欠陥と嫉妬
『世間』は成功者や有名人が没落していくのに悦を見出す。
それこそガーシーが有名人を叩いている間は熱狂的に支持され、瞬時にフォロワーを集めた。
しかしガーシ自身が有名になり、そして議員のような社会的地位が高い階級者になったとたん世間の風向きは真反対へと変わった。
ガーシーが出始めたころは彼の背景が「仲間に裏切られ」「借金があり」といった追い込まれた中年の男性といったものであった。
それは少数派の成功者ではなく、多数派の非成功者で与太郎的であったから彼が暴露し叩くといった行為が爆発的な加速度をもった理由であろう。
非成功者が成功者を追い込むといった構図だから成立していたものを、その論理を崩してしまったら成り立たないのは当たり前である。
ところでなぜ世間は成功者が落ちていくのを望むのだろう。
私が考えるに自分が他人と比較して、他人の方が恵まれた状況下にあると不満や嫉妬の感情を抱くからである。
そして自分が後天的な努力でその差を埋めるよりも、勝手に他人が沈んでいくほうが楽だからある。
「成功者も私たちと同じ普通の人なんだ」という安心感の麻薬は依存性がある。
また一番狡猾なのはその麻薬の依存性を承知の上で利用するマスメディアである。
マスメディアは有名人の幸せな一幕や利他的な行動よりも、離婚や不倫といったネガティブなものの方が数字がとれることを十分に理解している。
そんなマスメディアの戦略にまんまとひっかかってしまう我々が今一度再考する時がきたと考える。
それこそが適切な『権力への懐疑』である。
適切な権力への懐疑とは権力者を疑うのではなく、『権力』と『地位』そのものを疑うことにある。
我々はどこどこのブランドのものや、どこどこの学会やとか、どこどこの社長だとかと聞いただけでそれは正しいのだと考えてしまう。
思考のプロセスを省略し、楽をしてしまう。
省略せずに熟考することで適切な権力への懐疑が可能となる。
権力者ではなく権力そのものに全面的な懐疑心ではなく、部分的な懐疑心を抱ける日がきたなら、そこまでして炎上騒動に躍らせられないのではないかと考える。
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