【読書記録#78】落日の宴 勘定奉行川路聖謨
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川路聖謨に魅せられた吉村昭先生が、20年以上も温めて筆を取った渾身の一作。
軽輩の身から勘定奉行筆頭まで登りつめたことからも明らかなように、頭脳、判断力、人格ともに卓越した幕吏であった、川路聖謨。
本書は、日露関係のみならず、日本外交史において最大の功労者ともいうべき川路聖謨の生涯を描いた作品である。
一歩間違えば植民地になってしまうかもしれないという危機感を持ち、開国を迫る欧米列強の国々との至難な外交交渉にも誠実で礼儀正しく、紳士的でありながら、粘り強く、妥協を許さなかった彼は、私にとって理想の外交官の姿である。
幕吏として、勘定奉行という要職にありながら、分をわきまえた質素な生活をし、家族にも贅沢を決して許さなかったことや大のお酒好きであったのに、公務の旅では禁酒をし、家臣にも禁酒を課したこと、また、激務に耐えるため、体力の維持につとめるべく、毎日夜明けに起きて、刀の素振りをし、早足で歩いていたことから自己管理能力が高い方だったことが伺える。また、徹底した史実調査をするので、有名な先生だから書ける、まさかのバスタイムでのルーティーンのシーンもあり、真面目は歴史小説なのだが、思わず笑ってしまう部分もあり、吉村昭先生の作品に益々ハマってしまう。
クリミア戦争で英仏と戦う祖国を離れて折衝に臨むプチャーチンが日露和親条約締結のために再来日した際、艦船「ディアナ号」が、安政2年の大地震と津波により大破し,港へ移動中に沈没。乗組員五百人が上陸する事態に。
その時の地元民の優しさを、「ディアナ号」に乗船していた司祭マホフの「フレガート・ディアーナ号航海誌」にこのように記している。
「幕府は私たちの苦境を憐み、即刻心からの同情、特別な配慮、公然の好意を寄せてくれた。首府から派遣された役人たちは遭遇した不幸に同情して、私たちが落ち着けるように世話をしてくれ、乾かしたり暖めたり、食事が取れるように奔走してくれた。
毎日、町や村から大勢でやって来る日本人たち、わけても宮嶋村の住民たちはできるかぎりの援助をしてくれた。ある人々は大急ぎで囲いの納屋と日除けをつくって、私たちが悪天を避けられるようにしてくれた。
また別の人々は上等のござや敷物、毛布や綿入れの着物、それにいろいろな履物を持って来た。米、酒(ウオトカ)、蜜柑、魚、卵を持参した人もあった。
何人かの日本人が目の前で上衣を脱ぎ、私たちの仲間のすっかり冷えこんで震えている水兵たちに与えたのは驚くべきことであった。」(高野明、島田陽訳)
また、その時の、地元民や江川代官は、近くの村々から食糧を供出させて彼らに与え、宮島村の者たちは地震で家を失ったのに、目の前でディアナ号が沈没するのを見て上陸した乗組員に同情し、小屋を急造したりしたとある。
多くの地元民たちも大地震で家を無くし、家族を亡くしているのに、言葉も文化も違う、今まで見たこともない外国人に対してここまでしてあげられるのは、日本人特有の懐の深さや、優しさがなせるものだと感じた。
厳しい折衝を終え、幕府の許しを得て,伊豆半島の戸田村で地元の船大工らと協力して、日本で初めて西洋式帆船が建造され、プチャーチンにより建造の地である戸田の住民への感謝をこめて「ヘダ号」と名付けられた。
因みに本書の表紙画は、1855年ごろ完成した「戸田浦における露国軍艦建造図巻」で、この時の戸田村でのロシア人の様子や「ヘダ号」の進水式の様子を描いた作品である。
2016年にロシアのプーチン大統領が来日したとき、当時首相であった安倍さんが複製したものをプーチン大統領へ贈呈したことで有名である。残念ながら、安倍さんのの絵巻から伝えたかったメッセージはプーチンには届かず、その後も北方領土の問題は解決されていない。
今の媚中派外務大臣であり売国奴の林芳正の言動を見ていると、これからの日本が益々心配になってしまう。林外務大臣や外交官は川路聖謨や彼の側近を見習って欲しいものである。
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