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人は自分のためだけにやり切る事は出来ないもの・・・

工芸品に限らず、創作物全体に対して、個人的に思う事ですが

作物の底に「自分以外の存在に対する祈り」のあるものが良いです

それは大それたものではなく、高尚なものでもなく、素朴で素直で健康的な・・・人間が自然に持つタイプのもの

人の存在、人の生活、自然・・・自分だけではない他者への祈り

作る人の祈り、使う人の祈り、そのどちらも受け止める事が出来る「どちらの祈りも受け止める存在」であるものが良いなあと、私は特に最近感じます。不景気やコロナ、戦争・・・のせいで余計にそう感じるのでしょうか

変な、自称傷ついちゃった人同士の、気持ち悪い傷の舐め合いみたいなヤツではありませんよ。ポエムな作品とか発言とかでもないです。そういうものは、むしろ嫌いです

それはともかく・・・

私は、特に工芸分野ではそれを意識します

工芸分野でも、表現云々は言われますが、

個人的には作者のコンプレックスや性癖を垂れ流したような作品を、人間の感情の正直な部分を表現した本当の芸術作品、としているものは好みません。これはいわゆるファインアートでも、工芸でも・・・

それは実際には自己演出に過ぎないものが殆どだからです

人は他人へだけでなく自分自身にも嘘をつきます。それに人は意外に自分自身の為に命まではかけられませんし大悪人にもなり切れません

分野を問わず「いかにもそれらしい雰囲気」を持ったものには嘘が多いように思います。それに、そういうものは、だいたい中途半端なのです。私はそういうものから悪臭を感じます。時折そういう演出のなかで自ら命を絶つ、なんて人も現れますが、それは演出のなかでそうなってしまった、と私は把握します

そういう方向性のものを表現するのは自由ですが、しかしそういうものを見せられてしまった方の事も考えて欲しいと強く思います。表現の自由は守られるべきですが、あまりに俗悪なものを公共の場に出している場合は、知らずに見せられてしまった方はたまったものじゃありません・・・そういう場合は精神の浄化が必要になります・・・

自分自身の感情に異常に執着するタイプの人はおりますが、そういう人だからといって創作的資質と才能があるわけではありません。そういうタイプの人には「いかにもそれっぽい雰囲気」があるのでそれを天才とか本当の芸術家とかと勘違いする人が多いですが・・・そういう人は「やりっぱなしで仕上げられない」タイプが多いですね。その断片には可能性を感じるけども、全体として観ると、別段、何も残せていない・・・

本当の創作の天才が、自分の欲望に忠実に観えるのは「創作の神という他者の為に身を捧げている様子が傍から観ると自分の強い欲望にしたがっているように観える」という事・・・と私は把握しております

直接的行為で例えれば

例えば花の絵を描くなら、その花を描く事に没頭出来た時、自分の偽らない個性が歪み無く自然に発露しているのだと思います

それは、例えば木を削る事に没頭出来た、という事でもその「削るという範囲では」自分の個性は出ています。どんな人為・人造物でも事でも同じです

何にしても、人は神ではないので「成れ」と思っただけでは何も産み出せません。何かを産み出すには、他の何かと関わり、そのために行為をするしか無いのです


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