2日前だったとも考えられる
もちろんそれは、彼女の終の地が海外であったからだということも影響し
また、自裁だったということも、まるで真相の解明を強く拒絶するような巨大な壁となった
だが、もちろん日本と同様に、いわゆる検死解剖を受けているに違いないはずで、おそらくはかなり正確に死亡時刻まで算出されているはずだが、わたしにはそれを確かめる術がない
1年を経た今でも、ご遺族を含め周辺の人々は深い混乱と喪失の痛みの中に在るのだ
情報交換を含めた上での、全貌が明らかになるにはまだ時間が必要になるはずだし、もしかするとそれは、永久に、一切明かされないのかも知れない
後に知ることになるが、旅先や海外で落命することを<客死>と呼ぶ
とすれば、その彼女は、<事故死>と<孤独死>、そして<客死>を
重ね合わせた、重層的な死を迎えたことになる
おそらくは少し稀な、<死>の様相だ
そしてもちろん、だからそのこと自体が重要な何かを示唆するということは、一切何もなく、考えても仕方がない、まるで無意味な知識だった
この1年は、スマランの冷たく空調を効かせた寝室や、大都市の暗い夜景を臨む旅先の高層ホテルの部屋で、そのように意味のないことや、理由ー動機についてはあらゆる可能性を含めて考えに考えたが、もちろん死者とはもう会うこともできないうえに、話すこともできない
死人に口なし、とはいうまでもなく、実際にそのとおりなのだ
だからわたしも半ば永久的に、死ぬまで推測し続けねばならない・・・
死因については比較的に早い段階で知ることができた
彼女の直接の死因は溺死で、それは当時彼女が暮らしていたシンガポールのアパートメントのバスタブだった
そして溺死に至る間接的な原因は、その直前に自らが鋭利な刃物で切り裂いた手首の裂傷で、それが失神を呼び寄せ、おそらくはほとんどすぐに意識を絶たれ、もちろん丸裸で、彼女は文字通りに沈むようにバスタブに沈みこんだのだろう
それを聞き、当初はその凄惨に思える死に方に激しく動揺し、震え、心を痛めたが、1年を経た今になって思えば、もしかしたら逆に良かったのかもしれないと、反転して思うようになり始めた
それは、わたしも以前スペインで失神、を起こし、それが原因でガラス製の水差しに突っ込んで破片で首を切り裂き、深夜の救急病院で縫合を受けたことがあるが、失神には、見方を変えれば眠りや麻酔にも似た安らかな作用があり、つまり意識の回路が完全に絶たれるからだ
だから彼女の最期には、痛みや苦しみはなかったはずだ
だが彼女は、本当に一切の苦痛のない水の中で、最期を迎えたのだろうか
手首を切り裂くことは、その深さにも依るが、実はかなり難しい
ゴムのような硬さをもつ動脈は、決然とした強い死の意思を込めない限りは素人にはまず切断はできないはずで、外科医でもない限りは通常、人間はほとんど全ての人が素人のはずだった
わたしたちの肉体は、構造上簡単に死ぬことが許されないように、何者かによって設計されているのだ
なぜそのような知識を、医療関係者でもないわたしが持ちえているのかは明白で、昨年の11月24日から今年の11月24日までの間に調べ上げたからだ
もちろん直接医師に尋ねて聞いて廻ったわけではない
主にオンライン上で手に入る限りの情報を集め、整理し、この1年はまるで、暗い情念のようなものに突き動かされて、ふと真夜中に目覚めた際や、旅先でただ通過するだけの風景の中で想像し、考え続けていたことになる
もちろんそれは、どれだけ調べても考えても、あるいは想像しても
ほとんど意味を持たないということは、自分自身でもわかりきっているほどの冷静さは常に持ち得ていたはずなのだが
そして、どうして元恋人の女性にバースディメッセージを送れなかったかの理由は、今でもわからなかった
確かに昨年は強い衝撃の中で、とてもそこまで思い至らなかったということは間違いなくあった
しかし今年は、その衝撃もいくらかは薄れ、メッセージくらいは送ってもよかったはずなのだ
確かに体調を崩して臥せってはいたが、送れないはずがなかった
このふたりの女性は、無関係なのだ
お互いがお互いを知らないし、共通の友人でさえ一人もいない
時間も、文字通りの意味で「時代」が異なっているのだ
しかし、少なくともわたしの内部では、どこか、この二人にはある有機的な繋がりがあるように思えてならなった
それは複雑な地下水脈のように細かく枝分かれした先で、小さく合流しているかのような頼りなく、そして危ういものであることに変わりはないが、どこか、根源的な淵源で何かが繋がっているように思えてならなかったのだ
あるいはそれは、微熱と高熱をまるで双生児のように繰り返す激しいアレルギー症状を僅か小さな数錠で抑え込み、強い睡眠効果も具えた、あの猛毒を思わせる真緑色の強力な薬の副作用がもたらした妄想なのだろうか・・・
あるいはそれは、この世の者ではない何者かが、激しい雷鳴に一瞬だけ照らし出され、夜の重たい雨の匂いを纏ったまま、不可侵のここ17階の高層アパートメントの窓をコツコツと叩き、このわたしの右肩に憑き、精神を内部から浸食し始めているのであろうか・・・
Ⅲ
先に、この1年365日のそのほとんどは、日付を持たない記号のような日々だと書いた
こうして1年の幕が閉じようとしているときに、ふと、思うのはこの365日の中のどれか1日には、やがて確実に訪れる自分自身の<命日>が含まれていることになる
それはいわずもがで、あまりにも明白なことなのだが<死>について意識を向けない限りは、誰もそのようなことは日常的に考えない
わたしは今年44歳になっているので、いつか確実に訪れる自分の<命日>はすでに44回は「通過」してきていることになる
そしてそれをいうのであれば、最も<死>から遠い地点にいると思える、
そして縁起でもないが、今年満2歳を迎えたばかりのわたしの可愛い姪も
すでに2回は「通過」していることになる
わたしはなぜ、このように無意味なことが気になるのだろう・・・
原因は自分でもわかりきっているが、自裁してしまったその友人が残していった問いと衝撃が、今もまだ自身の精神の中にありありと残っているからだ
加えて、その衝撃からは終には逃げ切ることができないという暗い絶望のようなものが、嫌が応にも<死>へと向かい合うことを強要しているからに他ならない・・・
しかしだからといって、もちろんこのわたしが、まるで世界中の不幸を背負い、特別な苦悩を独りで抱え込んでしまった、現実世界の悲劇のヒーローだということを言いたいのではない
日本人の繊細さは、世界的に見てももはや異常な水域にまで達しているのだ
それは先進国においても、極めて高い自殺率として簡潔に数値化され
年間約30,000人が自裁してこの世を去っていく時代なのだ
つまりその数以上の、当事者としてではない間接的な犠牲者が
あの小さな日本列島の中で溢れ返っていて、その暗く広大な片隅に
このわたしも塵の一粒のように、小さく存在しているということになる
このように暗く、危険な話をこのような場所で書くということは
あるいはふさわしいことではないのかも知れない
しかし、わたしがこの1年で感じることができたのは、少なくとも40代以上の人たちは、もっと<死>について省察し、語っていいような気がしている
わたしが最も敬愛しているノンフィクション作家の沢木耕太郎の著作の中に
沢木さんご本人がアマゾンでセスナ機の墜落事故に遭い、その一部始終をまとめた「墜落記」という有名な一冊がある
内容は大筋では上記の通りで、軽やかでテンポよく描かれ、作者本人も
本書とは別のエッセイでは<これほど面白い経験はなかった>と回想されてはいるが、本書の最後にはこの九死に一生の体験を経てこう記してある
もし沢木耕太郎がいうこのことが真実を穿っているのであれば、40代以上は一般的に観ても、”そこにあるだけの死”には近接し始めているといってよい
もちろんそれは個人差が大きく関与しているが、肉体は衰え始め、体力は落ちてゆき、<死>への緩やかな傾斜が始まるのが40代のはずだ
そして、だから、周りの同世代の身近な人たちも含めて<死>に近接し始めているに違いないからだ
わたしが今、<死>からどの程度の距離にいるのかは、もちろんわからない
まだ何十年も先の遠い地点に在るのかも知れないし、意外ともう、間近にまで迫っているのかも知れない
今夜心臓が止まってしまう可能性だってあるし、明日の朝、通勤途中に事故に遭い絶命する可能性だってあるはずだ
それは死ぬ日を迎えるまでは、やはりわからないことであるし、日常生活の中で考えることでもない
わたしはこの1年でどこかすっかりおかしくなってしまったのだろうか
それともわたしの精神の内部に沈潜していた薄闇色の得体の知れない何かが
44年という時を経て、表層にまで現れはじめたのだろうか・・・
どうして、このように無意味なことばかりが気になるのだろう・・・
Ⅳ
わたし自身が、何年の何月何日に死ぬのかはもちろんわからない
自分の<命日>を指定してこの世界を退場していくことができるのは
暗い奈落の底にいる自殺者たちだけに許された僅かな特権なのかも知れない
かれらはその日付を指定することもできるが、おそらくはその多くは
もう日付などもわからないほどに混乱をきたしたのか
あるいは日付を持たない日々を過ごしてきたかの、どちらかに違いない
自裁
自裁、か
その可能性は、わたしの内部にもきっと間違いなく精密な時限装置のように
秘匿されているに違いない
だが、わたしは死にたい、ということをここに書きたいのではないし
逆に生きたい、ということをここに書こうとしているのでもない
空漠とした、わたしたちの人生の中に必ず存在する
エアポケットのような空白を書きたいだけだ
そしてそれはおそらくは、虚無とも言い換えることが可能なはずだ
生と死をも内包しえない深い虚無
あぁ・・・
なんて深い慈悲なのだろう・・・
わたしは今は健康な肉体を持っているし経済的に困窮しているわけでもない
心に傷を負っているわけでもなく、休暇には頻繁に国内外へ出かけ
好きな場所で好きな食事をし、会いたい相手と親密な時間を共有できている
決して人に誇れるものまでは無いとしても、考えうる限り、親や兄弟を含め
友人たちにも、誰にも迷惑をかけているつもりはない
異国で孤独だとは思うが、それが寂しいという感情には直結もしていない
こうして誰に命じられたわけでもなく、自分の意思で海外へ出て
小さな専門職に就き、最近は週末には近くのスーパーマーケットで新鮮な食材を買い求め、自分で料理し、天気の良い日には窓を開け放って真昼からビールやワインを飲むこともある
しかしそれでも、わたし内部には自裁の可能性が残されているように思える
この一年で調べたことのひとつに、自殺者たちの動機がある
それは年齢層によってもかなり大きく変化はするが、わたしたちの世代よりも上の人々の動機は、主に「健康問題」とある
「健康問題」とは肉体と精神、あるいはその両方に分類できるはずだが
直線的に肉体を蝕み、死へと繋がる「病気」だと、仮に断定したとすれば
やはり、わたしにも自裁の可能性は残されているということになる
「病気」に因って身体の自由が奪われ、誰かの介護がどうしても必要になった際は、やはりわたしだけではなく、誰しもが望まずとも、ごく自然な生理現象として、不可視で透き通った希死念慮が精神の内奥から生じるはずだ
それに加えて、例えば肉体が病魔に蝕まれ異常に痩せ細り、無残な姿に変わり果ててしまうことを、少なくともこのわたしは良しとはしない
それは自尊心が生み出す「見栄え」や「虚栄心」といった幻影ではなく、そうした肉体に変貌してしまうことで、身近な者達へ深い絶望を与えかねない冷たい恐ろしさを秘めているからだ
自分で自分の身の回りのことが出来ず、しかも相手を辛労させるほどに肉体が刻一刻と<死>に向かって無残にも崩壊していくのであれば、わたしの内部には生じた希死念慮が濃く明確な輪郭を持ち、脳裏に実際的な手段を選び取ろうとする思考回路が複雑精緻に、そして迅速に構築されるに違いない
闘病の果てに、変わり果てた姿に変貌し、苦しみ抜いて絶命することを
あくまで自分自身だけのことと限定して
”精一杯戦った”とか、”最後まで生き抜いた”とは決してわたしはわたし自身に対して評価は下さないということを、現時点ですでに認知しているからだ
そしてそれは何よりも、もしかしたら、わたし自身の痛みに対する極めて臆病な性質が、そうした楽な道を選び取ろうとする、もうひとつの本能のようなものなのかもしれないのだが・・・
Ⅴ
先だって、最も親しくさせて頂いている、同じく海外在住のあるフォロワーさんの記事の中に、こうした一節が書かれてあった
日本の、11月の冬の寒さがもう思い出せなくなってきている
わたしの場合はどうだろうか
正確に思い出せる限り、日本の「11月」はすでに直近で丸2年は過ごしていない
それ以前の日々も、やはりここ10年では「11月」は過ごしていないようにも思える
11月といえば、すでに高く澄み切った秋の空に、低く重く立ち込める冬雲が
現れて、少なくとも福岡全域には木枯らしが舞う寒い季節のはずだ
でも、本当にそうだっただろうか
体感として残っている記憶が、もうすでに、曖昧なものになってきている・・・
その、シンガポールで自裁しこの世を去ってしまった友人のことを想う
シンガポールの11月とは、いったいどのような季節なのだろうか
ここインドネシアにもほど近い、同じく亜熱帯気候だとしたら、もしかしたら、スマランと同じように激しい雨が執拗に降り続けるような雨季の最中だったのかも知れない
このようなことを考えても無駄だと知り尽くしている上で、しかしそれでももしも、その友人が今でも存命だと仮定したら、どうなっていただろうか
ここインドネシアからは3時間程度のフライトで行くことができる
たぶん間違いないだろうが、わたしの方から連休を利用して彼女を訪ねて行き、きっとどこかの屋台かカフェでシンハービールでも飲んでいたのだろう
だとすれば、例えばこの<note>に書いてきた今年の多くの記事の内容は
大きく書き換えられていたこともまた、間違いないはずだ
ジャカルタや、中部ジャワへのいくつかの旅行記事が生まれることはなく
代わりに無数の写真と共に、シンガポールの滞在記が存在していたに違いないからだ
それを想うと、わたしたちの人生がいかに脆く、だから壊れやすく、いかに無数の偶然の上でしか成り立ち得ない、哀しいほどに無形のものであるのだと、鋭い痛みをもって知らされることになる・・・
彼女の死の真相は永久に閉ざされてしまったが、それから1年を経た現在では、わたしは、最近では一方でそれで良かったのかも知れないとも思いはじめてもいる
その理由は、世界中の男たちが抱える問題でもあり
男である以上は、女の全てを理解できるはずがないのだ
そうに違いない
その逆は大いに有り得るとしても、だ
全ての美しい女性には必ず秘密があるに違いない
そこで年齢や容姿などは一切問われない
それは月の裏側の、さらに奥まった場所に在る隠れ家のように謎めいていて、男たちにはその存在さえも知ることができない
今、ここにこうして書いてみて改めて思うのだが、やはり・・・
全ての女性にはすべからく、自分の内部からは決して外部には出ていかない
誰にも言わない、誰にも言えない固有の秘密を抱えているに違いない・・・
だとしたら・・・
11月
11月は友人を亡くすのにふさわしい月なのだろうか
もちろんそれが11月でなくとも、友人を亡くすのにふさわしい月などはない
それが友人でなくとも、他の、世界中のあらゆる人々であったとしても
友人自身が選び取って死んでいった11月
あるいはもしかしたら、死者たちはすべからく、自分が最も死ぬにふさわしい刻に死んでいくのかも知れない・・・
残された者たちは、そう思うことで自分自身を納得させるしか
他に考えようがないじゃないか
END