サラティガ、月
INDONESIA
昨年の暮れから今年にかけて、わたしはここインドネシア、首都ジャカルタの高層ホテルの一室で、ただ茫然と日を送り続けていた
その小さな旅はもちろん、誰に命じられたわけでもなく、自分の意志で年末年始の休暇を過ごすために、航空券と中央ジャカルタのデザイナーズホテルを押さえておいたのだ
だが、結局、いったい何をしに、あるいは何を観に来たのかが自分でもわからないままだった
デザイナーズホテルはわたしがここSemarangで知り合い、ジャカルタ在住の〈六か国語を操る、華僑のゲイ〉の友人が、滞在することを強く推薦してくれた宿でもあり、確かにインドネシア人の若い現代アーティストが館内のオブジェや部屋中の壁面に様々なテイストのイラストを描き上げた、実際にユニークな宿だった
しかしその友人の好意も空しく、ホテルのせいでは決してないのだが、当時のわたしには、ずいぶんと色褪せて見えたものだった
加えて、当時のジャワ島全域を覆った黒い雨雲は、在日本大使館から「注意」のメールが送られてくるほどの連日の豪雨が続いていて、ジャカルタに入ってからも朝から執拗に、そして断続的に降り続けていて、滞在中はほとんどホテルから外に出ることがなかった
外出しなかった理由は、なにも雨のせいだけではなかった
気持ちが内に向かい続け、出歩くのを億劫に感じていたのだ
だからわたしの旅には珍しく、このジャカルタへの旅には事件らしい事件が一切なにも起こらなかった
無理もない。高層ホテルの上階の角部屋で、ただぼんやりと、ひたすら雨に煙る大都市のジャカルタを窓から眺めていただけだからだ
そしていつまでも、夢現の中を彷徨っているかのような奇妙な浮遊感だけが、そのジャカルタでの滞在を発端に、わたしにつき纏い始めたのだ
Salatigaは夕闇に包まれようとしていた
ここSemarangから南へ約50km、最近滞在したBandunganやUngalanよりもさらに奥に入った標高400m~800mの、古代神話に由来を持つといわれる、インドネシアでは珍しく美しい地名の、小さな町だ
この町にもとりたてて見るべきものは何もない
インドネシアの地方都市の、さらに奥まった山深い田舎町だ
たぶん間違いないだろうが、特別インドネシアに関心を持っていない限り、このような地名の土地があるということさえ、ひとびとは知らない
ただ唯一、見るものがあるとすれば、それはこの町の中心にある巨大な湖だけに違いないはずだ
名は、レイク・ダナウ
このダナウ湖に沈む西日は、標高が高い山の中腹にあるせいなのか、雲が一層づつ複雑に重なり合い、それぞれが不思議な輝きを放ちながら落下するように一気に沈んでいくらしい
見に行ってみようか・・・
ある晩思い立ち、オンラインで湖にほど近い宿を押さえて、今週はここSalatigaに一泊で滞在することにした
年末年始のジャカルタへの旅は、出発当日の朝、いや飛行機の搭乗手続きの締め切り時間の、ほんの数時間前まで悩んでいた
やはり、止めておこうかと
行くのは、止めておこうかと
昨年の春に一度ジャカルタは訪れていたが、そのときはちょうどイスラム教のRamadahnが明けた直後のIdul Fitriで、少なくとも中央ジャカルタは異様な静けさに包まれていた
ー”これが東南アジアのひとつの中心地と呼ばれる、あの”喧騒渦巻く”ジャカルタなのか・・・”
そのときのジャカルタ滞在では、静まり返った街を歩き、食べ、少し呑むだけで、次回来るための予行演習と割り切って過ごし、だから次回滞在を楽しみにしていたのだ
そうして再度練り直した年末年始のジャカルタ行きで、華僑の友人に連絡をとって情報を求め、思いっきり羽を伸ばそうと航空券とホテルを押さえた直後ー
同じく海外に住む、旧知の友人の自殺の報に接することになった
その友人の訃報が入った時点で、すでにチケットを押さえていたこともあったが、そのこと自体も忘れてしまうほどの強烈な衝撃だった
おそらく、いや、間違いなく完全に受け止め切れていなかったに違いない
何が起こったのかのかも、よく理解はできていなかったはずだ
チケット類はキャンセルが効かない内容のものではあったが、そこでは金銭はあくまで副次的な問題に過ぎなかった
日頃からよく使うGoogle Calenderに航空券の発着の日時、ターミナル、ホテルの住所の詳細を同期していたが、その機械的で無機質なアラーム機能が間近に迫ってきているフライトを断続的に告げるだけだった
自殺ー
だが結局、搭乗日の直前にボストンバッグに荷物を詰め込んで空港に向かったのは、Semarangに残っても出かけることはなく、同じ室内にいるのであれば、せめてジャカルタのホテルの一室にしようかと思い至ったに過ぎなかった
Salatigaはやはり何もない街だった
道路自体も舗装されていない箇所が多く、悪路で急峻な坂道を車で一気に駆け抜ける
道沿いには小さな屋台が密集し、軒先には野菜、肉類、香辛料、金属類、子供向けの玩具、そして何に使うかわからないプラスチックの道具が吊るされている
埃っぽく、打ち捨てられた廃墟が湖畔に並んでいるだけの異様な静けさに支配された町、Salatiga
しかし、何度声に出して呟いてみても、本当に美しい響きを持つ土地の名だ
古い造りのホテルにチェックインを済ませ、ベッドに荷物を放り投げてから、ここ最近は使用していなかった望遠レンズをカメラに装着して、ダナウ湖畔に向かう
インドネシアーここSalatigaの日没は、17:30
もうあまり時間がない
湖畔で無言で立ち尽くす若い恋人たちと、イスラムの祈りを唱えるために集まった少数を横目に、ミネラルウォーターを飲みながら日没を待つ
Salatiga、Salatigaと繰り返し呟きながら・・・
やがて太陽が落下していくかのような夕陽が始まり
高い空の、冷えた空気の中で雲が様々な色に変化していく・・・
2023年が始まって、ジャカルタを去り、Semarangへ戻っても、日常は何も変化しなかった
もちろんそうだ。小さな旅に出て、それで何かが劇的に変化することは経験上あり得ない
しかし、今年も前半を終え7月に入ると、いかに自分に変化があったのかが最近、振り返って俯瞰できるようになったきた
今年に入ってからというものの、何かが壊れて、狂ったように「移動」を繰り返していることに気がついたのだ
元々、カメラを片手に一人で旅をすることは好きだったが、今年の前半は異状にそれを繰り返しだした
空虚なエネルギーのようなものが、体内で激しい渦を巻きだしたのだ
限定された日程の帰国休暇では、焼津(静岡)、那覇(沖縄)、門司(北九州・福岡)と歩き回り、その間にも久しぶりに会える友人たちには片っ端から連絡を取り、たいていの夜は福岡のどこかの酒場にいた
インドネシアに戻ってからも、3月に再度のジャカルタ
それらはあくまで連休を利用してのことだったが、最近は週末を利用して「移動」に「移動」を重ねるようにさらに激しく変化しだした
Bandungan、Jepara、Ungalanそして、ここ、Salatigaー
そうして行った先には、特に見るべきものは何もないと強い予感を感じながらも、止まることができなくなってきている
次にすでに視界に捉えているのは、Solo City、Kudus、そして、再びのJogjakarta・・・
やはりどこかで、何かが狂い始めているのだろう
年末年始を過ごしたジャカルタでの滞在から、止まれなくなってきている
あるいは、潜在的な何かが大きく蠢き始めているのかもしれない
真夜中に目覚め、オンラインで宿をブッキングし、土曜日の午前中のインドネシア語の家庭教師との授業を終えて、カメラとバッグを片手に車に乗り込みー
ダナウ湖畔に完全に陽が落ち切った後で、宿に引き返した
ここは先週のUngalanのように、客がわたし1人だけどいうような極端な状況ではなかったが、やはり少ないのだろう
小さなロビーに併設されているダイニングレストランには、数組の男女しか見えない
撮りためた写真の確認と編集は後回しにすることにして、シャワーを浴びた足でダイニングへ下り、テラス席に座り魚料理とビンタン・ビールを注文する
4月の帰国休暇の際、ある人物から、ある奇妙な話を聞いた
それは約20年前に知り合った、今年80歳になる老婆の話で、その老婆とは、わたしが大学生だった頃の夏の短期アルバイトで知り合った人物だった
帰国休暇中に、偶然、福岡市内の街角で再会したのだ
それは、わたしの方からは全く気がつかなかったのだが、路地の先の角から突如現れた老婆は、囁くように、そして断言するようにわたしにいったのだ
ー”さわまつくんね?懐かしいわ”
わたしは思い出すのに数舜を要した
無理もない。20年前の短期アルバイトでお互いの人生が僅かにしか交差しなかったのだ。相手が名前を名乗って、ぼんやりと記憶が繋がり始めたのだ
そして強烈な個性と、当時はかなり複雑な家庭環境下にあったひとだ
その老婆は、いわゆる〈視える人〉で極めて強い霊感を持つひとでもあった
その日、誘われて一緒に入った高架下の古い喫茶店で、老婆は率直に、そして淡々とこう続けた
ー”さわまつくん、右肩に違和感を感じるでしょ?何故だかわかるかしら。
君の右肩から地面に向かって、白く、細い、そして長い腕が垂れ下がってみえる。
残念ながら先ごろ自裁して去って逝かれた友人がいるわね”
よほどわたしは怖い顔をしていたのだろう
老婆は続けた
ー”そんなに怖い顔しなくても大丈夫よ。君には友人の霊が憑いているけれど、何も怖がる必要はないの。いいこと、よく聞きなさい。
君の右肩から出ている女性の腕は、今のところ君に悪い影響は一切ない。
どちらかというとその逆ね、良い影響を与え始めている。”
老婆は続けた
ー”君の右肩にあるその友人の腕は、ときに会うべき人や進むべき具体的な方角と場所を指差して示唆しているわ。
従いなさい。
いや、拒むことはできないはずよ。それほど強い力をこの世に残していった方よ。
君の意志とは関係なく、君に今必要なひとと会うことを、その〈腕〉が示唆している。
〈腕〉が示唆しないひととは、逆に会えないでしょう。理由はわからない。今、君はそういう時期に入っている。もはや、そこにあなたの意志は介在できないの。
時間が過ぎて振り返れば、いつか理解できる物事の話よ。
不思議ね。
この世の論理を超える力を、あなたの友人は残していったのね。
でも、何も心配することはないの。その友人が君に寄る悪しきものたちをも振り払ってくれているわ”
そして、反魂と、すべては両義的だということを老婆はわたしに告げて去っていった
ーこの老婆との短い邂逅は、いずれ別に、この〈note〉で独立させた記事としてその顛末の一部始終を書いてみるつもりだ
この老婆から聞いた話と、そのときのわたしの心の動きを交錯させて何度か記事として書いてはみたが、今もまだ果たせず完成をみない
わたしにとってはそれほど奇妙で、現実を逸し、話が、だから、考えがまとまらないからだ
運ばれてきた魚料理を、ビンタン・ビールと一緒に食べているとテラス席に月が昇っていることに気がついた
追加でもう一本、ビンタンをもらいひとりでぼんやりとダナウ湖から流れてくる冷たい風を浴びていると、やがて身体が冷えてきた
席を立ち、室内の席に移動しようとしたときに、突然店内の照明が消えた
一瞬、視界が閉ざされ、キッチンの方ではスタッフが慌ただしく動き出した気配とその音が聞こえてくる
停電ー
席に案内してくれた若い女性スタッフがわたしの元へ駆けて来てこういった
ー”The whole city is having black out”
やはりインドネシアの奥地に入ったここSalatigaでは、停電はよくあることなのだろうか
スタッフは自家用発電に切り替えるので、しばらく席について復旧を待って欲しいとのことだったので、わたしは再び席についた
ダナウ湖は闇に包まれていた
風は依然として冷たく、湖を見下ろすと湖面に三日月が反射して弱々しい光を放っている
ぼんやりと辺りを眺めていると、ガラス窓に、月明かりに照らし出された自分の上半身が映った
右肩ー
右肩にー
月明かりに照らし出された自分の右肩を凝視していると、ふと、右肩に白い何かが形作り始めた
おれの右肩にはー
その「何か」の輪郭が朧気ながら見えかかったときに、唐突に場内に明かりが灯った