Yuka

香川県の直島でアート関係のお仕事をしています。

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最近の記事

「働かないおじさん」について

最近、ある出来事が理由で、しつこい耳鳴りのような不快感を引きずっていた。 その出来事とは、わたし個人に受けられた職場でのアンチキャンペーン。 以前、部署が同じだった、いわゆる団塊世代あたりの「働かないおじさん」がいた。 異動で全く関わらなくなっていたから、惑星の彼方にいる人くらいの距離感で認識していたのだけど、 最近になって 「今までこちらで握りつぶしていたんだけど」 という前置きのもと、そのおじさんが悪口、暴言メールを拡散したり、わたしの仕事の隙やミスをいちいち

    • 中国で喧嘩を学ぶ

      麦当劳(マクドナルド)の店員の目をまっすぐ見る。少し睨みつけるような感じで。そのまま周辺背後を気にせずまっすぐ歩いて、注文したい商品を叫ぶ。 そんなふうにして、「列に並ぶ」という習慣のない中国でようやく生活できるようになってきたのが中国に来て半年くらい経った後だったと思う。 天津に住んでいる、駐在員の主婦たちが一駅先に行くのにも乗合のハイヤーを使うみたいな噂を聞いたことがあった。 そんな日本人になりたくない。と常に思っていた。 そういう日本人はなぜか遠くから見ても「あ、

      • たった1人で温泉地に向かう

        何も持たず実家に帰ったわたしは、何か目標を持たなければならなかった。何が自分を幸せにして、どう生きていきたいのか。必要なものは何か。 これまで続けてきた語学は引き続き続けるとして、それ以外に、自分は人生に何を求めているだろう。 20代の時にたくさん海外旅行をしたので、旅の息吹のようなものの魅力の虜になっていた。海外に行きたい気持ちはあるけれど、船出する財力、というか、お金が気持ち良いほど一銭もなかったので、別案を考える必要があった。 そうだ、日本にいても外国人がたくさん

        • それから4年が過ぎた

          今ほど「自己肯定感」という言葉が叫ばれなかった頃だ。 日本を脱出する目的で英語と中国語を勉強していたわたしは、数年単位の寄り道をすることになる。 出発地があって、ゴールがあるという考え方に則れば、あれは寄り道だったのかもしれない。もちろん、あれらの日々がなければ今の自分はいないので寄り道は時間の無駄だったわけではないのだけど。 寄り道の定義として、「ちょっとした誘惑に駆られた」ということにしてしまおう。 若い頃のわたしの目標は、トリリンガルになって学位をとって、恥じずに

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        記事

          その時、日本を抜け出すために考えたこと

          貧困家庭、学歴もなく、年収100万以下だった私は、どのようにして日本を抜け出そうかと真剣に考えた。 可能性なし 海外留学→英語圏はお金がないから無理。 海外ボランティア→職能も学歴もなく採用されない。 可能性あり ウーフ→オーガニックファーミングをしている農家を渡り歩く。肉体労働をすれば、食事と寝場所が提供される。ただし体力に自信がない ヨーロッパの遺跡発掘→上記と同じ。肉体労働とアコモデーション、食のトレード。ただし英語圏とは限らない。 ワーホリ→ひとまず1年

          その時、日本を抜け出すために考えたこと

          香川に雨が降っている

          今日は香川では珍しく、朝から雨が降っている。 雨がちな島根の出身だから、香川に引っ越してきてすぐの頃は、こんなに雨が降らなくて、植物は大丈夫だろうかと心配になったものだ。 雨がないからこそ、小麦粉で作るうどんがソウルフードとなり、味というより食感(喉ごし、歯応え)で食が語られるようになった。空海が唐から持って帰った技術による溜池が方々で作られ、よく白鳥などの水鳥が見られるようになった。車が鷺のフンで汚れる。洗車屋が賑わう。洗車に週末を費やすうちに愛着が湧くのか、車好きな人が

          香川に雨が降っている

          マーケティングの試験を受けてきた

          会社の昇格試験のためにマーケティングの試験を受けてきた。 前日に勉強して、試験会場に着くまでの道すがら勉強して、という感じの詰め込みはしたけれど、結局、勉強した内容は全く出ずだった。 受かっているかはまだわからないけど、難易度はそんなに高くなかったという印象。 生きる上で知っておいたほうが良いかな?という内容だったかも。 「なぜ香水は高価なのか」という質問に「原料費が高いから」とだけ答える人は少ないだろうと思う。 試しに6歳の娘に聞いてみた。 “Why do per

          マーケティングの試験を受けてきた

          中国語セラピー

          去年の4月から、オンラインのCCレッスンというのを利用して、中国語会話のクラスをほぼ毎日受講している。 やる気のピークだったのは、ある程度会話が成立するようになった7月のこと。中国語日記なるものを始めて、起床の6時から娘と夫が活動しだす7時半までを中国語に費やしていた。 その時、人生全般にかけるやる気がオーバーロードしていたので、エクササイズなんかもしていて、朝活が充実しすぎる傾向にあった。 ところがあんまり早起きするので、寝不足になり、パフォーマンスが低下。 かつ、「

          中国語セラピー

          どこかへ

          大学を卒業した友だちは就職していた。地元の役場に就職した友だちの景子とは時々会った。正社員として就職してもアルバイトとほとんど変わらないくらいの給与しかもらえないと話していた。景子は就職とともに新車を買っていたからよくドライブに連れて行ってくれた。 お洒落なブティックのようなところで地味だけど質の良い服を買っているのをよく見ていた。痩せたい気持ちが一緒だったし、いつか海外旅行に行きたいという話もあった。 何より私のことを何らかの才能のある人物であると思ってくれているらしいのが

          どこかへ

          リモート連携の大切さについて思う

          昨日、とっても礼儀正しい部下(のような立場の人)から電話がかかってきて長く話した。「やー困りましたね」という困った感を共有しただけだったけど、そのあとしばらくニヤニヤしていた。嬉しかった。 さて、リモートワークウェルカムで、かなりの必要性のない限りは出社せずして、在宅で仕事をしている。 毎日服を選んで、化粧をして出社をしていた頃の自分には帰れなさそうだ。 仕事の時間ギリギリまで自分の時間に使っているし(朝活と呼ぶには遅めの時間まで) 余計な人間関係に苛立ったり、集中を阻害

          リモート連携の大切さについて思う

          われながら完璧を求めなくなった。

          去年から頼まれていたオールイングリッシュのレクチャー(丸1時間)、市内の進学校の依頼でやってきた。 去年末あたりから、テレビに出たり、プロモーションビデオで英語コメントをしたり、何だか人前に出ることが増えた。 毎回、後々になって「ここ工夫すべきだったな」はあるにせよ、重い後悔などはしなくなった。悪い部分も含めて打点を冷静に考える。今日の英語レクチャーだったらおよそ70点くらい。 ひとつのタスクをチェック、よし終わった。自己採点いくら。はい。次。 こういう思考になってきている。

          われながら完璧を求めなくなった。

          最初の記憶

          まず、これは私の最初の記憶ではない。 ただ、私の映画のプロローグがあるならばきっとこのシーンだと思う。 雪景色の中に和太鼓の音が響く、内側が湿った長靴を履いて外に出ると真っ白い空に、小さな平べったい、桜の花びらほどの大きさの黒い灰が無数に舞っている。舞いながら落ちてくるのではなく高く高く白い空に吸い込まれて行くように舞っている。 住んでいる集落の祭り、「とんどさん」と呼ばれている、冬の儀式では、しめ縄や、書き初めなどを持ち寄り、二階建ての家ほどもある(というふうに記憶してい

          最初の記憶