文様は絵画ではないということ
工芸に分類される仕事は、分野を問わず必ず素材の影響を強く受けます。
それは制約ですが、同時にその分野の特性、魅力でもあります。
私の仕事だと、それを最大限に活かすこと、それを文化的逸脱なく発展させることが「現代行う染と文様」の仕事の価値だと思っています。
それと
「文様は絵画でなく、文様独自の洗練された美しさがある」
と考えています。
現代、プリント技術や染料、機材の発達によって素晴らしい染物が大量生産されている時代です。
また、絵を描くように自由に染められる染料も開発され、それを使い、制作する人もいます。
それぞれの時代の要請によって、道具や素材は開発されて行きます。また、失われて行くものもあります。
そのどれを選択し、自分の仕事に使い制作していくかは、それぞれの制作者の自由です。
そのなかで、私は染の基本的技法の制約のなかにある洗練と魅力と美しさを表したいと思い、制作しています。
また、文様はある意味「公共物」とも言えます。特に、伝統文様はそうです。(染に限らず文様全般の話です)
伝統文様の形式は、その民族、さらにその民族を超えて、また、時代を超えて、いろいろな人が、それを制作することに参加出来、使い、楽しむことが出来ます。
それは、まるで人々に受け継がれてきた名曲のようです。(演奏の難度や分野は関係なく)
いろいろな名曲は、人々が演奏し、歌い、それぞれのレベルで楽しむことが出来ます。
同じ曲を、違う人が演奏すると違うものになります。
人々は、その名曲によって、個性を表出させることが出来、新しい発見を得ることが出来るのです。
伝統文様には、そのような力があります。
伝統文様は、受け継がれ、愛されて来た名曲と良く似ているのです。
なので、私自身は、自分が描いた文様が人々に真似され、広まるのを観るのが好きです。
それが広がり、幸運にも時代を経ても生き残って愛されれば、それは公共化し、伝統文様化し、その文様はいろいろな人の個性を開花させる手助けをすることになるでしょう。
文様は、そのような公共物であって、個人の表現だけにとどまる小さなものではない広がりのあるもので、絵画よりも格下、とされるようなものではないのです。
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