いくら心が擦り減っても。
こんばんは、といです。
心ってどこにありますか?
心が傷を負ったならどこを修復すればいいですか?
いつの分から?
どれもこれも、目には見えません。
子供の頃、身体に相対して頭が重く転びやすい為か、家から最寄りのバス停までのほんの数百メートルの距離で転びました。
案の定、膝を擦りむき、白タイツは破け、挙げ句の果てに泣き叫び、バスを1本遅らせる羽目になりました。
そしてとても怒られたのを覚えています。
「どうしてあんたはいつもそうなの?」と。
大人になった今、
私を叱ってくれる大人は親だけです。
ですが、「その考え方は違うよ。」、「深く考えなくていいんだよ。」と言ってくれる近しい人たちは、目を開けて、耳を塞がず、少しの勇気を持てば語りかけてくれます。
それは、言葉で、文字で、瞳で。
心が傷を負ったなら、
何処にあるか、どういう機構か分からない、
心が擦り減ってしまったなら。
あなたはどうしますか?
私なら、
牛歩でもなんでもいいから、休みます。
自分のやりたいことと、やれたことが違うとき。
頑張りすぎて、電池が切れた人形のようになってしまったとき。
もう何も分からないと感じてしまったとき。
涙が溢れて止まらないことがあります。
そうなる前に、
なんでもいいから休んでしまおう。
仕事で海外にひとりで行ったとき、時差ボケと緊張感を誤魔化そうと、ガリリとリンゴを齧って論文を読み漁っていたのは、2年前。
そのとき、確かに私は頑張れていた。
だから、もう一度その時のように頑張れるように
今は休みます。
皆さん、いつもありがとう。
私はまだ引き返せる。
とい。