無意識に当たり前だと思っている
常識を疑え!
前回のリンク記事を閲覧された方の中で、
世の中に出回っていない
ブッダの真の如来坐禅中に、
前回のリンク記事の内容の事を
思い出し、
言い伝えられた事を考えで取り上げ、
今度は考えで
「じぶん」を
『見つめないようにしよう』
『観ないようにしよう』
『観察しないようにしよう』
とする方々が出てきてしまいます。
それこそ、
仏道における消滅すべき自己です。
考えの中の考え、アイデア、
観念そのものの実体なき自己です。
ですから、
お釈迦さんの真の如来坐禅中に
考え方で扱い、
『見つめないようにしよう』
『観ないようにしよう』
『観察しないようにしよう』
と本気でやっている事に気づいたら、
意図して止めて下さい。
宇宙の発露として生じている、
思いや考え、
感情や感覚を
『見つめないようにしよう』
『観ないようにしよう』
『観察しないようにしよう』
と本気でしている事に気づいたら、
何度も意図して止める。
まったく意図していないのに、
自然と自分を見つめる事、
自然と思考や感情、感覚を観ているようであれば、
それは無為自然なので、
そのままにしておいていて良いです。
自然と流れ去ります。
しばらくしていると、
「じぶん」を観ている事が
自然と終わり、流れます。
お釈迦さんの真の如来坐禅中に、
これらのお話しを振り返りながら、
実践しようとはしないで下さい。
真の如来坐禅中、
「祖師にあったら祖師を殺せ」
「仏にあったら仏を殺せ」
指導者の言っていた事、
仏教などの教え、
正師から学んだ何かしらの教えの通り
坐っていたら、
実践になっていないので、
意図して止めて下さい。
今の御自身の実物事実の様子のままで
「あとは野となれ、山となれ」と、
坐ったらハイおしまいなのです。
そこから先はありませんが、
坐に導かれ、
「なるようにしかなりませんが」
手をつけずに
放っておけば、
「なんとかなるのです」
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