ロゴスを受け入れ ミライに応える今日をつくる
第36週 12月8日〜12月14日の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、あなたの存在の深きところには、自分自身が信じるものが刻まれている。遺伝子や経験などから自分の信じられるものを見いだし、それを軸に、大いなるものの片鱗としての独自性を未来に向けて追求すべし。といったメッセージを受け取りました。
では、読み解いてまいります。
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自分の存在の奥底が語る
啓示を受け入れるようにと
理解や解釈を超えた詞も
あなたの目的を
大いなるものの光で満たし
与えられたもので世界に応えるのだ
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ロゴス
“はじめに言葉ありき”というコトバを耳にしたことはありますよね。新約聖書のヨハネによる福音書の冒頭に由来するようですね。この“言葉=ロゴス、(Logos)”は、単なる“言語”や“音声”を意味するのではなく、より深い哲学的・神学的な意味を持っているのです。
ロゴスは、世界の創造に関与する神の力や意志を指すと解釈されているのです。キリスト教では、神がすべてを創造した根本的な原理であり、全宇宙の秩序を保つものとされています。ヨハネ福音書の文脈では、ロゴスはイエス・キリスト自身を指しているともされています。神が人間と直接交わる手段としてイエスが、“ロゴス”として現れたと考えられているのですね。
さらに遡って、“ロゴス”という概念は、ギリシャ哲学、とくにヘラクレイトスやストア学派でも使われており、そこでも宇宙を支配する理性や秩序の原理を指されていたのです。この哲学的背景がヨハネ福音書にも影響を与えたと考えられているのです。
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また、日本語でもコトバに、“言霊”や“ことの葉”といった、霊的・詩的な意味合いを含むことがあります。これも“ロゴス”に非常に近く、コトバが現実を創造する設計図のごとく、そこに宿る霊的な力によって、それを発することで現実を動かす力があるのだと古代から信じられてきました。祝詞や呪詞など、神や自然との交信手段としての一面もあるのです。
おそらく人類において、コトバは単なる情報を伝え合うための音声や記号だけではなく、現実に働きかける実在的なチカラを持ち合わすとされてきているのです。
“はじめに言葉ありき”という表現は、コトバとイメージの蜜月により、ロゴスを通じて存在が表われるという解釈につながります。ロゴスが存在の基盤であるという事実が、あなたの理解や解釈を超えたものであっても影響を受けているのは間違えがないのです。
ですから、静かに受け入れることが大切になってくると考えられるのです。
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存在の奥深きところで
では、どのようにしてロゴスを受け入れればよいのでしょうか。
今週は、かなり信仰に近いニュアンスのメッセージのように感じられますね。あなたの存在をつかさどるの上で、何が必要なのかという問いかけが隠れているのです。何を信じて、どのように日々の行動にうつしてゆくのか、自分のあり方に対してのヒントが隠されているのです。
さて、あなたの深きところに刻まれているものとは、
いったい何なのでしょうか?
遺伝子のような命の設計図。
後天的に生活環境の中から経験して学んできたこと。
意識していなくても五感を通して無意識にすり込まれてきたもの。
はたまた、人や大いなるものからの以心伝心。
そのようなものの中から自分の信じられるものが何であるかを探る必要がありそうですね。そして、毎度のことですが、それらを探る時には心を静かに、自分の内界から発せられているものに、耳を傾ける訓練が必要です。
そして、あなたが何を信じて生きているのか。ということを深い心で感じ、それを軸にして、独自性のある存在の表情が生み出されていくのだ。ということを学んでゆく必要があるのです。
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わたしは蟻なのか?
文面をみると一瞬、「大いなるもののために働け!」と誤解されるかもしれません。しかし、“わたし”というものは、“大いなるものの部分”としての存在であるというメッセージは、これまでに伝えられています。
これは、自分を犠牲にしてという意味合いではなく、一人ひとりが独立した存在でありながら、同時により大きな全体の一部として機能しているという視点を示しています。このメッセージは、あなたの価値や役割を軽視するのではなく、むしろ、あなたがいなければ世界は成立しないという、その存在理由をより深く認識させるものなのです。
この視点は、あなた自身が自分の特性や才能を全体の調和や発展に活かすための方法を見つけることを促します。それは、自己中心的な利己心を手放すという意味ではなく、個人のアイデンティティや可能性を損なうことなく、大きなビジョンに貢献することを意味しているのです。
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昆虫の個体ごとの表情を認識できる人がいる!という、とんでもない話を聴いたことがあります。人間の一人ひとりが違う顔を持っているのと同様に、たとえば、行列をなす蟻の一匹いっぴきが違う顔を持っているのだ。という主張は、途轍もない話として片付けてはいけない気がするのです。
生命のふるまいの中で、それぞれの個体差があり独自性を発揮している。という主張は、疑う余地がありません。
たとえば、蟻の中にも仕事分担がある一方で、同じ仕事をする蟻でも個体ごとにさらに異なる特性や細分化された役割があるのかもしれません。その揺らぎが、集団全体の柔軟性や適応性を高め、大いなるものの中での対応力を向上させることが、生命活動に他ならないのです。
さらに、“わたし”というものが、“大いなるものの部分”として存在するなら、それは自己と他者、内界と外界、そして全体との深いつながりを示すものです。それを理解し認識することで、蟻や人間、すべての生命体との関係性を見つめ直すきっかけになるかもしれませんね。
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仮面を被った蟻かもしれない
“わたし”という存在において、暮らしの中で仮面を被って生きている感覚ってありませんか。 日々、社会的な立ち位置に迎合して、媚びへつらった自分を演出している感じです。
会社員や学生、妻や夫や子どもなんかの仮面を被って、他人と接している時に、これは本当の自分ではないという感覚に襲われることがありますよね。でも、その仮面こそが自分なのだと信じきって演じきった方が幸せになれるかも、と無理して頑張っている瞬間がありませんか。
でも、“仮面が素顔になる奇跡”は、残念ですがおこりようもないのですね。粛然と日々、仮面がぴったり顔に癒着した自分としての生き様をまっとうすべしということなのでしょうか。
それぞれの役割に付与された仮面が自分自身を規定すると考えがちですが、あくまでそれは、一つの役割を担うことに過ぎません。あなたが思うよりも、自分の内面にはさまざまな顔があり、それらさまざまな顔を総じて、“わたし”という存在が形成されるのです。
働き者の仮面蟻であるかもしれませんし、表現豊かなアーティストとしての蟻かもしれませんし、つき合いが大好きのお節介蟻かもしれません。その多面性の集合体である複雑な生命体が、あなたの自身であり、あなたの美しさの根源かもしれません。
あなたは、どのような仮面を被った蟻なのでしょう。
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自己実現
ここまで読み込んできて、「自分が実現したいことを明確にしないと生きている価値が無いってことですか。」 「単純に、直感的に今やりたいことをすることはダメなのでしょうか。」というヤキモキした気持ちがでてくるかもしれませんね。
自己実現を目指すのではなく、やろうとしている気持ちが、大いなるものの光で満たされているだろうかという感受性が必要なのだと思うのです。どのような状況でも、太陽の光によって植物が育つように、光に満たされ、応援され、与えられていることを感じるべきなのでしょう。
他者に捧げるようにといわれても、自己犠牲を強要されているととらえてはいけません。常に、大いなるものと、“あなた”が、ある部分で同一化していることで、結果として自己実現してゆくことになるのです。
たとえば、仕事などにおいても自己完結するのではなく、未来や社会などとの関係性の中で、あなたが何ができるのかを意識し、表現してゆくことが大切なのでしょう。
紅葉のこの時期。
自然もまさか、人間のために紅葉をし、
表現してくれているとは考えられないでしょうか。
人間も大いなるものの一部として存在しているのであれば、
自然の表現に共感することは素晴らしきことかもしれませんね。
そう考えると、光に満たされた気分になります。
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目的と目標
目的と目標は、似たような意味を持ち曖昧に使われることが多い単語です。それぞれに、ニュアンスや使われ方に違いがあり明確に区別することで、活動がしやすくなるのですね。次のように説明できます。
目的(Purpose / Objective) は、行動や計画の根本的な理由や意義を示します。“なぜその行動をするのか”、という動機や価値観を反映し、人生や組織全体の方向性を示すのです。たとえば、“価値を提供し、社会に貢献するため”のように、やや抽象的で長期的なビジョンの意味合いがあります。
目標(Target / Goal)は、達成すべき具体的な到達点や成果。目的を達成するためのステップの一部として機能し、計画の中で設定されるます。たとえば、“次の試験で90点以上を取る”、のように具体的で測定可能であることが多いのです。
ここで注目してほしいのは、両者の関係です。目的が全体の“なぜ”の部分、つまり根本的な意味や方向性を示すのに対し、目標はその目的を達成するための具体的な“どうやって”や“何を”という計画に当たります。
たとえば、目的は、『社会のアートへの意識を向上させる』そして、目標は、『1年間で5回の社会人へのワークショップを行う』といった具合です。
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そして、サイモン・シネックが提唱したゴールデンサークルのモデルは、目的と目標を明確化する上で非常にお勧めしたいフレームワークです。これは、すべての行動がWhy(なぜ)から始まり、それが、How(どのように)、そして、What(何を)に展開されるべきであるとしています。
Whyに該当するのが目的であり、それが私たちの行動に意味を与えます。一方、Whatに該当するのが目標です。目的がなければ目標は空虚になり、目標がなければ目的は実現可能性を欠くことになるでしょう。この2つを連動させることで、あなたの活動に一貫性を持たせ、悩みを減らし効果的な成果が生み出されることに、つながるかもしれません。
多くの人や組織は、What(何を)から始める傾向があるのです。たとえば、『私たちは○○製品を作っています』と説明します。しかし、シネックは、人々が共感し感情的につながるのは、Whatではなく、Whyだと主張します。人間の意思決定は、脳の感情をつかさどる部分に大きく依存しているため、『なぜ』を先に伝えることで行動に移りやすくなるのです。行動経済学などとの共通点も多いかもしれません。
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未来を想像する
そして、Why(なぜ、そうするのか。)を考える時に、創造する前の想像が必要になります。そのような時に使ってほしいフレームがバックキャスティングとスペキュラティブデザインです。
まず、バックキャスティングを使って、目的と目標を連結してみるのですね。この手法は、未来のビジョンを描き、そこから逆算して現在の行動を導き出す方法です。
まず、“理想的な未来”。つまり目的を明確に設定し、そこからその目的を達成するために必要なステップを遡る形で計画を立てます。このプロセスでは、目標が段階的に設定され、それぞれが目的に向かう道筋となります。バックキャスティングは、現在の問題や制約に囚われず、目的に基づく行動が選択できる自由を可能にするのです。
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さらに、スペキュラティブデザインの文脈では、未来を想像すること自体が目的や目標を再定義する契機となります。スペキュラティブデザインは、未来の可能性の探求に重点が置かれます。
この方法論では、「何が可能か?」という問いを中心に据え、目的を新たに創出し、それに基づいて目標を設定するプロセスが重視されます。たとえば、いくつかの設定された、“望ましい未来”、“起こりうる未来”、などのさまざまな解釈の未来像から目標を設定してゆくのです。
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目的と目標は、単独で存在するのではなく、ゴールデンサークル、バックキャスティング、スペキュラティブデザインなどのフレームワークを活用すると相互に補完し合う関係であることが明確になります。
これらの概念を統合することで、あなたは、過去や現在の制約に縛られることなく、未来志向の活動に移行できるようになるはずです。目的は、行動に意味を与え、目標はその実現可能性を保証する道筋となるのです。
あなたの目的を
大いなるものの光で満たし
与えられたもので世界に応えるのだ
このダイナミズムを理解し行動することで、
より充実した未来の今日を想像してみてください。
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シュタイナーさん
ありがとう
では、また
Yuki KATANO(ユキ・カタノ)
2024/12/8