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真を求むれば正に背く

話を聞くと
理解しようとする


それがそもそも
間違いなのである。


「一生懸命聞かなければ

解からんじゃないか!」

と、

誰が教えたか

そんなこと。



「幼児はどうやって聞いているか!?」


盤珪禅師は

「不生禅」と言うて、


今、話しを聞いている時、


犬が
「ワン!」

と吠える。


「あれはなんだ!?」

と問う。

人の
「知る」「聞く」と言う、
以前の様子。


人の見解を離れている事実、
これは作り事ではない。


これを
「不生」と云う。

「これが修行の要点だ」

と、

釈尊や道元禅師、
祖師方は、

事実を
事実のままに示されている。


私たちは
それを理解してしまう。

考え方を
教え示しているのではない。

「これはこれ」

「長いものは長い」

「短いものは短い」

と、

そのように理解してしまう。

観察して、

長いものを
「長い」と言っているのか、

「長いものが長いと云う事実」なのか、

全く違ってくる。

「長もなく、短もなし」
と、

理解するなかれ。



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