その一言で人を遠ざける
呉服業界人や、呉服愛好家たちには、強いこだわりがある場合が多いです。
なので、楽しく自由に着ている着物初心者の人たちや、今までの路線とは違うことをやっている人たちを、良く腐します。
あんなのはおかしい(とりあえず難癖)
あんな着方はない
あんなコーディネートはおかしい
寸法があってない
絹じゃない
安物
プリント
中古じゃん
その他その他、いくらでもその口から出てきます。
それは、別に業界人ではなく、一般の着物好きな人たちからも出ます。
一般の人たちは、まあそれは仕方がないですね。
趣味性の高いもの(最早、和装は一般日本人の生活着ではなく趣味のものです)は、キモノに限らずどうしても喧々諤々、それぞれの価値観で戦い合うのです。また、それに節度があれば、その価値観のぶつかり合いは楽しみにもなります。例えば、骨董の世界などは、チクっと言う批判のセンスが問われたりもしますよね。
しかし節度が無ければやっぱり品がありません。節度の無い悪口は、意地悪く幼稚です。
そういう節度のない人は、なぜ下品に観えるかというと「独自ルール」で人を腐すからです。
独自ルールで他人を腐す人は、自分が勉強しているから詳しい、キャリアがあるから知っている、などと主張しますが、しかし実際にはいろいろな説もありますし、地域差や世代差もあり、流行も変わりますから実際には「これはこうじゃなきゃおかしい!」と断言出来るようなことは、それほど多くないはずなのです。
それを小さい価値観「独自ルール」で簡単に断言してしまう。
まあ、小さい価値観だからこそ、自分は偉くて他人はダメ、と簡単に断言してしまうわけですが。。。
だから「独善的で小さい価値観で他人を腐す」のは品が無いわけです。
しかし、そういう人ほど「着物人口を増やしたい」などとおっしゃるのが困りもの。。。
まあ、それでも一般の方々は良いです。
問題は業界人で、他人を腐す場合です。
業界人だから、それはその人が属する分野においては多少詳しかったりします。
しかし和装の世界は広く深いので、専門化され、同じ和装でも他の分野は分からないものです。
そういう人が「あんなのはね。。。」などと、他人のものを腐すのはどうかと思います。業界人同士ならまだしも、一般の人をやってはいけませんね。
例えば、キモノ初心者の方、あるいはキモノが大好きで自分なりに楽しんでいる方が、自分が好きなものを揃えて着付けて楽しんでいるものを業界人から「あんなものはまがいものだ」などと嘲笑されたら、一気にキモノが嫌いになるでしょう。
(フォーマルの場などの決まりごとには従うべきで、それをひどく外れている場合は問題だと思いますが)
別に初心者でなくても、自分が好きなものを直接的にこき下ろされたら傷つくでしょう。(何かしらの問題について正当な事実の指摘、なら別ですが)
業界にいる私たちですら、やっぱりそういうことをされると「傷つく」ものなのです。もちろん反撃は出来ますし、必要なら相手が業界人の場合は、反撃して叩き潰しますが、しかし、そういう下品なことを言われると私のような業界人でも「悲しくなる」ものなのです。
(もちろん、こちらの間違いへの指摘の場合はそれを感謝して受け入れますよ)
例えば、私たちのような、和装の手作り制作側で、世襲資産が無い状態でそれを生業にしている人間は、とにかく経済的に厳しいので自前のキモノをつくることが非常にむづかしい。
そんななかで、ウチのような仕事なら、元から染まっている廉価な反物を自分で染め重ねたり、コーディネートや、古着や、洋服系から流用したり、素材感で総合的には良いようにまとめて、どうにか着たような時に、イチイチ「あんなのプリントじゃん」とか「あんな生地安物だ」「中古を染め替えたものだろw」みたいな感じで業界人から腐されたりすれば、やっぱり気分は悪いものです。
「ああ、キモノの業界の人たちは、キモノを着る人が増えれば良いと言いながら、ウチのような貧乏人が、どうにか工夫してキモノを着ようとするのを、そんな風にバカにするのか。。。やっぱり貧乏人はキモノを着てはいけないんだな。。。」
なんて、つくっている私が感じてしまうのです(笑)。怒りではなく「悲しくなってしまう」ものです。
だから、やっぱり呉服業界の人たちは、売る人も、つくる側の人も、言葉に気をつけなければならないんだなあ、と思います。
「思うことは自由」ですが、言葉にして口に出したり書いたりしてしまうことには慎重であるべきだと思います。
もちろん、私も「余計な一言」を言って手痛い失敗を数多くしています。
本当に気をつけなければならないなあ、と思う次第です。
しかし、同業の人の、指摘すべき問題点は指摘させてもらっています。それで余計な波紋が起こり間接的に、当事者ではない人に不快感を与えることもありますが。。。