お財布
お財布にはピンとしたお札を入れている。
小銭はなるべくつくらないようにしている。
なぜなら、わたしはミニマリストだから。
できるだけ少ないモノで暮らす。
真に必要なものだけに囲まれて、心豊かに生きる。
それが、わたしのポリシーなのです。
断捨離に目覚めたのは数年前のこと。片づけをしていると、なぜか気持ちがざわざわすることに気づいたんです。家の中には、もう使わない制作道具や材料などが溢れていて、これからの創作のためと言い訳をしたところで、実際にはもう、わたしをワクワクさせることはなくなっていました。そこには過去への執着が残っているだけ。心の底から、思い出や未練が湧き上がってくる。これらを手放すことで、初めて本当に自由になれる気がする。
これからを生き延びるためには、もう必要のないモノ達だったのです。
そのほかにも、本やCDなどもすべてを捨てる勢いで減らしていきました。本棚にあるモノ、ほとんどは人生には必要のないモノばかり。一つひとつ手に取り、「これはあなたにとって本当に必要なモノか」、「だれかのために役立てられる可能性があるのか」と問いかける。
答えはいつもシンプルでした。
でも、わたしが目指しているのは「ただ持ちモノを減らすこと」ではありません。少しでも少ない選択肢の中で、より豊かに生きること。そのために、お財布の中も整理しておく必要があるのです。お札がピンと整っていると、不思議と心も整います。何か買い物をするたびに、自分に問いかける。
「これは、わたしを豊かにしてくれるモノか」と。
*
そんなお財布を仕事に向かう際に、
ぽっかりと自宅に忘れてきてしまいました…。
電子決済が使えるはずだから大丈夫と自分に言いきかせるのですが、しばらくぶりに行く場所の記憶をさかのぼれば、近所にコンビニもなく、個人商店しかないような情景が頭をよぎり、スマホだけで一日を乗り切れるのか不安でたまらなくなりました。
まぁでも、一日ぐらい食わなくても大丈夫だろう
と覚悟を決めたのでありました。
ミニマリストにとってはこれも自由。
選択肢が少ないほど、悩む時間も減り
浮いた時間を大切に過ごせるのです。
究極的に「財布なんていらない、お金なんていらない、わたしの価値観には合わなかった。だから思い切って、すべて捨てたのだ。」と思おう。
昼ごはんなど食わなくても、お気に入りの本がじっくり読めるではないか。ミニマリズムは、手放すことによって、逆にえる体験が多くなる生き方なのです。
心が少し軽くなりました。
*
そうして、現場に着きました。想像していたどうり、昔と変わらずに、近所にコンビニもなく、今では古びた個人商店しかありませんでした。
ガラガラと個人商店の引き戸を開け、レジに商品を持ってゆく前に
「何か電子決済が使えますか」とたずねると
「○○なら使えますよ」という返事
そういえば、使っていない○○は、
ケータイの中に断捨離せず残っておりました。
「よし昼ごはん食べられる」とわかり、いそいそと弁当を選び、
レジに持っていき、会計をすますことができました。
今度は、ケータイのアプリではなく、お財布を断捨離してみるか…。
Yuki KATANO(ユキ・カタノ)
2024/11/14